カテゴリー: ビジネス・経済
公開日 2017.05.31
もとよりGDP成長率は、あくまでも経済「全体」の状況を示すものであって、国民「全員」の状況を示すものではありません。つまり、経済全体が良くなっても、全ての国民の生活状況が良くなるわけではありません。同時に、景気回復の実感はあくまでも主観的なものであって、そもそもいつの時点と比較するか、また何を持って景気回復とみなすかなどは人によって異なるものです。一方で、日系企業関係者のいわば肌感覚に変化がみられることは、タイ経済において、これまでとは何か異なる構造的な変化が起こっている可能性も否定できません。
図表1は、企業部門の動向を表す代表的な指標と実質GDPの伸びを比較したものです。これを見ると、2013年までは設備稼働率や生産がGDPを上回る伸びをしていたものの、それ以降はGDPの伸びを下回っていることがわかります。輸出数量にいたっては、ほとんど伸びていません。つまり、GDPは成長しているものの、より企業関係者の肌感覚に近いと思われる、生産や輸出などの数量ベースの指標がGDPほど伸びていないことがわかります。とりわけ、設備稼働率がピーク時と比べて落ち込んでいることから、一国全体としてみると、設備の稼働率を落とし、いわば生産調整を行っている状態と言えます。
この生産調整の背景にあると思われるのが、企業利益の動向です。タイの企業が全体として、どれくらいの利益をあげているのかという点についてはデータ上の制約があるため、ここでは国際的な共通のモノサシである、SNA(System of National Accounts、国民経済計算)統計(※1)を用いて、企業が生み出している付加価値の合計を確認してみます。
図表2は、国民所得に占める企業利益(SNA統計上の「営業余剰」)の推移を示しています(※2)。これを見ると、11年にピークをつけた後下落し、足下では横ばいとなっています。これは、分母である国民所得は経済成長が続く中で着実に伸びているのに比して、分子である企業利益はそれほど伸びていないことを反映したものであり、足下では、相対的に企業の稼ぐチカラが弱まっている可能性が指摘できます。
では、なぜこのような現象が起きているのでしょうか。もとより、企業が生み出す付加価値の変化には様々な要因が考えられるため、一つの要因に特定することは困難ですが、マクロ的な観点から以下の2点を仮説として挙げたいと思います。
(1)原材料価格の変化を、取引価格に十分に転嫁できていない可能性
図表3は、生産者物価指数(※3)の推移を示したものです。生産者物価とは、出荷や卸売りなど、企業間で取引するモノの価格動向を示すものであり、モノの需要段階ごとに燃料などの「素原材料」、部品などの「中間財」、最終製品の「最終財」の3つに大きく分類されます。
これを見ると、上述の企業利益が落ち込んだ時期(2011年〜13年)とほぼ同時期において、「素原材料」や「中間財」の価格が、「最終財」の価格を上回っていることがわかります。企業がコスト上昇分を、取引価格に十分に転嫁できていないことを示していると言えるでしょう。
この理由は様々あると思われますが、「素原材料」などの価格と比して、「最終財」価格の変動幅が小さいことなどから、企業間での厳しい競争環境の影響などもあって、企業がコスト変動分を取引価格に反映しにくい市場環境となっていることがうかがえます。
(2)企業の新陳代謝が進まない中で、既存の企業間でパイの奪い合いをしている可能性
図表4と図表5は、2016年に世界銀行がタイの企業1000社に対してアンケート調査を行った結果です。
ここからは、①タイの企業は全体的に売上が落ち込んでおり、中でも従業員19名以下の小企業の売上の落ち込みが顕著であること、②タイの企業は他国と比較して全体として歴史の古い企業が多く、中でも従業員100名以上の大企業は、社齢が高い傾向にあること―などが読み取れます。
データ上の制約もあって詳細な分析はできませんが、一般には企業の新陳代謝(企業の開業率と廃業率の双方が高いこと)を高めることで、経済全体の成長力を高める効果があると言われています。タイにおいては、企業の新陳代謝が進まない中で、結果として古い企業が生き残り、既存の企業間でパイの奪い合いをしている可能性が示唆されます。
多田 聡 一等書記官
マクロ経済担当。内閣府より2015年夏から在タイ日本国大使館に出向、現在に至る。
内閣府では「月例経済報告」や「経済財政白書」の作成等に携わる。趣味はテニスとボランティア活動
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