なぜタイ人は日系企業を辞めるのか?

ArayZ No.142 2023年10月発行

ArayZ No.142 2023年10月発行なぜタイ人は日系企業を辞めるのか?

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なぜタイ人は日系企業を辞めるのか?

公開日 2023.10.09

今後の“突破口”はどこにあるのか

座談会から、日系企業で起こっている問題の輪郭が見えてきた。ここからは、もう少し議論を発展させてチャンスはどこにあるのかを考えていきたい。日本企業にはまだまだ底力はあるし、タイ人からもリスペクトもされている。タイで長く日系企業や日本人を見ている識者とのディスカッションを通じて、「突破口」はどこにあるのかを探ってみたい。

「柔軟性」でタイ人スタッフを惹きつける – パーソネルコンサルタント 小田氏

まず最初は、30年以上にわたってタイ社会、およびタイの日系企業を見てきたパーソネルコンサルタントの小田原靖氏に、日系企業を取り巻く変化について聞いてみた。

「90年代、2000年代のタイは、良い会社、イコール日系企業でした。今は日系企業だけが良い会社ではなく、タイ企業にも良い会社が十分にあります。そんな中で、雇用条件が日系企業よりも良いタイの会社も沢山あり、優秀な人を日系企業が採用する事が難しくなってきています」

小田原氏が言うように、タイの歴史の中で、90年代以降でタイ人材を育ててきたのは日系企業であることは間違いない。だが、そんな彼らがそのまま日系企業の経営を担うケースは多くなく、自分で独立して商社や部品企業を経営している。

日系企業の幹部に上り詰めるには、日本本社との調整ができたり、または日本語が高いレベルでできないと難しい。タイは良くも悪くも日本語人材が豊富なので、逆に日系企業における英語化はあまり進んでいない。いまだにタイ人からは「日本語が出来ないと偉くなれない」と思われている企業が多いのが事実だ。ではタイ人から選ばれる魅力的な会社づくりはどうしたらできるのだろうか。

「今は日系かタイ系かに関係なく“いい会社”だから選ばれる時代です。日系企業は“こうでなくてはいけない”というルールや思い込みが強すぎる傾向があります。例えばコロナの時期に増えたワーク・フロム・ホームでは、企業の考え方によって対応が分かれました。日本人の方針を押し付けず、タイ人の意見を聞きながら柔軟に制度設計をした会社はうまくやっています」

小田原氏の言う「柔軟性」は多くの企業でキーワードになりそうだ。座談会の中でも、過去慣性で判断したり、旧来の価値観を押し付ける日本人の下にいるタイ人は辞めていくという話が出た。反対に、状況を踏まえて自分自身の思考をアップデートできるようなリーダーは、タイ人の心を掴み続けることができるのではないだろうか。

日本企業のアセットを生かして「新しいこと」で稼ぐ – リブ・コンサルティング 香月氏

リブ・コンサルティング・タイランドの香月義嗣氏はタイで日系・非日系問わず多くの企業コンサルティングを行っている。同氏は著書『成功のメカニズム アジア進出企業の経営』の中で、アジアにおける日系企業の問題点と解決策を指摘した。タイにおいてはどのような打開策を取るべきなのだろうか。

「タイの日系企業、特に製造業は事業のトランスフォーム(転換)をしないと厳しくなっています。今の業績は良くても、何か新しいことをやらないと10年後は厳しくなります。危機感を持つべき状況ですが、日本人だけでなくタイ人も危機感が薄い会社も少なくない。むしろタイ企業の方が危機感を持って新たなチャレンジをしている傾向もあり、そうしたスピリットからむしろ日系企業も学ぶべきでしょう。そうでないと挑戦したい人材はタイ企業に流れてしまいます」

新規事業創造」というのは多くの日本企業の課題だ。タイに限らず日本でも新事業を生み出すことはなかなかできていない。タイで新事業を生み出すにはどのような視点が必要なのだろうか。

