カテゴリー: 自動車・製造業, バイオ・BCG・農業
連載: 経済ジャーナリスト・増田の眼
公開日 2023.10.25
タイ政府は、今後5年間の東部経済回廊(EEC)への実際の投資額として5000億バーツを目標にするとの方針を表明した。10月18日付バンコク・ポストによると、セター新政権になってから初めてのEEC政策委員会後、プームタム商務相はEEC域内にさまざまな分野での外国投資を呼び込むために99日以内に長年の障害を取り除く方針だと表明した。政権が変わってもタイ政府は前政権のEEC戦略を継続する方針を改めて示した形だ。
実際、EEC地域内の外国企業を中心とする新規進出、投資は順調のようだ。ただ個人的に気になっていたのは、民間の工業団地会社がビジネスとして着々と展開している工場誘致よりも、政府主導で進めている特定産業向けの促進地域である「EECh」「EECg」「EECi」などの名称の支援インフラ開発計画がどうなっているかだ。特にこの中では整備が進んでいるという「EECi」の現場を見たいと思っていたが、今号のFeature記事で紹介したメディアツアーに筆者も参加することでEECiを初めて見ることができた。
バンコク市中心部から車で直行すれば2時間あまりだろうか。チョンブリ県の内陸部からラヨン県に入ってしばらくのところにあるのが「EECi(Eastern Economic Corridor of Innovation)」だ。この施設があるエリアは「ワンチャンバレー」と呼ばれている。今回のメディアツアーのアレンジをしてくれたPR会社の担当者は、「これはタイのシリコンバレーを目指しています」と説明してくれた。多分、シリコンバレーの歴史的意味をあまり知らないのだろうと思った。
バイオ・循環型・グリーン(BCG)戦略が打ち出される前、プラユット政権の最大の経済戦略だったのが東部経済回廊(EEC)計画で、タイ政府が具体的にどのような支援をする計画なのかを知ることができるのが特定産業分野を促進するハブ「EEC~」だ。そしてこの取り組みがタイ経済発展のさらなる起爆剤になるのかは先行事例である「EECi」の現場を見れば少しは分かるのかなと思った。実際にEECiを訪れて、本部(Headquarter)ビルはほぼ完成していることは確認できた。ただ、まだ人影はまばらで、敷地内を何カ所か見学しても、忙しく駆け回るビジネスマンの姿はほとんどなかった。
EECiのマスタープランでは、企業が入居する「イノベーションゾーン」2地区のほか、教育機関や研究所を誘致する「エデュケーションゾーン」、ホテルやアパートなどを整備する「コミュニティーゾーン」に分かれている。そして、農業やバイオ技術の「BIOPOLIS」、自動化・ロボティクス分野の「ARIPOLIS」、食品イノベーション分野の「FOOD INNOPOLICE」、さらには航空・宇宙技術分野の「SPACE INNOPOLICE」の4つのプラットフォームで構成される。
促進する具体的な産業としては、①近代農業②バイオリファイナリー③バッテリーと先端輸送システム④自動化・ロボティクス・インテリジェントシステム⑤航空⑥医療機器-の6産業を想定している。このうち、今回のツアーでは先端的なビニールハウスを見学したほか、実証用か、研修用か分からなかったが、自動化・ロボティクス機器を設置した部屋を外から見ることができた。日系企業が既にタイでも導入している自動化・ロボティクスの設備と比較した場合の水準は、専門家ではない筆者が遠目で見ただけではよく分からなかった。
改めて東部経済回廊(EEC)事務局が配布している資料から、「特定産業向け促進地域(Promoted Zone For Specific Industry)」とは何か、簡単に紹介しておこう。同地域は現時点で次の7カ所が指定されている。
(1)EECh(High-Speed Rail Ribbon Sprawl)=バンコク都のドンムアン、サムットプラカン県のスワンナプーム、ラヨン県のウタパオの3空港を連結する高速鉄道と周辺開発(投資総額2245億バーツ)
(2)EECg(Genomics Thailand)=チョンブリ県バンセーンのブラパー大学を中心に、次世代シークエンス技術などを活用したゲノム医療のハブ(同12億5000万バーツ)
(3)EECd(Degital Park)=チョンブリ県シラチャで世界水準のデジタルイノベーション開発の人材育成、データセンター整備などの投資ハブ(同500億バーツ)
