タイは製造業ハブの地位を維持できるか ~半導体産業の誘致に見る可能性と課題~

タイは製造業ハブの地位を維持できるか ~半導体産業の誘致に見る可能性と課題~

公開日 2024.07.01

筆者がマレーシアのペナンが「東洋のシリコンバレー」と呼ばれていることを知ったのは2022年12月に初めてペナンに観光旅行に行った直前のことだっただろうか。この時は世界遺産の街、ジョージタウンを観光し、かつてイギリスの植民地であり、一時期は東南アジアの海上貿易の中心地の1つとして繁栄した名残りを体感した。しかし、それ以上に驚いたのは、マレーシア半島の西海岸とを結ぶ長大な道路橋が2本もかけられ、海岸線に巨大ショッピングセンター、高層コンドミニアムが林立する経済発展ぶりだった。ペナンが東南アジアの半導体産業のメッカになっていることを実感させられた。

ペナン州の面積はペナン島(約300平方キロメートル)とマレーシア半島部合計でも約1000平方キロメートルほどで、人口も約180万人に過ぎない。こうした小さなエリアが東洋のシリコンバレーと呼ばれるまでに発展した経緯は、今週配信した「東南アジアの半導体産業の未来(下)」でも紹介したように興味深い。

タイも国家半導体委員会設置へ

6月13日付バンコク・ポスト(ビジネス4面)は、タイ投資委員会(BOI)がタイの電気自動車(EV)産業の急成長を支援するため、半導体チップへの投資拡大を計画していると報じた。BOIのナリット長官は、「われわれは半導体、スマートエレクトロニクス、そしてプリント基板(PCB)への投資を支援する必要がある」と強調。一方、ピチャイ副首相兼財務相は6月10日にセター首相が議長を務めて行われた経済関係閣僚会議で、半導体産業の労働者のスキル向上を目的に「国家半導体委員会」を設置する方針を明らかにした。同財務相は、タイは他国に比べ半導体のスキルを持つ労働者が少なく、民間産業界は国内半導体業界の労働者不足に対応すべきだと訴えた上で、タイ政府は半導体産業が高度化している台湾に訓練のためタイの労働者を送り込む計画だと明らかにした。

先週から配信を始めた「東南アジアの半導体産業の未来」の連載企画の取材では、東南アジアの中で半導体産業をリードしていくとされた国は、シンガポール、マレーシア、そしてベトナムであり、こちらから質問しない限りタイの名前が上がることはほとんどなかった。さらにタイは半導体分野での人材が決定的に不足しているとも指摘された。このピチャイ財務相の発言を見ると、タイ政府もこうした状況を課題として認識し始めたことがうかがえる。その背景には特に昨年来のタイでのEV販売の急増とEV生産の開始があるのかもしれない。そして、タイでは、ここにきてPCBの生産が拡大し、BOIもPCB業界の発展を支援し始めている

BOIは今年1月初旬に、タイでは初となるPCB業界の展示会の開催を発表した際に、「電子産業はBOIが重視する対象産業の一つだ。特に、電子機器の中核であるPCBやプリント基板組立(PCBA)の生産は、通信や医療機器、EV、ロボット、自動化、デジタルシステム、コンピューター、スマート家電など主要産業の成長の基盤となっている」と強調。タイはPCB生産では東南アジア諸国連合(ASEAN)では第1位だなどと報告している。

自動車のCASE時代にどう対応する

タイの製造業といえば、自動車産業ばかりに目が行きがちだが、エアコンなど家電、そして電子製品、特にハードディスクドライブ(HDD)も主力輸出品目だった。しかし、パソコンの記憶装置がHDDからソリッド・ステート・ドライブ(SDD)に置き換わる中で、タイ国内でのHDD生産、輸出が減少。一方で半導体関連産業の中ではローエンドとされるPCBの生産が急速に増えているようだ。さらにタイ政府やBOIは、より付加価値の高いシリコンウエハー製造など半導体の上流、ハイエンド製品も目指そうとしている。

タイの主要な国家経済戦略である「タイランド4.0」の既存のSカーブ産業の1つに「スマートエレクトロニクス」も入っており、もともと電子産業も重視していた。しかし、半導体産業を基盤とする国家戦略を長年構築してきた欧米先進国やシンガポール、マレーシアと比較するとやはり出遅れ感は否めない。CASE(Connected、Autonomous、Shared、Electric)時代の到来により、そうした状況にようやく気付かされたのかもしれない。