「安定的な拠点運営が求められてきたタイにおいては、事業開発などの“複雑な問題”を解いたことのあるマネージャーが少ないです。だからこそ、期待できる人材を選抜して鍛えていく必要があります。そうした「事業開発人材」を育成し、既存事業の延長線上ではなく思い切ったチャンレンジを考えるべきです。幸い、日本企業にはまだアセットがあります。高い技術、顧客資産、そしてタイに長く貢献してきた信頼性です。それを生かしてどういうビジネスができるのかを、タイ人スタッフとともに考えていくことです」

人材管理面で様々な問題が噴出しているのは、単純に「昔よりも儲からなくなったから」という面も大きい。身も蓋もない話だが、経営に余裕が無くなればコスト管理も厳しくなり、人材投資もしづらくなる。そして香月氏が指摘するように「タイ拠点でいかに稼ぐか」を考えたことがあるタイ人社員は必ずしも多くない。「稼ぐ力」は一朝一夕には高まらないからこそ、まだ資産があるうちに様々なビジネスを試行錯誤するという視点から学ぶべきことは多い。

タイ人とのパイプを作らずしてタイでは生き残れない – mediator ガンタトーン氏

タイと日本を繋ぐプラットフォーム「TJRI」を運営するmediatorのCEO、ガンタトーン氏は最も日本に精通するタイ人の一人だ。長年にわたって日系企業を見てきて、最近の変化をどうとらえているのだろうか。

「残念ながら日系企業に優秀な人材が集まりにくくなっています。そんな中で、能力の足りないタイ人を無理やり幹部に据えて「現地化」するのはリスクがあります。日系企業にいる人材のレベルがどの程度なのかを知るためにも、普段から社外のタイ人とも付き合う必要があると思います。「タイ人はダメだ」と言う日本人もいますが、そういう人に限って自分の周りのタイ人のレベルが低いだけということもあるのではないでしょうか」

タイは巨大な日本人社会があるがゆえに、日本人同士でビジネスが完結する歴史を長らく過ごしてきた。閉じた社会というのは、得てして知らない間に“ガラパゴス化”が進み、周りとの差がついているということが起こりうる。日系社会をもう一度外に向けて「開いて」行くことが重要なのは間違いない。また、ガンタトーン氏は、日系企業についてこんな言葉もくれた。我々日本人ひとりひとりが噛みしめるべきフィードバックだろう。

「日本人の能力はCTO(最高技術責任者)、CFO(最高財務責任者)には向いています。ですが、果たしてCEO(最高経営責任者)としてはどうでしょうか。東芝やシャープは中国や台湾の経営者によって黒字化しました。厳しい言い方ですが、日本人は合意志向で周囲に配慮しすぎて、経営者としての合理的な意思決定力に欠ける面があるのではないでしょうか。優秀なモノづくり力を武器に、経営は外国人に任せる、またはパートナーとして一緒に経営していくという選択肢もあっても良い。100%独資経営は一見するとラクに経営ができますが、一方で時代の変化に合った経営判断に必要な情報を持っているタイ人とのパイプが無くなってしまい、ネットワークが日系に閉じてしまうというデメリットもあります」

日本人の「精神性」は多くのタイ人経営者が学びたがっている – チュラロンコン大学 クリッティニー氏

チュラロンコン大学で教鞭をとるクリッティニー・ポンタラナート氏は、国内トップブロガーであり「理念」「生きがい」などのコンセプトをタイに紹介するインフルエンサーだ。彼女に、タイの企業と日本の企業の現在をどう見るかについて聞いてみた。

「製造業が人気が無いのは日系企業だけではなく、タイ企業も同じです。全体的にホワイトカラーにタイ人が流れているので、タイ企業の工場にいってもミャンマー人、ラオス人が多いですね。大学で一番優秀な子はスタートアップや、IT系の企業に行きます。SNSで友達に見せびらかせるし、履歴書に書いたら自分の価値が上がりますから。ただしどんな業種であっても、タイ人は仲間との関係性、家族のように仲良く過ごせる雰囲気が大事です。日系企業の中でも、タイ人のことを良く理解する日本人が経営している会社はタイ人が定着していますよ。逆に、タイ人のことをよくわからずに一方的に叱責してしまう会社はタイ人が辞めます。日本人は求める経営品質が高いのでもどかしいのかもしれませんが、“なぜできないのか”と問い詰めるのではなく“一緒に考える”という姿勢で臨んでほしいです」

