ArayZ No.145 2024年1月発行アジアとともに未来を創るスタートアップと創造都市
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公開日 2024.01.10
目次
国際情勢が混沌(こんとん)とする中、グローバル化やデジタル化への対応に加えて経済の新陳代謝の促進などを進めていかなくてはなりません。
こうした中、タイでは、「タイランド4.0」、「BCG経済」など、さまざまな産業政策のコンセプトが打ち出されています。現在、タイ政府は先進国入りのためにイノベーション駆動型の経済構造への転換を目指し、掲げている「タイランド4.0」では、タイ王国の国家戦略(2018―2038年)の根幹として「足るを知る経済の哲学」(Philosophy of Sufficiency Economy)を位置付け、基本的な手段としてテクノロジーとイノベーションを捉えています(NESDB, 2018)。
イノベーション駆動型経済への鍵は、イノベーション駆動型企業、つまり科学、テクノロジー、イノベーション、創造性を活用して高い成長とビジネスの持続可能性を達成するビジネスの創造にあります。そのため、タイ政府は国内総研究開発支出をGDPの2%まで引き上げ、売り上げ10億バーツ以上のイノベーション駆動型企業を1,000社創出し、また、時価総額10億ドル以上で株式未公開のユニコーン・スタートアップ企業を5社以上創出することを目標としています。
さらに、さまざまな分野にわたって創造性と優れた研究を促進する環境を作り出すことを目的とした国家科学技術イノベーション政策局(National Science Technology and Innovation Policy Office)を立ち上げています。
「タイランド4.0」とは、タイの伝統的な産業をイノベーティブな価値重視の産業に変革することを目的とした包括的な経済モデルであり、東部経済回廊(EEC)や投資委員会(BOI)の奨励金などのさまざまな取り組みはそれを支えるものです。中でもバイオ・循環型・グリーン(BCG)経済モデルは、持続可能でバランスのとれた発展を促進することを目的として、タイ政府が最近最も推進している新しい経済モデルの一つとなっています。
最終的な実現可能性は別としても、タイ政府の意図する方向性は、意外といっては失礼ですが、「ロジカル」かつ「戦略的」だと感じられる方は多いのではないでしょうか。
それもそのはずで、2000年代以降、タクシン前首相のグループの流れを受け継いだ経済系の閣僚をみてみるといずれもグローバルクラスの高度な専門人材であることが分かります。例えば、ソムキット氏(元副首相で、商務大臣など多くの閣僚経験)、スビット氏(元商務大臣ほか閣僚を歴任)はいずれもノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院で世界的なマーケティング研究者であるフィリップ・コトラー教授のもとで博士号を取得しています。
なぜ、ビジネススクールの出身者が閣僚なのだろうと思われる方も多いと思いますが、企業経営者でもあるタクシン前首相は、在職時に国を企業組織に例え、首相を社長、大臣を事業部長として位置付けたうえで、国家戦略を経営戦略に例えました。そして、経営戦略論の大家であるハーバード大学のマイケル・ポーター教授をアドバイザーに据え、チュラロンコン大学サシン経営大学院などと協力して国家戦略を策定しましたが、その際のサシン経営大学院のチームに当時サシンの教員であったスビット前大臣も含まれていました※3。
※3 タイの国の競争優位に関しては藤岡資正編著『タイビジネスと日本企業』同友館2012年を参照ください。
ソムキット前副首相もNIDAの教授を務めていましたし、タクシン派ではないですが、現在のタイ中央銀行総裁のセタプット氏もサシン経営大学院の教員であり、イェール大学の経済学博士、コブサック氏(元首相府大臣)はMIT(マサチューセッツ工科大学)で博士号を取得しています。
世界が混沌とする中で高度知識人材の登用は当たり前のことだといえますが、例えば、コロナ禍でリーダーシップを発揮したことで知られる台湾デジタル担当大臣のオードリー・タン (唐鳳) 氏のことを覚えている方も多いのではないでしょうか。日本では、IT大臣と紹介されることが多かったようですが、本人は、ITとは機械と機械をつなぐものであり、デジタルは人と人をつなぐものであり、両者は全く異なるものだと訂正を求めたことでも知られています。そして各国のメディアに対しても、デジタル担当大臣としてのビジョンを以下のように説明しています。
* * *
When we see “internet of things”,
let’s make it an internet of beings.When we see “virtual reality”,
let’s make it a shared reality.When we see “machine learning”,
let’s make it collaborative learning.When we see “user experience”,
let’s make it about human experience.When we hear “the singularity may be near”,
let us remember: the plurality is here.
