
公開日 2026.01.09
地政学的緊張が高まる中、タイ経済は重大な転換期を迎えている。不安定な国際情勢の中にあっても、タイを含むASEANは生産拠点移転の動きを背景に投資流入を維持しており、新興国市場を中心に堅調な成長が見込まれている。
昨年11月5〜7日に開催された第6回「ザ・スタンダード経済フォーラム2025」では、タイ・日本の政財界のリーダーが一堂に会し、タイ経済の課題と今後の機会について率直な議論が展開された。本稿では、同フォーラムのハイライトを紹介し、タイの将来性や投資機会、さらに日本企業が押さえておくべきポイントを整理する。

目次
タイは昨年も景気減速や家計債務が問題視される中、ペートンタン首相が1年余りで失職し、アヌティン首相率いる暫定政権が発足した。同首相は、同フォーラムの基調講演に登壇し、短期的に明確な成果を生みつつ、中長期的な成長にも寄与する「クイック・ビッグ・ウィン」政策を紹介した。
具体的には、消費刺激策や債務再編の加速による景気と流動性の回復を目指すとともに、持続可能な成長の基盤づくりとしてグリーン経済への転換に注力するという。カーボン排出削減とクリーンエネルギーの拡大を進めることで、エネルギー、テクノロジー、関連サプライチェーンにおける新たなビジネス機会の創出が期待されている。
同首相はまた、「タイは『中立外交』を明確に掲げ、公正性と信頼性を基盤とする地政学的立場を構築することで、国際的信頼の向上と将来的な経済協力開発機構(OECD)への加盟目指す」と表明した。

「新たな地政学的時代に向けたタイの投資誘致戦略」に関する講演に登壇したタイ投資委員会(BOI)のナリット長官は、ASEAN全体の投資トレンドについて「世界全体の海外直接投資(FDI)は2024 年に11%減少したにも関わらず、ASEANへの投資は8%増加している(図表1)。

背景には、地政学リスクの分散を目的とした動きが強まっていることが挙げられ、中国に生産拠点を置く多国籍企業が、より安定した地域での代替拠点を模索する中、ASEANが注目を集めるようになった」と説明した。この投資トレンドは地域経済全体を押し上げ、ASEAN各国が生産拠点シフトへのメガトレンドの恩恵を享受できる可能性を示している。
また「ASEANは輸出、製造業、労働力の質、さらには物流効率など、すべての指標において他地域を上回る強みを持つ。タイにおいても、世界的な構造変化や国内戦略と合致する分野を中心に、投資は堅調に拡大している」と続けた。主な投資対象分野は次の通りだ。
・次世代自動車、電気自動車(EV)と関連部品
・スマートエレクトロニクスおよび半導体
・デジタル産業と人工知能(AI)
・スマート農業とフードテック
・バイオテクノロジー
・クリーンエネルギー
さらにクイック・ビッグ・ウィン政策のもと、新たに承認された「Thailand FastPass」制度を紹介した。同制度は大規模かつ戦略的な投資に対し、あらゆる手続きを迅速化するものだ。
同長官は「複雑な規制の緩和から、公共インフラ(電力・土地など)への接続支援、ビザ・労働許可証の発行手続きの円滑化、高度人材育成の支援まで、投資実行に必要なプロセスを包括的にサポートする仕組みとなっている」と説明した。
今回のフォーラムは日経アジアとの協力により、複数の日本人リーダーが登壇したことでも注目を集めた。