確かに、タイ人に寄り添う姿勢を持って成功してきた日系企業はたくさんある。そうした元々持っている良さを忘れてはいけないだろう。そのうえで、クリッティニー氏は日本の「魅力」をもっと武器にするべきと提案する。

「コロナ以降、日本語の“生きがい(IKIGAI)”というコンセプトが凄く人気になり、沢山の経営者が学びに来ます。みんなお金だけではなく、仕事に意味を求め始めたのです。日本人が仕事のやりがいを大切にするのと同じですよ。また、私は多くのタイのオーナー企業から日本の“おもてなし”を始めとするサービス品質を学んで、経営に取り入れたいという相談をもらいます。日本人の持っている細やかさ、効率の高さなどは、今もタイ人からは魅力があるんです。それらの経営的価値をタイ人社員にもっと伝えたり、日本への研修旅行を通じて体験から学んでもらったり、というのは日本企業がまだまだできることじゃないでしょうか」

クリッティニー氏とお話ししていて、日本人ではなくタイ人が日本の魅力をタイ人に伝えてくれていることに、複雑な気持ちになった。確かに、日本人は自分たちの魅力を自分たちで語ることがあまり得意でない面もある。しかし、今一度自分たちの魅力に目を向け、それを自社のビジョンや事業価値に込めてタイ人に伝えていくことは、今すぐにでもできることなのではないかと感じた。

以上、ディスカッションさせていただいた4名はそれぞれに日本企業の「突破口」への示唆を示してくれた。四者四様の視点ではあったが、共通していることは「健全な危機感を持つこと」、そして「日本企業の良さを生かす」ということであったように感じる。

それらのアドバイスを踏まえながら、第3部において日系企業が取り組むべきアジェンダについてまとめてみたい。

これからのタイ人事戦略の「5つのアジェンダ」

第3部では、「日本企業の強みを生かす」という視点から「5つのアジェンダ」を提言する。しかしその前に、前提として「現地化の是非」について考えてみたい。というのも、長年にわたって議論されている「現地化経営」について私は疑問を持っているからだ。

「現地化」は本当に必要なのか?

日系企業は現地化経営、中でも「人材の現地化」を長年の課題としてきた。それは主に①駐在員コストの抑制、②タイ人キャリアパスの確保、③現地マーケットの開拓の3つの理由を目的としてきたが、それぞれの事情が現在変わりつつある。

①駐在員コストの抑制

駐在員コストの抑制については、駐在員の人数そのものが既に減りつつある。タイにおけるワークパーミット(労働許可証)の発行数はピーク時の2017年の3万6千人から、23年7月時点で2万4千人と33%減少している。以前よりも少ない日本人の人数でタイ拠点が運営されるようになっているのだ。また、タイ人の上級管理職の給与の高騰から、部長クラスになると日本よりタイの方が収入が高いという統計もある。家族帯同コストなども含めれば駐在員のコストの方がまだ高いが、現地化することによるコスト削減メリットは以前に比べ薄れつつあると言える。

②キャリアパスの確保

キャリアパスの確保については、座談会でも語られたように、現地法人の幹部人材は一部の例外を除き「日本人」であってもよいと私は考える。その理由の一つは、日本本社の多国籍化と英語化が進まない中、本社と連携しながら経営トップを担えるローカル人材は極めて希少であり、いたとしても駐在員に近いコストがかかるということである。

もう一つの理由は、タイ拠点が安定的な量産拠点の期待があった時代ならばともかく、今は現地で戦略を描きなおし、新たなビジネスモデルを模索する時代に入っているからである。さらに、競争相手は強いオーナーシップを持ちスピーディな意思決定をする中華系企業やタイ企業となっている。そんな勝負に勝っていくためには、本社と緊密に連携して意思決定できる優秀な人材を、むしろ日本から送り込んで戦わないといけないのではないだろうか。

③現地マーケットの開拓

一方、現地マーケットの開拓については、現地人しか担えない部分である。それゆえ食品や日用品などの消費財メーカーなどはいち早く組織の現地化が進んでおり、それ以外の業種でも営業やマーケティングの責任者の現地化は比較的進んでいる。こうした「現地で稼ぐ」機能の現地化は引き続き必要である。しかし、製造・開発や経理機能、また経営トップについては、上述の理由で「現地化」という命題を目指す理由が薄れつつあるのではないかと私は考えている。あくまで自社にとって、現地化した方がなぜ合理的なのかを考えて判断していくべきであろう。