* * *
すごく簡潔にポイントをまとめるならば、結局はデジタル化というのは、決してデジタルがそれ自体で単独で進展していくのではなく、デジタルの向こう側には私たち人間がいることを忘れてしまってはならないというメッセージです。こうしたグローバルに通用する高度知識人材は、官僚が作成した政策に基づいて事前に準備をされた原稿を読み上げるのではなく、自らの知識に基づいて自らの言葉で自らの職務を語ることができるのです。
日本、韓国、台湾など、東アジア諸国は国内資本主導で工業化を推進し、研究開発が国内で行われ、技術が蓄積されてきたのに対して、タイは日本を筆頭に外資の受け入れによって工業化を推進してきたことから、タイ国内での主要な技術の蓄積が不十分であることが指摘されてきました。
実はタイ経済は10年ほど前から、労働力増加やインフラなどの資本蓄積による成長が限界に近づいています。このため、イノベーションを促進させるために、研究開発などの知的集約度の高い機能・工程にフォーカスした産業高度化を図ろうとしています。
それでは、なぜタイにとってイノベーションが大切なのでしょうか。これまでアジアで先進国の仲間入りを果たした国々は、対米全要素生産性(TFP)の割合を向上させてきたということが分かっています。
国の経済成長は、生産要素である資本及びおよび労働の増加とTFPの伸びによって説明されることになるのですが、このTFPという指標は、経済成長のうち資本投入と労働投入では説明することのできない残余部分であるといえ、私たち研究者は、TFPをイノベーションの代理指標として用いたりします。
つまり、生産性ドリブンの経済構造からの脱却には、イノベーションを通じてTFPを高めることが重要となるのです。こうした中、タイ政府は社会の変革を主導し、急成長していくプロセスで経済構造の転換を促す存在としてスタートアップの支援に力を注いでいます。
こうした政策もあり、投資を受けるスタートアップは、金額・案件ともに2012年から2021年の間に4社から57社へと10倍以上に増加しています(図表5)。ちなみに、過去20年間にタイで新しく起業された事業の上位はフィンテック、電子商取引、ビジネスソリューション、ブロックチェーン、教育テックとなっています(図表6)。
近年では日本でも社会経済全体でスタートアップに対する期待値が高まっています。スタートアップといえば、「GAFAM」と呼ばれるGoogle、 Apple、Facebook、Amazon、 Microsoftが有名ですが、実際にこれら高成長したスタートアップは、米国の株式市場の成長や新規雇用の創出に大きく貢献しています。
例えば、「GAFAM」を除くS&P500指数は過去10年でほとんど横ばいであり、TOPIXとそれほど変わらないことが分かります(図表7)。対照的に「GAFAM」は、この10年で10倍近くに株価を伸ばしています。そして、いうまでもなく新規雇用にも大きく貢献しています。
それでは日本におけるスタートアップはどうでしょうか。雇用面について設立後年数別の従業員者数の純増減を2009年から2014年までの間でみてみると、設立後0~9年の企業から255万人の従業員数増加が見られる一方で、設立後30年以上の企業からは、258万人の従業員数減少が確認されています(図表8)。
身近な例を挙げると、例えばフリマアプリで有名なメルカリ社は2015年から2018年の間に従業員数が329人から1,826人と5.6倍に増加しています(図表9)。スタートアップの成長には、多くの人材が必要であり、それだけ多くの雇用を生み出すということが分かります。このように起業は新たな雇用の創出という面で設立後10年以上の企業と比べて大きく貢献していることが分かります。
こうしたスタートアップの育成には、スタートアップ・エコシステム(生態系)を構築することが重要となります。エコシステムとは生物学の用語で、生物とそれを取り巻く環境が生産と消費の循環を通じて、相互作用しながら反映する自然界のシステムを表すものです。
ここで重要な視点は、スタートアップの成功は、エコシステムの中で環境を含めたさまざまな要因が協調して組み合わさることで生み出される成果であるということです。つまり、スタートアップを生み出すには、それに適したエコシステムが構築されている必要があるということです。
実際にイノベーションを通じて社会経済のパラダイム変革をもたらしてきたスタートアップの誕生は、世界を見渡しても一部の特定の都市(もしくは大都市圏)に偏っていることが分かります。
大都市の重要性はこれまでも指摘されてきましたが、その理由の1つが、限られた空間に高密度で研究機関や企業や専門家が集積することで期待される外部経済性です。
それぞれのアクターの間での専門知識や技術が共有・共創されることで産業や経済の成長が促進される外部効果は知識や技術のスピルオーバー現象とも呼ばれ、有名なものとしては、マーシャル・アロー・ローマ型の外部性(マーシャル外部性)があります。マーシャル外部性は同業種の同一性の高い産業集積による外部性を説明するものであることはよく知られていますが、ジェイコブス型外部性もイノベーションや創造的な都市の創出には重要となります。
ジェーン・ジェイコブスは、名著『アメリカ大都市の死と生』(原著:The Death and Life of Great American Cites)の中で、1950年代のアメリカ諸都市におけるスクラップ・アンド・ビルド型再開発とゾーニングによる都市計画が都市の衰退の要因となったことを指摘しています。彼女は人間的な魅力ある都市の特徴として多様性が不可欠で、多様性は大都市に住む人々の安全や暮らしやすさにとっても重要であり、都市が発展するための条件として図表10の4つが提示されています。