基調講演に登壇した在タイ日本国大使館の大鷹正人大使は、日タイの経済関係と今後の投資の方向性について、「日本は2022年までタイへの投資額で首位を維持していたが、その後は中国とシンガポールに追い抜かれた。しかし、日本からタイへの投資は安定性が高く、累計投資額は約40兆バーツで依然としてタイへの最大投資国だ」とし、「日本企業は、自動車・部品産業、化学・電子産業、AI技術、環境・バイオマスエネルギー、先端医療技術、宇宙探査、食品産業など、多岐にわたる分野に大きな可能性を見出している」と明かした。
大鷹大使はまた、タイが直面する政策課題についても言及した。「脱炭素化を実現するためには、クリーンエネルギーを基盤とした電力供給が不可欠だ。EVを推進する一方で化石燃料由来の電力への依存が続けば、温室効果ガス削減の実効性は限定的になる恐れがある」と警鐘を鳴らした。EV市場において既存自動車メーカーと新興企業の双方に公平な競争環境を整えることの重要性も強調した。

タイを中心にベトナムやラオスで工業団地開発を手がけるアマタ・コーポレーションのヴィクロム・クロマディット会長兼最高経営責任(CEO)は「現在アマタ工業団地内に入居する工場の70%を日本企業が占めているが、日本企業の大メコン圏(GMS)における投資動向には顕著な変化が見られ、ベトナムへの関心が一段と高まっている」とした上で、「ベトナムは年率10%という高い経済成長目標を掲げ、外国投資を積極的に誘致しているため、従来の『タイ・日本協力モデル』だけでは、新たな競争環境に対応できなくなりつつある。タイは経済連携の在り方を再定義し、地政学的要請を踏まえたより高度な戦略構築が求められている」と強調した。
さらに、同CEOは「タイは中国の『一帯一路』構想を好機として捉え、国際的なビジネス・投資ネットワークの拡大を図るべきだ」とし、「アジア産業に大きな影響力を持つ日本と中国という2大経済圏の間で、タイがハブとして機能し、双方にとってプラスとなる協力関係を育むことが、地域全体の発展につながる」との見解を示した。
タイ銀行協会会長を務めるクルンタイ銀行のパヨン・スリワニット頭取は、現在の世界経済の発展動向について、「世界の成長エンジンはASEAN、アジア、中東に移りつつある」と指摘した上で、米コンサルティング会社マッキンゼーの調査(2025年)を例に挙げ、「今後の世界経済は、従来のグローバリゼーションの時代から、域内または同盟国間での貿易が集中する新たな局面へ移行していくとの見方が強まっている」と説明した。
また「世界経済を牽引してきた先進国を中心とする貿易は減速する一方、新興国市場に属する国々の貿易は拡大傾向にあり、世界経済の潮流は確実に変わりつつある」と指摘した。
一方で、「タイは経済成長率が著しく低下しており、ベトナムやインドネシア、マレーシアなどの周辺国と比較しても、将来的な成長率は最も低いと予測されている」という。タイ経済の構造的な問題として、同頭取は「経済がバンコクとその周辺地域に一極集中、高水準な家計債務、正規雇用と非正規雇用の間で広がる所得格差、若年層の失業率の増加」などを挙げた。
「タイのサプライチェーン高度化戦略」をテーマとしたパネルディスカッションでは、タイは今後どのようにして外国からの投資を誘致すべきかについて議論が行われた。
パネリストには、奇瑞汽車(チェリー)傘下のブランドOmoda&Jaecoo(Thailand)のセドリック・ツイ社長、国民党のウィラユット・カンチューチャット氏、タイ工業連盟(FTI)のウィブーン・ラックサートチャロンポン副事務局長が参加した。
ウィブーン副事務局長はまず、タイがハイテク産業のエコシステムにアクセスできていない構造的課題を指摘した。「タイはEVの生産工場を誘致できても、国内の部品メーカーとの連携は進んでおらず、サプライチェーンは未完成のままである。タイの製造業者が EV部品市場に参入しても、中国の製造業者は30〜40%の補助金を受けているため、価格競争では中国には勝てない。このままでは長期的にもグローバルサプライチェーンに組み込まれることは難しいだろう」との見解を示した。
同副事務局長は「タイは補助金による競争に頼るのではなく、よりフェアな産業、例えば、AI技術に直結するデータセンターや画像処理装置(GPU)などの産業に焦点を当てるべきだ」とし、「これらの分野の強みは高度な技術力であり、補助金による競争ではない」と明言。
さらに、「ある国が優れたソリューションを開発すれば、グローバル企業はその国から購入せざるを得なくなるだろう」と付け加えた。
セドリック社長は、同副事務局長の発言を受けて、「タイがハイテクエコシステムの構築を目指すのであれば、世界で最も進んだ技術を理解することから始める必要がある」と指摘。
「最前線にあるのが“自動運転技術”であり、これは今後5〜10年で自動車産業を変革する技術となる」と予測した上で、「この分野では、タイが適切な戦略を打ち出せば、イノベーションで競争優位性を確立できる可能性がある」と展望を述べた。
ウィラユット氏は、「タイ経済の構造は依然として過度に外国に依存している」と指摘。「タイの国内総生産(GDP)に占める輸出の割合は60〜70%に達しており、国内需要が十分ではない。FDIを主な推進力とすることや単にサプライチェーンを誘致することに依存すべきではない」と警鐘を鳴らした。
重要なのは「企業が専門的な能力を持つことと、グローバルサプライチェーンに自力で参入できるようにすることだ」と強調した。
こうした構造的な課題により、タイのGDP成長率は依然として5%を下回っている。タイが高所得国へ移行するためには、方向性を明確にし、世界的なメガトレンドに直結する高成長産業に重点投資する必要がある。世界銀行のタイ・ミャンマー担当メリンダ・グッド局長は、今後のタイ経済の成長を支える「5つの未来産業」を示した(図表2)。