ではここから先は、具体的な提言をしていきたい。

提言1:新しい日本人リーダー像を作る(シン・日本人)

まず、経営を担う日本人リーダーの質が大きく変わる必要がある。スイスのビジネススクールである国際経営開発研究所(IMD)が発表した「世界人材ランキング2023」では、日本人リーダーのレベルは64ヵ国中過去最低の43位という結果だった。座談会で語られたような旧態依然としたリーダーではなく、タイ人に向けて力強いメッセージを発することが出来る「新しい日本人リーダー像」を作っていくことが必須である。これを「シン・日本人」と呼んでみたい。

下図は、多くの企業で用いられているグローバル・リーダーに求められるコンピテンシー(行動特性)である。一般的なものを8つ並べているが、下の4つがこれまでの駐在員に求められていた「安定型」のコンピテンシーであるのに対し、上の4つが現在の弱みであり、今後強化していくべき「変革型」のコンピテンシーだ。

同調圧力の強い日本社会では、「変革型」のコンピテンシーを持った人材は浮いてしまう。だが、海外拠点ではむしろ「異端児」こそ求められる。現在の変革期においては異端児のリーダーこそ積極的に抜擢し、「シン・日本人」として海外に送り込むべきだろう。

弊社がインタビューさせていただくと「駐在員の選定基準が明確でない」という企業が少なくない。5-8のコンピテンシーが大きく欠落していない前提で、1-4の素養を持っている人材を意図的に海外に送り込み、活躍を支援していくべきなのではないだろうか。そして、駐在員交代のタイミングがリスクとなる現実を踏まえ、素養のある人材は任期を長くして送り込むことがあっても良い。筆者の観察では、任期の長い会社ほど現地経営がうまく行っているように見えるからだ。

また、「現地採用日本人」の可能性の広がりも考えたい。昔は東南アジアで現地採用というと日本のキャリアをドロップアウトした人という偏見を持たれていたが、今は全く違う。若手~中堅で自らの判断で海外に挑戦する日本人は、むしろ優秀層である。そもそも、昭和の日本を切り開いた経営者達はエリートではなく、ベンチャーマインドを持った若者たちだった。

今アジアに自らの判断で飛び込んでいる若者はそれに近いスピリットを持っているのではないか。海外駐在の希望者が減っている時代だからこそ、現地採用社員の積極的な活用を検討したい。

提言2:会社の存在意義(ミッション)を語る

提言1のコンピテンシー「1.ストーリーを語る力」とも関係するが、「当社の存在意義(ミッション)は何か」を再定義し、語ることが重要である。

かつて日本企業が憧れの的だった頃は、わざわざ自社の存在意義を語る必要は無かった。しかし状況が変わった今、それを意識的に語っていくことが必要である。ミッションが明確になれば、従業員は、日々の仕事で顧客や社会に役に立っている実感を得ることが出来る。上述したようにタイ人も「生きがい」「やりがい」を求めているのである。

タイ拠点の日本人リーダーは、「うちの仕事はこんなに面白いんだ!」と自信を持って語ることが出来ているだろうか。普段はわざわざそんな話はしないかもしれない。しかし、年間方針の発表など重要なコミュニケーション機会を用いて、意図的に語っていくべきだ。一見華々しく見える別業界や、高給をちらつかせる競合企業に人材を奪われないように、タイ人を惹きつけ続ける意識を持ちたい。
とはいえ、どういう言葉で語ればよいのだろうか。ヒントとして、先日、日系企業に長年勤めて中華企業に転職したタイ人から聞いた言葉を紹介したい。

彼は「中華企業には、Knowledge(知識)はたくさんあるが、日系企業に比べて表面的なものが多い。一方、日系企業には深くて厚いWisdom(知恵)がある。」と私に言った。ここでいう日系企業の持つ深さ、厚みとはなんだろうか。

