カテゴリー: ASEAN・中国・インド
連載: 川島博之が読み解くアジア
公開日 2022.11.08
胡錦濤前国家主席が途中退席する衝撃的な映像とともに中国共産党の第20回党大会は閉幕した。この大会によって習近平独裁が確立したと言える。それはタイとベトナムにどのような影響を与えるのであろうか。ここでは経済と安全保障の両面から考えてみたい。
世界第2位の経済大国になった中国は東南アジアの経済に大きな影響を及ぼしている。日本貿易振興機構(ジェトロ)によると、2020年のタイの輸出総額は2310億ドル、輸入総額は2060億ドル。輸出先の第1位は米国で全体の14.8%、2位は中国で12.9%、日本は3位で9.8%。一方、輸入先は中国が24.2%でトップ、それに日本の13.4%が続いている。
ベトナムの輸出総額は2820億ドル、輸入総額は2620億ドルと、国内総生産(GDP)の3626億ドル(2021年)のうち大きな割合を占めており、ベトナム経済は貿易によって牽引されている。そんなベトナムの輸出先第1位は米国の27.3%。中国は2位で17.3%、日本は3位で6.8%、輸入先は中国が32.0%と突出して多く、それに韓国の17.9%が続いている。日本は第3位で7.7%に過ぎない。
両国の貿易において中国と米国は重要な存在になっている。タイとベトナムは中国から部品を輸入して、それを組み立てて米国に輸出している。そんな構造になっている。
天安門事件のほとぼりが冷めた1990年代後半からトランプ政権ができる頃まで、米国と中国との関係は良好だった。それは”チャイナメリカ”と呼ばれ、米国の投資と技術によって中国は世界の工場としての地位を確立した。米国は投資によって利益を得るとともに、中国から安価な工業製品を大量に輸入した。米国が過度な金融緩和を行なってもインフレにならなかった理由は、中国から大量の工業製品を安価で輸入できたことが大きい。それは両国間に大きな貿易不均衡をもたらしたが、これまでのところ基軸通貨であるドルの地位が揺らぐことはなかった。
しかし、中国の経済規模が米国を上回るようになるのではないかと噂されるようになると、両国の関係は急速に悪化した。覇権国と新興国との対立、いわゆる“ツキジデスの罠”にはまったと言ってよい。今後、両国の経済はデカップリングに向かおう。
そのような中で、ベトナムは投資ブームに沸いている。中国に向かっていた米国の投資がベトナムに来るようになったからだ。中国から引っ越してくる工場もある。米中対立によって、ベトナムの工業化は一気に進みそうだ。ベトナムほどではないにしても、タイも同じような状況にある。東南アジア諸国が世界の工場になるチャンスが訪れた。経済面では、米中対立の激化は東南アジア、特にベトナムにプラスに作用している。
そんな動きに安全保障問題が一石を投じている。そもそもタイとベトナムは歴史的にも中国と密接な関係を有していた。日本は中国の朝貢国ではなかったが、タイとベトナムは朝貢国だった。歴史の中でベトナムは中国と何度も戦火を交えたが、そんな関係から中国のご機嫌をとることは安全保障において極めて重要な課題になっていた。
ベトナムが頻繁に朝貢していたことは容易に理解できる。その一方で、タイはベトナム以上に中国に朝貢していた。グエン朝がベトナムを統一した1802年から1850年の間にベトナムは清朝に13回朝貢したが、同じ期間に「シャム」は23回も朝貢している(「ベトナムの世界史」古田元夫、東大出版会、1995年)。ベトナムだけでなくタイの安全保障にとっても中国は重要な存在だった。中国の機嫌を損ねると、中国が攻め込んで来るだけでなく、周辺の部族や反体制派に力を貸すことによって政権が不安定化する。大国の周辺に住む小国は大国の顔色を伺わざるを得ない。
そんな中国が米国と対立し始めた。その結果、安全保障の面でタイもベトナムも極めて難しい舵取りを求められるようになった。特に問題になるのが「台湾有事」である。
今後、中国が本気で台湾への侵攻を企図した場合、世界の国々は旗色を鮮明にすることが求められよう。日本は中国の軍事侵攻に対して米国の側に立つと考えられるが、タイとベトナムはどのような判断をするであろうか。それを考えるヒントが現れた。
ベトナムと中国の両国は10月26日、ベトナム共産党のチョン書記長が10月30日から3日間の予定で北京を訪問し習近平総書記と会談すると発表した。
チョン書記長は2016年から汚職退治を続けている。その手法は習近平に似ているとも言われるが、独自の派閥を形成しないなど習近平とは異なる面もある。ただ、あまりに汚職退治を強引に推進したために、反対派が増えて暗殺に怯えているとも言われる。チョン書記長はベトナムでは数少ない親中派とされ、今回の訪中は国内の反対派と対峙する中で、習近平に後ろ盾になってくれるように頼むためだとも囁かれている。
ただ、それはチョン書記長を悪役に仕立てるための一面的な解釈だろう。チョン書記長の訪中の真の目的は、中国が南沙諸島や西沙諸島にこれ以上進出しないと約束する代わりに、台湾有事の際にベトナムがいち早く中国支持を表明することを密約するためだと考えられる。現在、ベトナムは米中対立によって漁夫の利を得ている。中越関係を平和的に維持することができれば、次の10年間、ベトナムは順調に経済発展することができるだろう。チョン書記長がいち早く習近平の独裁を支持した背景にはそんな思惑が見え隠れする。
ただ、それは米国との関係を考えるときにマイナスである。現在、ベトナムでは政治的にも経済的にも米国との関係を強化したいと考える人が多く、今回のチョン書記長のいち早い訪中に多くの人々が戸惑いを感じている。このことを見ても分かるように、米中対立の中で東南アジアの国々は難しい判断を迫られている。
習近平独裁に対して、ベトナムはいち早く対応した。それは親中派とされるチョン書記長の個人的な資質もあろうが、中国と国境を接し何度も戦った経験のある小国の知恵とも言える。
タイは中国と国境を接していないために、ベトナムほど中国の脅威を感じていないようだが、今後、「新冷戦」が激化すれば旗色を鮮明にしなければならない場面に遭遇しよう。タイも難しい舵取りを迫られる。タイは歴史的に外交巧者であったが、今後どのような選択をするのであろうか。親日国のタイが今後どのような判断をするのか、日本としても目が離せない。
ベトナム・ビングループ主席経済顧問
Martial Research & Management Co. Ltd.,
チーフ・エコノミック・アドバイザー
川島 博之 氏
1953年生まれ。77年東京水産大学卒業、83年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得のうえ退学(工学博士)。東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、ロンドン大学客員研究員、東京大学大学院農学生命科学研究科准教授などを経て、現職。
主な著書に『農民国家・中国の限界』『「食糧危機」をあおってはいけない』『「食糧自給率」の罠』『極東アジアの地政学』など。
近著として「日本人の知らないベトナムの真実」を執筆。
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