
公開日 2026.02.10
目次
これまでも変化の道を辿ってきたタイの経済。しかし今回は内燃機関からEVへ、量産から付加価値へ、本社主導から現地主導・ASEAN視点へと、企業の事業の進め方や判断のあり方そのものを揺さぶるものとなっている。
激動するタイ経済において日系企業には、次の成長に向けてどのような構えが求められるのか。本特集の最後では、1992年にタイ法人を構え、長年この国の変化と向き合ってきた日立アジア(タイランド)のソムサック・ガーンジャナカーン氏の視点を手がかりに考えてみたい。

日立グループとタイとの関わりは、日立アジア(タイランド)が設立された1992年以前にさかのぼる。1936年には、タイで初めて機関車を納入し、鉄道や電力といった社会インフラ分野を中心に、タイの経済発展を支えてきた。
一方で、タイ経済は1990年代以降、アジア通貨危機、政治情勢の変化、洪水によるサプライチェーンの混乱、最低賃金の引き上げなど、企業を取り巻く前提条件が大きく揺れる局面を何度も経験している。こうした環境の中で、同社はエネルギー、鉄道、デジタル・ソリューションズ、および産業機器といった分野で事業を展開しながら、タイ市場と向き合ってきた。
近年では、2018年にアマタシティ・チョンブリー工業団地内に「LUMADA CENTER SOUTHEAST ASIA」を開設(現在はバンコクに移設)しデジタル技術を活用したソリューション提供を行ったり、脱炭素を意識したエネルギーの高度化を推進するなど、事業の軸足も変化している。
日立アジアの事業内容は、タイ経済の変化に対応しながら、単なる機器供給から、社会インフラや産業全体の課題解決を支援する形へと進化してきた。
同社は、現在のタイ経済をどう見ているか。その前提にあるのは、「計画が示されるか」ではなく、「それが実行に移るか」という点だとソムサック氏は語る。例えば、国のエネルギー政策の根幹となる「電力開発計画(PDP)」だ。
本来は2022年に策定される予定だったが、現時点でも明確な形では示されていない。同社のエネルギー事業ではタイ国営発電公社(EGAT)、地方電力公社(PEA)、首都電力公社(MEA)が主要顧客であるため、国の方針が定まらなければ、中長期の事業設計は難しくなる。同氏は、この不透明さが投資判断の先送りにつながると懸念している。
また、タイではデータセンター投資が急増し、電力需要の構造は大きく変化している。求められているのは、電力の量だけでなく、安定性と脱炭素への対応だ。製造業を中心に、輸出時にはサプライチェーン全体での脱炭素対応が求められる中、国内でクリーンな電力を調達できるかどうかは、企業の競争力に直結する。
次世代電源として注目される小型モジュール炉(SMR)についても、PDPの方向性が定まらなければ具体的な検討には進みにくい。近隣国が導入に前向きな動きを見せる中、判断の遅れは機会損失につながりかねない。
この「計画と実行のギャップ」は、エネルギー分野に限らない。東部経済回廊(EEC)についても、3空港を結ぶ高速鉄道が実現しなければ、港や空港の拡張にとどまり、新たな経済圏の形成にはつながりにくいと同氏は指摘する。BOIへの投資申請額は堅調だが、今後の焦点は、これらの計画が実際に着工し、稼働するかどうかにある。企業にとっても、主要事業すべてが、この「実行力」に左右される局面に入っているという。
2026年に向けたタイ経済を、同氏は「総花的に広げる局面ではない」と見ている。政府は複数の重点産業を掲げているが、すべてを追えば、結果としてリソースが分散し、競争力を失いかねない。重要なのは、タイがすでに持っている強みを起点に、付加価値を高められる分野に集中することだ。具体的には、同氏は以下の4つの分野を挙げる。
①ヘルスケア・ウェルネス:医療観光を含めた基盤があり、そこにデジタル技術や日本企業の強みを組み合わせることで、新たな価値を生み出す余地がある。
②食品・農業加工:豊富な農産資源を背景に、単なる生産や輸出ではなく、加工やテクノロジーによる高付加価値化を進める余地は大きい。
③高付加価値型の製造業:近隣国とのコスト競争に踏み込むのではなく、品質や技術力が評価される領域で存在感を発揮する方向性が現実的。
④輸送およびデータセンター:地理およびインフラについても引き続きタイは優位性を持つため、これらのハブとして推進する。ただし、鉄道の拡張やグリーンエネルギーへの取り組みが鍵となる。
つまり、日系企業の商機は「新しい産業を探す」ことよりも、「タイで成立してきた産業を、次の段階へ引き上げる」「タイが強みを持つ基盤事業に付加価値をつける」ことにあるという。変化の時代だからこそ、どこを狙うのかを明確にし、やらないことを決める姿勢が問われている。
また、ソムサック氏は、変化の時代において重要なのは市場選択そのものよりも、本社と現地法人が同じ前提を共有できているかどうかだと強調する(図表7)。

進出目的や狙う顧客が曖昧なままでは、現地は判断に迷い、受け身になりやすい。「なぜタイにいるのか」「誰に価値を提供するのか」を、言葉として明確にすることが、すべての出発点になる。
人事戦略は、その姿勢を映す要素の一つだ。タイを若手の研修拠点として捉えるのも重要だが、その場合はタイ側からも社員を研修に送り、双方で取り組む必要がある。また、駐在員には事業を動かす即戦力が求められるという。現地側は本社の「本気度」を敏感に感じ取るからだ。さらに、現地スタッフには将来のキャリアパスを示すことが欠かせない。給与水準だけでなく、上司とのコミュニケーションや情報を引き継ぐ仕組みなどが、人材定着を左右する。
もう一つ重要なのが、現地から本社へのアプローチだ。本社は現地の細かな環境変化や顧客の感覚を把握しきれない。だからこそ現地法人は市場で起きている変化や判断の論点を整理し、自ら本社に伝える必要がある。本社からの指示を実行するだけでは、環境変化のスピードについていけない。その際、社内の経験や感覚だけに頼らず、外部の客観的な分析を参照することも有効だ。
日立アジアでは、TDRIのエグゼクティブ向け情報サービス(EIS)を活用し、政策方針の背景や制度上の論点を整理した上で、本社との議論に臨んでいるという。第三者の分析を材料にすることで、感覚論に陥らず、判断の背景を共有しやすくなるという。
タイは、これからも姿を変え続けるだろう。しかし変化は、タイの強みや自社の価値に新たな発見をもたらし、現地と本社が同じ地図を見ながら強い体制を整えていく機会を与えてくれる。ソムサック氏の視点は、環境変化を前提にした経営のあり方と、その先に広がる可能性を示している。

THAIBIZ編集部
サラーウット・インタナサック / 和島美緒


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