日系企業の持つ深さ、厚み

まずひとつは「歴史」である。世界の中でも日系企業の歴史は最も長く、また語り継がれる創業者の逸話などは人の心を動かすものが多い。私は時々クライアント企業の「社史」などを翻訳してタイ人スタッフに読ませるプロジェクトを行うが、例外なく感動し会社に誇りを持ってくれる。そうした歴史の厚みは簡単には真似のできないものだ。

二つ目は「倫理観」である。日本企業の理念には、社会貢献性や利他の精神に基づいたものが多い。多くの場合、それは創業の動機に表れている。SDGsが叫ばれているように、社会の共通善に向けて企業活動をすることは社員にとっての誇りとなり、仕事の喜びをもたらす。

三つ目は「身体知」である。日本には「体で覚える」という文化がある。武道や禅は考える前に体験することを求め、モノづくりでは「現地・現物」を見ずに判断することを否定する。体験することで初めて「わかった!」という感覚を得て、それが価値の高い本質的な知恵となるのだ。これも日本の慣習に深く根差しており、他国には簡単に真似のできないことだ。

こうした要素を生かしながら、今の時代に求められる自社の存在意義とは何かを煎じ詰めて言葉にしていくのだ。その際にはクリッティニー氏も指摘した「日本的なコンセプト」をうまく活用するのも有効だろう。昨今、資生堂は「OMOTENASHI(おもてなし)」という言葉を掲げ、ソニーは「KANDO(感動)」という言葉を掲げるなど、あえて日本的な言葉を用いて存在意義を世界に発信する企業が多い。グローバル化だから英語を使うのではなく、敢えての「日本らしさ」を語った方が自社の魅力が引き立つのではないだろうか。

提言3:タイ人スタッフ主導で魅力的な文化を作る

タイ人スタッフ主導で魅力的な文化を作る
タイ人に働き続けてもらうためには「仲間意識」もカギである。そのためには自分たち主導で会社のカルチャーを作っていくことが重要だ。実際、多くの会社でそうした取り組みは既になされている。

一例を挙げたい。ローム・セミコンダクター・タイランド社(RST)は、タイ人スタッフ主導で「RST WAY」の策定を行った。WAYとは行動指針のことであり、組織としてどういうことを大切にしたいかを定義したものだ。

WAY(行動指針)のような価値観ができると、一人一人の行動も変わる。実際に、現場では「問題が起きても他部署に責任転嫁することが減った」「担当分野以外のスキルを学ぶ人が増えた」「新しいポジションに積極的に応募するようになった」など、行動面でのポジティブな変化が出ているようである。

こうしたプロジェクトは、「やらされ」になってしまうと失敗する。日本人経営者が目的と趣旨を伝え、そこから先はタイ人メンバーを信じて見守る姿勢が重要だ。柔軟性を備えた日本人側の「任せる覚悟」が、タイ人主導の文化を作っていく。コミュニケーションの仕方さえ間違えなければ、そうした「相手を尊重する」姿勢自体は、日本人リーダーの得意技であり、それに感謝をしているローカルスタッフは多い。「一体感」はタイ人が会社を選ぶ際の最重要の項目であり、それを作ることが出来ると「選ばれる会社」に大きく近づくだろう。

出所:RST社作成
出所:RST社作成

提言4:評価基準を透明化し、評価スキルを高める

座談会でも述べられたように、人事制度の改革はキーとなる部分である。タイは年功的でありメンツを重んじる社会であるため、忖度に基づいた昇進や曖昧な評価が行われることが多い。これは日系企業に限らず同じであり、むしろファミリー企業が中心であるタイ企業の方が不透明で属人的な人事が行われ、高い離職率に繋がっている面もある。だからこそ、「評価基準の透明化」を日系企業が率先していくことで、優位性を発揮できると私は考える。意欲ある若手優秀人材にキャリアの階段を明示的にして、やる気を引き出していきたい。