(4)EECmd(Medical Hub)=チョンブリ県のタマサート大学パタヤキャンパスで、高齢化社会支援の先端研究センターなどを整備(同80億バーツ)
(5)EECa(Eastern Airport City)=ラヨン県ウタパオ空港をハイテク製品の輸出や海外旅行の拠点とするなど航空関連産業のハブ(同2900億バーツ)
(6)EECtp(Tech Park Ban chang)=ラヨン県バンチャン地区を先端技術イノベーションの中心地として整備(同200億バーツ)
(7)EECi(Inovation Platform)=ラヨン県ワンチャンバレーをバイオ分野など未来の産業の研究ハブとして整備(2885億バーツ)
筆者が2018年4月に初めてタイ・バンコクに赴任して以後しばらくは、東部経済回廊(EEC)に関するニュース記事ばかり書いていた記憶がある。昔のイースタンシーボード開発をきっかけに始まったタイ東部3県の工業団地開発、製造業誘致の成功を踏まえて、タイ政府としてさらなる産業発展につなげたいのだろうと思った。しかし今回EECiを見て、日本でも山のようにあるが、政府の資金で「箱物」を作るだけでは、イノベーション力のあるベンチャー企業がどんどん集まるとは限らないのではと感じた。
ワンチャンバレーは、タイでは珍しく山に囲まれ、地形的には「バレー」的な要素はある。しかし、米国のシリコンバレーのように若い起業家、外国の最先端企業などの優秀な人材が集まる魅力的な場所になれるのだろうか。タイ東部3県はこれまで民間工業団地会社の積極的な開発とタイ投資委員会(BOI)の投資奨励制度によって拡大してきた。そして「東洋のデトロイト」と呼ばれるまで、東南アジアの自動車産業の集積地になった後で、EEC開発計画が打ち出された。
EECiは、国営タイ石油会社(PTT)が保有している土地で開発が進められた。PTT自体が脱化石燃料ビジネスへのシフトを急ぐ中で、EECiへ積極的にコミットし、バイオ関連産業にも注力しつつあるのは理解できる話だ。タイ政府は数年前からBCG経済戦略を打ち出し、タイのもともとの強みが農業、食品、そしてバイオ産業であることは明確に認識している。EECiの6つの重点産業のうち、①の近代農業と②のバイオリファイナリーはまさしくBCG戦略に沿ったものだ。ただ現時点では、EECiがこうした産業分野のハブになれるのかは未知数だ。
先日、観光旅行でマレーシア北西部にあるペナン島を訪れた。ペナンは、英国の植民地時代から東南アジア、マラッカ海峡における海上交易の中心地で、港湾経済が栄えた。その中心地ジョージタウンは当時、クアラルンプールより繁栄し、人口も多かったが、1960年代に自由貿易港の地位を失ってからは経済も衰退の一途をたどった。それが1970年代以後、インテルやヒューレット・パッカード、AMD、日立製作所(現ルネサスエレクトロニクス)など大手ハイテク企業の誘致に成功してからは「東洋のシリコンバレー」に変貌を遂げた。
ペナン島の面積は293平方キロメートルと西表島よりやや大きい程度だが、対岸のマレー半島のスブランプライ地区を含めると面積は約1000平方メートル、人口は約180万人と首都クアラルンプールに次ぐ規模の都市圏になる。ペナン州への投資促進を担う州政府機関「Invest Penang」によると、ペナン州は2019年には、世界の半導体輸出額の5%を占めた。現在350社以上の多国籍企業、3000社以上の中小製造業関連企業があり、電気電子産業のサプライチェーンができつつあるという。そして、ペナン州には、東レ、キャノン、ルネサス、イビデンなどの日系大手企業も進出し、ペナン総領事館が担当する北部6州の在留邦人数約3000人のうち、ペナン州に2500人近くが居住しているという。日本人の間では古くは「東洋の真珠」という言葉とともに観光地のイメージしかないペナンだが、いつから東洋のシリコンバレーと呼ばれるまでになったのか。EECの将来を占う上で改めて取材してみたいと思った。
THAIBIZ Chief News Editor
増田 篤
一橋大学卒業後、時事通信社に入社。証券部配、徳島支局を経て、英国金融雑誌に転職。時事通信社復職後、商況部、外国経済部、シカゴ特派員など務めるほか、編集長としてデジタル農業誌Agrioを創刊。2018年3月から2021年末まで泰国時事通信社社長兼編集長としてバンコク駐在。2022年5月にMediatorに加入。
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