環境・サステナビリティ関連製品の需要は急速に拡大している。特にEVは2030年までに5倍、太陽光パネルは3倍に拡大すると見込まれており、グリーン製造はタイの新たな成長エンジンとなる。
プロンプトペイ(PromptPay)、Eコマース、電子ウォレットなど、タイはASEANでも有数の強固なデジタルインフラを有している。このため、旅行テック、ウェルネスプラットフォーム、さらにはデータセンター拡大に伴うクリーンエネルギーや冷却水システムといった新産業への波及効果が期待される。
世界では安全性、トレーサビリティ、環境配慮型食品への需要が高まっている。スマート農業やスマート水管理の重要性は増しており、農業大国としての強みを持つ一方、生産性はASEANや世界平均を大きく下回っており、改善が急務である。
アジア太平洋地域の観光客数は2040年までに70%増加するとされ、ラグジュアリー化、個別化、サステナビリティ志向が一段と強まる。タイの観光産業は、質を重視し、医療・健康分野の強みを中核に据えた発展が求められる。
デザイン、メディア、文化、ストーリーテリング技術を含むクリエイティブ産業は、タイが潜在能力を有する分野である。しかし、タイの同産業への従事者は国内労働力の1.8%に過ぎず(韓国や米国では6.7%)、人材不足が成長の大きな障壁となっている。
同局長は、これらの5つの産業を発展させるためには、「AIや持続可能性、文化面において高度なスキルを持つ人材育成と、バンコクや東部経済回廊(EEC)のほか、地方都市にも開発を広げ、優れた人材が国内に留まる環境を整備することが重要で、新しい経済圏を作り上げることが求められている」と強調した。
「ASEANの次なるフロンティアを形づくる日タイ共創」と題するパネルディスカッションでは、ASEANにおけるタイと日本のビジネスリーダーが戦略的視点から意見を交わした。モデレーターを務めた日本経済新聞社の藤原豊秋氏は、「タイと日本が現在の変化にいかに協働して対応し、地域全体の競争力を維持していくか」との問いを投げかけた。
まずアマタ・コーポレーションのヴィクロムCEOが、「タイは中立性を戦略へ転換すべきだ。日本・中国・米国のいずれかを選択するのではなく、三者の強みを結びつける“協力のハブ”として機能することで付加価値を創出できる」と述べた。
「日本と中国がタイを生産拠点として共同製造を行い、その製品を欧米に輸出する」というモデルを例に挙げ、「これによりタイは新たな地政学的ハブとしての地位を確立できる」と語った。
一方、アユタヤ銀行(日系企業部門長)の大久保文世副頭取は、タイが質の高い投資を呼び込むためには、「①将来産業を支えるクリーンで安定したエネルギー供給、②新技術を理解し活用できる高度人材の育成、③一貫性があり信頼性の高い政策とインセンティブ—の3点を早急に強化すべきだ」と提言。
また「タイが持つ資源および市場の潜在性と、日本企業が有する技術力を組み合わせることができれば、タイはASEANにおけるイノベーションハブとしての地位を確立できるだろう」と述べた。
