
カテゴリー: 組織・人事
連載: タイ人事お悩み相談室 - Asian Identity
公開日 2026.02.10
Question:タイ人HRと話していると「学歴重視」で人材を採用・評価しがちだと感じます。実力主義で捉えるべきだと思うのですが、どう接したらよいでしょうか。
Answer:学歴はタイ人の価値観に深く根差しています。一方的に判断せず、学歴と実力の両方を見ていくことが重要です。
タイで仕事をしていると、「候補者の大学名で採用・不採用を判断しがち」「学歴が高くない人材の昇格に反対意見が出る」などの現象がしばしば見られます。一方、企業規模や業界によって差はあるものの、日本では「あくまで仕事ができることが大事」と考える人が多いのではないでしょうか。
実際に、中卒や高卒たたき上げで幹部に上り詰める人も少なからずいます。そうした価値観から、表面的な学位や資格取得に精を出すタイ人に対して眉をひそめる人もいます。そこで今回は、「学歴」から読み取れるタイ人と日本人の意識の違いについて考えてみたいと思います。

目次
まず、日本とタイの大学進学率そのものを比べてみます。国際統計(UNESCO)を見ると、2024年のデータで日本の大学進学率は64.9%、タイは45.0%となっています。全体としては日本の方が高いですが、タイはバンコクと地方の格差が大きいため、都市部だけで見れば大学進学率に両国の間に大きな差は無いと言えるかもしれません。
しかし両者の間には学歴に対して大きな意識の違いがあります。ここで押さえておきたいのが、日本と「日本以外」の学歴観の差を説明するうえで重要な「シグナリング」という概念です。多くの国では、学歴や資格は「自分がどんな能力や努力を積んできた人間か」を外部に伝えるための、いわば共通言語として機能しています。
社会に多様性があり、また階層がある社会では「自分は適切なバックグラウンドの人間である」ことを客観的に証明する根拠が必要です。その際、大学名や学位、資格は「最低限ここまではできる人だろう」という重要な目安(シグナル)として相手からは見られるのです。
一方、日本ではこのシグナリングの必要性が相対的に低い社会構造が続いてきました。新卒一括採用と長期雇用を前提に、会社が時間をかけて人を見て育てる仕組みがあったため、学歴はものさしの一つではあるものの、それだけを強く主張する必要がなかったのです。
むしろ「学歴を前面に出す人」はプライドが高い、あるいは中身に自信がない人だと受け取られることさえありました。その結果、日本では学歴が入社後のシグナルとして使われにくくなり、「学歴だけで人を評価するのは正しくない」という感覚が共有されたと言えるでしょう。
しかし、「シグナリング」はある意味で世界の常識で、日本だけが例外であるとも言えます。「学歴が高くなくても実力があれば勝負できる」と思い込んで社会に出た結果、海外で低く見られて苦労するという日本人も珍しくありません。そう考えると、日本で「学歴に対する認識」がどう形づくられてきたかについて考えておく必要があります。
少し歴史的背景を紐解いてみます。戦前の日本は、非常に強い学歴社会でした。帝国大学を頂点とする高学歴層は、官僚や軍、財界の中枢を担い、学歴はそのまま社会的身分に直結していました。しかし戦後、高学歴エリートが戦争を止められなかったという反省のもと、「学歴が高い=正しい判断ができるわけではない」という価値観が広がりました。
財閥解体などでエリート層が権力を失ったこともそれを後押ししました。また、草の根で会社を興した技術者たちが「学歴よりも起業家精神」というストーリーを体現し、一つのロールモデルとして社会に広めました。
さらに高度経済成長期に入ると、日本企業は「企業内人材育成」のモデルを確立していきました。学歴にかかわらず新人を横一線に並べ、一から育て上げる学校のような新人研修が一般化したことで、「入社後の教育こそが大事」という風潮はさらに強まりました(図表1)。