ただし、評価制度はよく「運用が8割」と言われる。一見するとグローバル標準に則った制度でも、現場で忖度した結果、運用が不透明という例はいくらでもある。つまりどれだけ人事制度を改革しても、制度を使う側の意識変革が進まないと有名無実化してしまうのだ。肝心なのは評価者の「部下を理解し支援する姿勢」「双方向のコミュニケーション」「フィードバックの質」などであり、また経営幹部の「企業理念に基づいた適切な評価判断」である。これらは全てマネージャーの力量によって変わってくるため、日本人、タイ人双方の成長が必要である。評価スキルは管理職のスキルの中で最も重要かつ最も難しいスキルである。にもかかわらず教育を施すことなしに評価をさせる企業が多いのではないだろうか。丁寧な教育を得意とする日系企業の強みを生かし、粘り強く制度を定着させていきたい。

また、「評価制度を変えると離職率が上がるのではないか」と懸念する向きもあるが、離職には「良い離職」と「悪い離職」がある。適切な評価がなされ、会社にとって望ましくない人材が離職するのは良い離職であり、適切な新陳代謝である。日系企業の一部には離職率が低すぎてぬるま湯のようになっている組織もあり、それは悪い意味で離職率が低い状態である。タイにおいては年間で5%~10%程度の離職率は適正水準であり、むしろ望ましい状態として目指していきたい。

海外拠点のガバナンス問題

また、座談会でも出た「海外拠点のガバナンス」の問題も非常に大きな課題であるが、本質的には人事評価の問題と同根であると考える。

メンバーシップ型で長年にわたって経営してきた日本企業では、「ヒト起点」での任用と評価が中心となっている。それを「ジョブ起点」に変えていくという改革を、海外拠点の日本人ポジションにも適用していきたい。これはどちらかというと日本本社の仕事となるかもしれないが、海外拠点と連携して行わないと進まない作業だ。そもそも日本以外の世界はジョブ型人事なので海外拠点はすでに「ジョブ型」で運営されているが、駐在員ポジションだけはメンバーシップ型での評価がされているという“ねじれ”がまだあるのではないだろうか。

具体的には、マネジメントポジションにおける「期待成果と権限」「必要なスキルセット」を明確に定義し、そこに基づいて評価をする。期待とスキルセットが明確になれば、海外ポジションへの任用の精度も上がるだろう。よく「適材適所」というが、「適所(=海外拠点マネジメント機能)の定義」が曖昧だからこそ、ミスマッチが起きてしまう。日本側における海外人材プールの不足も大きな課題だが、基準が無ければそこに向けた育成も進まない。期待の定義と育成を並行して進めていくことが必要ではないだろうか。

人事制度改革のポイント

提言5:戦略的採用で優秀人材を「口説く」

最後は、採用である。組織を大きく変革する場合は、外部から相応しい人材を採用してくる必要がある。採用とは、「人材市場における競争」である。マーケットの中で、競合に勝る自社の魅力を訴求することが出来なければ、優秀人材は採用できない。

弊社クライアントの一部を見る限り「面接」はするが「自社アピール」が出来ていない会社が多いように感じる。優秀な候補者は他の会社からもオファーが得られるわけなので、どちらかというと自社にとっては「選ぶ」よりも「選ばれる」ことの方がゴールになる。候補者の日系企業への興味が高くない場合でも、他社よりも自社の方が良かったと思わせる作戦を立てて面接に臨めているだろうか。

私は面接の最初に「5分間の会社紹介」をするように勧めている。通り一遍の会社紹介ではなく、先ほどの「ミッション(存在意義)」や、仕事のやりがいなどを魅力的に語るのだ。誰が語っても魅力的に聞こえるよう面接官それぞれに練習してもらうことも必要だ。マネージャー採用などの重要ポジションであれば、トップマネジメント自ら登場してミッションを語るのも良い。そこまでして「優秀な候補者は絶対に口説く」という意志を持って臨む本気度が必要だ。

ここで一つ大きな問題がある。「そもそも優秀な候補者が面接に来てくれない」かもしれないということだ。再三書いてきたように、日系企業全体の魅力が下がっていると優秀人材の応募が来ず、限られたプールの中で面接をするほかなくなってしまう。

そこで、自社の採用ブランディングの努力が必要だ。人材広告に、企業理念の発信や魅力的な写真を載せてアピールする。またSNSの会社アカウントを開設して日々社内の雰囲気を発信する。日本人リーダーもSNSで積極的に発信したり、Linkedinでタイ人と繋がってみたりと、積極的にタイ社会に開いて会社をアピールしていく努力が必要だ。SNSは何となく苦手と感じる方も、チャレンジしてもらいたい。既に社会のインフラとなっているSNSに精通しておくことも、これからのリーダーの必須条件だと言える。