タイ・ホンダの岩波浩司社長兼CEOは、自動車産業の現状について「EV市場における中国メーカーの台頭により競争が激化しているものの、タイは依然として当社にとってアジアで最も重要なパートナーである」と強調した。
同CEOは「現在、自動車産業は中国EVの攻勢により厳しい状況に置かれているが、われわれは“スピードより信頼”を重視し、ハイブリッド車(HEV)とEVの双方を開発するとともに、自社製のバッテリーやエネルギーマネジメントシステムへの投資も進めていく」と方針を述べた。
また、「われわれは技術と並行して人材育成にも注力している。技術面とデジタル面の双方で高度なスキルを備えた人材を育て、タイを“安価な労働力の生産拠点”ではなく“イノベーションを生み出す拠点”へと進化させ、タイ社会とともに成長していきたい」と意欲を見せた。
同パネルディスカッションの最後には、登壇者全員が「日本企業にとって最も重要なのは『経済の安定性と政策の継続性』である。タイがこれらを維持できれば、日本からの信頼と投資は今後も長期的に継続していく」との共通認識を示した。
同フォーラムでは、グローバル企業にとってASEAN地域の魅力が改めて強調された一方、域内最大の日系企業の集積地であるタイの経済成長率の低迷と構造的な課題が浮き彫りになった。しかし、悲観すべきではない。同フォーラムで示された5つの成長産業は、いずれも日本企業が技術的優位性を持つ分野だ。
日本企業に求められるのは3つの戦略転換である。第一に、中国との価格競争を避け、自動運転・データセンター・先端医療など高付加価値分野での優位性を構築。第二に、タイの中立外交を活用し、タイを中国やASEAN市場を結ぶ戦略的拠点として再定義。第三に、累計40兆バーツの投資実績を背景とした、タイ政府との政策対話を通じた投資環境の改善だ。
タイの「中所得国の罠」からの脱却も、日本企業の持続的成長も、共に構造改革を推進する覚悟にかかっている。タイ・ホンダが掲げる“スピードより信頼”という哲学こそ、長期視点でパートナーシップを築く日本企業の本質的な強みであり、それこそがタイで最も必要とされている資質ではないだろうか。

THAIBIZ編集部
岡部真由美


米中対立の今、タイが選ばれる理由 〜WHAの新・共創戦略〜
対談・インタビュー ー 2026.01.09

タイ経済2026、構造転換の「停滞」を打破できるか 〜 ザ・スタンダード経済フォーラム2025年
特集 ー 2026.01.09

セキュリティ対策の基本「特権ID管理」を見直し、ASEAN拠点の経営を強化 〜日本国内シェアNo.1のPAMツールiDoperation、タイでも導入可能に〜
DX・AISponsered ー 2026.01.09

タイ、日本企業誘致へ再注力 – WHAグループが日本に向け、タイ投資戦略セミナーを開催
ビジネス・経済 ー 2026.01.09

2025年モーターエキスポに見る中国勢の最新動向
自動車・製造業 ー 2026.01.09

取引競争法(2)
会計・法務 ー 2026.01.09
SHARE