ハイテクでタイはベトナムの後塵拝す

6月3日付バンコク・ポスト(ビジネス4面)は、昨年、タイのGDPの54.5%を占めた輸出部門、特にハイテク製品輸出の今後に対する懸念を表明する解説記事「Trade upgrade」を掲載している。同記事はまず、「タイはハイテク製品の輸出ではベトナムの後塵を拝している。ベトナムは特にコンピューター、半導体、スマートフォンなどの川下の電子産業の生産拠点になった。タイはIC(集積回路)やPCBなどの川中の電子製品を輸出しているが、これらの製品は価格競争と技術進化に直面し、相対的に付加価値が低下している」と指摘。その上で「われわれの過去の失敗は、半導体チップ工場を誘致できなかったことだ。これらのハイテク産業はBOIが提供する投資恩典を超えるインセンティブ、例えば資本支援などを求めている」との国家経済社会開発委員会(NESDC)のダヌチャ長官の発言を紹介している。

ダヌチャ氏は、約7~8年前はHDDが好調だったためこうしたニーズを認識できなかったが、HDDの需要が減少する中で「われわれは急ぎ行動を起こさなければならない」と強調。さらに、「タイはスキルを持つハイテク労働者を育ててこなかった」との問題意識を明らかにした上で、単に恩典の提供だけでなく、ハイテク産業を支援できる労働力の提供が不可欠だと強調した。まさに、「SEMICON東南アジア2024」での取材でも指摘されていたタイの課題を認識していることが分かる。

東洋のシリコンバレーから学ぶこと

マレーシアのザフルル・アジズ投資貿易産業相はSEMICON東南アジア2024での講演で、世界の半導体ハブとしてのマレーシアの魅力を強化するためにすべきこととして真っ先に挙げたのが「インフラ」で、「15億リンギを投じたペナン国際空港の拡張は2028年に完了する。これは半導体産業を押し上げるためのロジスティクス強化に向けた政府の取り組みをアピールするものだ」と訴えた。一方、ペナンのある日系不動産会社の担当者は、ペナン在住日本人の最近の情勢について、企業駐在員や、リタイヤ後のロングステイヤーは減っているものの、最近は子連れの比較的若い夫婦が「バンコクよりも費用の安い日本人学校」や英語中心の教育環境の魅力を評価して教育移住するケースが増えていると教えてくれた。高度人材を呼び込むためにはこうした生活環境を含めたインフラ整備が不可欠だろう。

タイが東南アジアの自動車生産ハブの地位を維持するためにEVを最優先にするのは理解できる。そして、自動車の動力源が電気になるのか、内燃機関(ICE)が生き残るのかという議論とは別に、中国勢が強みを持ち始めているCASEが最大のテーマになることは間違いない。そして半導体が自動車産業の未来を大きく左右することに気付き始めたタイはあわてて半導体産業を振興しようとしている。しかし半導体産業にとって一番重要なのはスキルを持った人材であり、今から半導体人材の育成が可能なのか、間に合うのだろうか。

もともと、タイ人は「現場でのモノづくりは苦手で、マーケティングが得意」と言う話をよく聞いていた。そして現場でのモノづくりを日本人に任せ、自動車産業をけん引役にタイは先進国の手前まで発展した。EV含め次世代自動車では、より半導体の重要性が増すのは間違いない。半導体業界関係者に話を聞くと、東南アジアではモノづくりが得意なベトナムが新興勢力の最有力だという。タイが東南アジアの自動車生産ハブの座を維持したいと思うなら、半導体産業分野での他国との協業、人材育成・獲得にいかに本気で取り組んでいくのかにかかっているのかもしれない。

THAIBIZ Chief News Editor

増田 篤

一橋大学卒業後、時事通信社に入社。証券部配、徳島支局を経て、英国金融雑誌に転職。時事通信社復職後、商況部、外国経済部、シカゴ特派員など務めるほか、編集長としてデジタル農業誌Agrioを創刊。2018年3月から2021年末まで泰国時事通信社社長兼編集長としてバンコク駐在。2022年5月にMediatorに加入。

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