そこまでする必要があるのかと思われるかもしれないが、「採用は人事の最重要施策」ということを強調しておきたい。特に、人を辞めさせることが難しいタイや日本のような国では、間違った人を採用してしまうとその後に多大なパワーがかかる。それにも関わらず、採用するときはおざなりな面接で済ませてしまうことも少なくなく、アンバランスな状態であると感じる。

その反対に、たった一人の優秀人材の採用が大きなインパクトをもたらすこともある。「採用は会社を変える」ことがあるのだ。だからこそ、採用はトップマネジメントも関与するべき重要マターであることを認識しておきたい。

最後に ~タイから日本を変えよう~

日系企業を辞めて中華系企業に転職したタイ人の話を聞くと、「給料は上がったが、上司は数字にしか興味が無く、幸せを感じない。すぐに転職すると思う」と言っていた。その中国企業は離職率が驚くほど高いそうだ。あくまで一例ではあるが、仮に競合に人材を引き抜かれたとしても、その企業が上手く経営しているとは限らない。

冒頭に述べた日本企業の「人を大切にする経営姿勢」、またそのベースとなる「他者を尊重する」「話し合い調和を図る」という日本的な精神性は、決して時代遅れでは無い。むしろ、企業の社会的責任や社会との調和が求められる現代の文脈に合致したものだ。いかに変革が必要と言っても、そうした自らの持つ強みは忘れてはならない。

日系企業が変革するべきは、同質的なカルチャーの行き過ぎに伴い発生した「ハイコンテクスト(言語化しない慣習)」「意志決定の弱さ・遅さ」「基準のあいまいさ」である。日本人同士であれば心地よく仕事が出来ても、海外拠点やグローバル化する組織においてはモチベーションを下げる要因となる。本記事で取り上げたような弱点を克服し失点を防いでいけば、優秀人材を引き留め活用していくことはできると私は確信している。

ここまで様々な課題を見てきたが「海外拠点の課題は、日本社会の課題」でもあると言えるかもしれない。しばしば「変革は辺境から起きる」というが、変化の最先端にいる海外拠点を変えずして日本社会を変えることはできないのではないだろうか。逆に、海外拠点で成功事例を作っていくことにこそ、日本企業のグローバル化のヒントがあると考える。

10年後、タイの日系企業はどうなっているだろうか。悪いシナリオが的中して、存在感を失ってしまうのか。あるいは、タイ経済を再び力強くけん引しているのか。どちらの結果になるのかは、我々一人一人の行動にかかっている。10年後に反省の記事を書かなくても済むように、私も「シン・日本人」として皆さんとともに汗をかいていくことを決意し、筆を置きたい。

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株式会社アジアン・アイデンティティー 代表取締役

中村 勝裕 氏(愛称:ジャック)

愛知県常滑市生まれ。上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業後、ネスレ日本株式会社、株式会社リンクアンドモチベーション、株式会社グロービス、GLOBIS ASIA PACIFICを経て、タイにてAsian Identity Co., Ltd.を設立。「アジア専門の人事コンサルティングファーム」としてタイ人メンバーと共に人材開発・組織開発プロジェクトに従事している。
リーダー向けの執筆活動にも従事し、近著に『リーダーの悩みはすべて東洋思想で解決できる』がある。Youtubeチャンネル「ジャック&れいのリーダー道場」も運営。

人事に関するお悩み・ご質問をお寄せください。
「タイ人事お悩み相談室」コラムで取り上げます!→ [email protected]

Asian Identity Co., Ltd.

2014年に創業し、東南アジアに特化した人事コンサルティングファームとして同地域で事業を展開中。アジアの多様な人々を調和させ強い組織を作るというビジョンの実現に向けて、"Asia is One”をスローガンに掲げ、コンサルタントチームの多様性や多言語対応を強みに、東南アジアに展開する日本企業を中心に多くの顧客企業の変革をサポートしている。

◇Asian Identityサービスサイト
http://asian-identity.com

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