この結果、学歴は「入社のための切符」ではあっても、「入社後に語るものではない」という暗黙の了解が生まれました。現場で成果を出し、周囲から信頼されることこそが評価されるという成功体験が、日本人の中に刷り込まれていったのです。
一方、タイ人にとっての意味合いは異なります。転職が前提のタイ社会では、学歴は短い時間で「自分はどんな人か」を判断してもらうための重要なシグナルとして機能します。また、都市部と地方、社会階層間の格差が大きいタイ社会においては、良い大学に進学し学位を取得することは、「自分の生きるステージを変える」という人生の転換点と強く結びついています。
さらに家族の結びつきが強いため、学歴が本人だけのものではないという側面もあります。大学卒業や修士号取得は家族全体の誇りであり、安心材料でもあります。「学位を取りたい」という言葉の裏には、自身のキャリア戦略だけでなく、家族に恩返ししたいという素直な気持ちが含まれている可能性があります。
そのため、日本人がしばしば発する「学歴よりも仕事ができるかどうかが重要」という言葉は、タイ人にとっては日本人が想像する以上に、人生や努力そのものを否定されたように響くことがありますので注意が必要です。
マネジメントにおいて、私は何事も「二元論で捉えない」ということを提唱しています。対立するように見える二つのものを併存させる「中庸の姿勢」こそが、物事の解決につながるのです。「学歴か実力か」という議論も、単純な二元論で捉えないほうが良いでしょう。「学歴も実力も両方必要」、さらには「学歴は実力の発揮によい影響を与える」と捉えるのが良いと思っています。
以前、弊社のタイ人の若手メンバーが「社外の講座に出て認定証を得たい」と費用の申請をしてきたことがありました。「この講座にそこまで意味があるのだろうか」と不安に思った私は、タイ人のリーダーに相談しました。
すると彼は「彼女はまだ経験が浅いわりに難しい仕事を任されている。だから自信をつけたいんだと思う。行かせてみたらどうか」とアドバイスをしてくれました。「学校に行っただけで業務の自信になるんだろうか」とも思いましたが、それは私の固定観念かもしれません。

費用を支払って通わせてみたところ、その社員はとても嬉しそうに講座に通い始めました。講座を満了したのち、確かに彼女は一段高い自覚を持って仕事に臨んでくれるようになりました。資格をきっかけに、意識が高まり実力の発揮に繋がることを私は学びました。
人材採用においては、学歴「だけ」で人を判断する傾向があるようであれば、注意が必要です。「学校で何を学んだのか」「それが業務にどう活かせそうか」という質問項目も用意し、その人の思考力や応用力を面接で見極めていきましょう。
また、タイの人事評価では「この階層は大卒以上でないと昇格できない」などの昇格ルールがあるケースにしばしば出会います。日本ではあまり見られない制度のため、ルール撤廃に動く日本人経営者もいますが、一方的な変更は注意が必要です。
上述した通り、学歴が本人の自尊心や役職への誇りに繋がっている可能性があるからです。人事部門とよく相談した上で、「同等とみなされる資格やトレーニングを受けて承認されればOK」などの折衷案を用意することで、より幅広い人材に機会提供をすることができるでしょう。
学歴は、本人の努力の履歴であり、自己肯定感の源泉でもあります。それを尊重しつつ、同時に中身を見る。学歴を、本人の成長とエネルギーを引き出す材料として活かしていく姿勢こそが、日本人マネジャーに求められている調和的な関わり方なのではないでしょうか。

株式会社アジアン・アイデンティティー 代表取締役
中村 勝裕 氏(愛称:ジャック)
愛知県常滑市生まれ。上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業後、ネスレ日本株式会社、株式会社リンクアンドモチベーション、株式会社グロービス、GLOBIS ASIA PACIFICを経て、タイにてAsian Identity Co., Ltd.を設立。「アジア専門の人事コンサルティングファーム」としてタイ人メンバーと共に人材開発・組織開発プロジェクトに従事している。
リーダー向けの執筆活動にも従事し、近著に『リーダーの悩みはすべて東洋思想で解決できる』がある。Youtubeチャンネル「ジャック&れいのリーダー道場」も運営。
人事に関するお悩み・ご質問をお寄せください。
「タイ人事お悩み相談室」コラムで取り上げます!→ info@a-identity.asia
Asian Identity Co., Ltd.
2014年に創業し、東南アジアに特化した人事コンサルティングファームとして同地域で事業を展開中。アジアの多様な人々を調和させ強い組織を作るというビジョンの実現に向けて、"Asia is One”をスローガンに掲げ、コンサルタントチームの多様性や多言語対応を強みに、東南アジアに展開する日本企業を中心に多くの顧客企業の変革をサポートしている。
◇Asian Identityサービスサイト
http://asian-identity.com


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