
カテゴリー: 組織・人事
連載: タイ人事お悩み相談室 - Asian Identity
公開日 2026.01.09
Question:タイ人に「責任感を持って仕事をやり遂げてくれない」と感じることがありますが、タイ人に責任と言う概念はありますか?
Answer:もちろんありますが、それが意味するところは日本とはやや違いがあるようです。
日本人がタイで組織運営をする際、すれ違いの原因となる一つが「責任」と言う概念です。決めたことが実行されていない。チームのタスクに対して、誰もボールを拾おうとしない。
こうした状態が放置されていると、われわれは時にイライラします。「タイ人は責任感がない」。そう捉えたくなった日本人マネジャーも少なくないのではないでしょうか。しかし、この問題には「責任」という言葉そのものが持つ文化的な特徴や、日タイの世界観の違いがあるのではないかと私は思います。

日本語の「責任」は、「責める」と「任せる」という二つの漢字から成り立っています。辞書を引いてみると、「1. 立場上当然負わなければならない任務や義務。2. 自分のした事の結果について責めを負うこと。」(大辞林)とあります。結果がうまくいかなかった場合、誰かが前に出て説明し、時には批判を受けたり謝罪をしたりすることを引き受けるという意味が含まれています。
この考え方の背景には、日本文化に深く根付く「恥」の文化があります。日本人の精神的基盤となった武士道において、失敗は単なるミスではなく、人格や覚悟の問題として扱われてきました。切腹という極端な行為に象徴されるように、個人が身をもって責任を完結させることで共同体を守るという発想が、日本社会の底流に存在してきました。
現代の日本企業においても、その構造は形を変えて残っています。不祥事が起きれば、トップが頭を下げ、辞任する。必ずしも当事者でなくとも、目に見える形で「責任を取る」ことが求められます。日本において責任とは、組織を守るために、個人が前に出て背負うものなのです。
一方、タイ語で「責任」を表す言葉はความรับผิดชอบ(クワーム・ラップ・ピッチョープ)です。รับผิดชอบ(ラップ・ピッチョープ)は、もともと一語の名詞ではなく、「受け取る(รับ)」「正誤・善悪(ผิดชอบ)」という意味を持つ語の組み合わせです。直訳すれば、「正しい・間違いについての問題を引き受ける」こと。ここには、日本語の「責める」に相当するニュアンスや、罪を背負うというほどの強い意味合いは含まれていません。
そのため、「ラップ・ピッチョープ」は本来、「誰が悪いか」を確定する言葉というよりも、「この問題を誰が引き取り、対応の窓口になるか」を示す実務的な表現でした。タイで「責任を持つ」とは、罪を告白したり引責したりすることではなく、起きている状況を引き受け、関係を壊さずに収めていくことを意味しているのです(図表1)。

こうした背景を踏まえると、「責任」について議論する際の両者の意識の違いが見えてきます。日本人マネジャーが「誰の責任ですか」と問うとき、日本語の「責任」は、引責や評価へとつながる思考回路を無意識に内包しています。また、「誰が前に出て説明し、引き受けるのか」という構図を思い描いています。そのためタイ人のリアクションが想定通りでないと、日本人の感覚からするとギャップを感じてしまいます。
一方で、タイ人も「責任を感じていない」わけではありません。むしろ、内面では「自分が引き受けるべき状況だ」と受け止めていることも少なくありません。ただし、関係性と調和を重視するタイの社会では、それを公の場で「私の責任です」と言語化し、個人の評価や序列の問題に変換することを慎重に避けているのです。
ここには、責任からの逃避というよりも、場と関係性を壊さないための知恵が働いています。日本人が目指すのは「正しく整理された結論」であり、タイ人が守ろうとしているのは「関係が壊れずに次へ進める場」。同じ問いでもまったく異なる重さで響くのは、このゴール設定の違いによるものなのです。
さらに、グローバルビジネスで前提となる西洋、とりわけキリスト教的世界観における「責任」にも触れておきたいと思います。キリスト教的世界観では、責任はまず「神と個人の関係」として成立します。人は自由意思を与えられ、自らの判断で善悪を選択する存在です。その結果については、社会よりも先に、神の前で、そして自分自身の良心に対して説明責任を負います。
このため、西洋社会では責任は強く個人に帰属します。誰が意思決定をしたのか、どこまでの権限を持っていたのか、何を根拠に判断したのか。それを論理的に説明し、第三者が検証できる形にすることが、誠実さであり公平さだと考えられます。
責任とは、説明するもの(accountability)なのです。こうした「アカウンタビリティー」という概念は日本のビジネス文脈でも昨今は一般的になってきていると言えるでしょう。
このように、タイでのビジネスの現場では、「日本人:責任とは誰かが背負うもの」「タイ人:責任は関係性の中に存在するもの」「西洋人:責任とは説明責任を果たすこと」という三者三様の解釈が、暗黙のうちに混在しています(図表2)。

異なる「責任観」が、翻訳されないまま同じ場に置かれていることで、全員が誠実であろうとしているにもかかわらず、ズレにつながったり、誤解や沈黙を生んでしまうのではないでしょうか。決して誰かが無責任なわけではありません。
では、タイで働く日本人リーダーは、具体的に何を意識すればよいのでしょうか。第一に、「誰の責任か」を最初に問わないことです。まずは「何が起きたのか」「今、何に一番困っているのか」「どうすれば現場が回復するのか」といった状況共有の問いから入る方が、場は動きやすくなります。
第二に、責任を一人に帰結する前に、関係の中で扱う姿勢を示すことです。「誰が悪かったか」ではなく、「この問題を、私たち(we)はどう扱うか」。この問いの置き換えが、タイ人に安心感を与えます。日本的な個人に対する「責め」は、「メンツの文化」のタイ人とはあまり相性が良くないため少し控えるくらいに心得ておくと良いでしょう。
そして第三に、西洋的な説明責任は、場を分けて果たすことです。公の場ではまず調和を整えておいて、その後、必要に応じて評価や処罰の話をする。この二段階を踏むことで、調和と再発防止を両立させることができます。
タイでリーダーシップを発揮するということは、日本的な覚悟を捨てることでも、タイの文化に迎合することでもありません。目の前の文化ギャップを丁寧に紐解き、機能する形に翻訳することです。その翻訳ができたとき、「責任」という言葉は、プレッシャーを感じる言葉から、前に進むための共通言語へと変わっていくのではないでしょうか。

株式会社アジアン・アイデンティティー 代表取締役
中村 勝裕 氏(愛称:ジャック)
愛知県常滑市生まれ。上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業後、ネスレ日本株式会社、株式会社リンクアンドモチベーション、株式会社グロービス、GLOBIS ASIA PACIFICを経て、タイにてAsian Identity Co., Ltd.を設立。「アジア専門の人事コンサルティングファーム」としてタイ人メンバーと共に人材開発・組織開発プロジェクトに従事している。
リーダー向けの執筆活動にも従事し、近著に『リーダーの悩みはすべて東洋思想で解決できる』がある。Youtubeチャンネル「ジャック&れいのリーダー道場」も運営。
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Asian Identity Co., Ltd.
2014年に創業し、東南アジアに特化した人事コンサルティングファームとして同地域で事業を展開中。アジアの多様な人々を調和させ強い組織を作るというビジョンの実現に向けて、"Asia is One”をスローガンに掲げ、コンサルタントチームの多様性や多言語対応を強みに、東南アジアに展開する日本企業を中心に多くの顧客企業の変革をサポートしている。
◇Asian Identityサービスサイト
http://asian-identity.com

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