こうした多様性に依存しながら老舗の中小・零細企業が都市に存立可能となり、それ自体さらなる多様性の余地を生み出すことによってより一層多様性が促進されていくことになります。つまり、中小企業の存在そのものが多様性の源泉となると考えられるのです。
ジェイコブス型外部性(Jacobs externality)は、異なる業種に属する多様な企業が集まる「都市」という集積がイノベーションにとってインキュベーション的な役割を果たすことを示しています。彼女は、地域特化ではなく最も重要な知識は同種の産業以外からもたらされる「異花受粉効果」(cross-fertilization effect)として、多種多様な産業集積がイノベーションを促進するという多様性の外部経済の可能性を示しています。
このように、結局は、優秀な人材、創造的な人材、多様な人材や企業が集積するような魅力ある都市を創造していくことが大切になるのですが、そうした人材は文化資源の豊富な場所に集まります。文化資源は老舗、歴史的建造物や庭園、文化的な祭りや食事や芸能、博物館や資料館、大学など研究機関といった豊かな土壌に根差しており、過去と未来をつなぐ模倣困難な資源なのです。
農作物においても豊かな土壌を育むには時間がかかりますが、文化的資源を醸成するために大量消費大量生産の工業化システムに組み入れてしまうと、人工的に土地に農薬を大量投下された土地がやせ細ってしまい回復不可能となるように、都市の魅力は減退してしまうことになります。
情報化技術の進展やロボティクス、そしてAIが世界を席巻する中、日本企業として日本のビジネスパーソンとしての存在意義と魅力とは何なのでしょうか。ネット社会ではすべての商品が情報商品となっていきますが価値共創には必ず現地の生活者との日々の日常での接点(コンタクトゾーン)が必要となります。つまり、市場(マーケット)での交換取引のみではなく、そこに人と人の関係性が構築される場が創出される必要があります。
古いたとえで恐縮ですが、鉄腕アトムはロボットですが、人間のココロを持つが故に苦しみ悩みを抱えます。ドラえもんも未来では不良品とされるネコ型ロボットですが、私たちと同じように感情をもっています。こうした人間のココロや感情はその一瞬の時々や文脈で移り変わるという意味で捉えどころのないものであると同時にどこか普遍的なところもあります。
こうした人間としての温かみやぬくもりを感じることができるビジネスパーソンや技術者の育成をしてきたのが、かつて日本の成長を支えてきた日系企業であったような気がします。アジアを代表する企業家である松下幸之助は、松下電器は何をつくっているところかと尋ねられたら、「松下電器は人をつくるところです。あわせて電気器具もつくっております。こうお答えしなさい」と言っていたそうです。
そして「事業は人なり」ということで「物をつくる前に人をつくる」ことが大切で、「単に技術力のある社員や営業力のある社員を育成すればよいというのではなく、自分が携わっている仕事の意義、社会に貢献するという会社の使命をよく自覚し、自主性と責任感旺盛な人材を育成すること、いわば産業人、社会人としての自覚をもった人間を育てることが企業の社会的責務である」と考えていたといわれます。
インターネットを通じたソーシャルネットワークが世界中に浸透したことによって人々は物理的に離れたところでもリアルタイムで情報交換をすることが可能になりました。このこと自体は良い側面もありますが、リアルの世界と大きく異なることは、バーチャルの空間で自分の世界に閉じこもることが可能となったことで、自由に世界中の人々と開かれた交流していると錯覚をしているだけで、実はネット空間では自分と価値観を共有している人たちのみでのより閉鎖的な交流となる傾向があります。
そのため異なる価値観や意見を有したコミュニティー間での建設的な交流が行われることが少ないという指摘もあります。日本企業はグループ内の結束は高いが、外とのつながりが弱いという指摘はこれまでもなされてきました。
一方で、変化への対応が強くイノベーションが起こりやすいのは、コミュニティー間での強い結びつきではなく、弱い結びつきであることも指摘されています※6。いずれにしても、こうした分断されたコミュニティーを越えて人々を結びつける「接着剤」の役割を果たすのが理念やビジョンといった目的であり、これらを多様な価値観を有する人が集まる空間で共有するための場の創出をどのようにして企業が担うことができるのかが大切になります。製造業も労働集約型から資本集約型そして知識集約型に移行しつつありますが、サービス業も肉体労働から感情労働へと移っていくのかもしれません。
企業の製品・サービスの差別化が十分に行われていない競争環境では、顧客は最終的に値段(価格)で購買の決定をすることになります。ただし、このように顧客が購買理由を価格に帰属させるようになると企業の戦略的ポジショニングは脆弱化していくことになります。
そうした事態を避けて顧客との価格以外の接点を構築するには、価格以外のものに購買理由を帰属させるために市場へ関係性を導入する必要があります。関係性の構築には人間性が求められ、ロボットやAIには代替されることのない人間としての判断の重要性が高まってくるのではないかと思います。優れたソフトウェアとコンピューターがあれば計算することができる意思決定では代替不可能な実践、つまり数字や文字では表すことのできない自らの「心」で感じることのできる主観を伴う判断が大切になるのです。
いずれにしても、日進月歩で進んでいく技術はそれそのものでは価値を生み出さないため、新たな技術を用いて何を成し遂げたいとかという目的が必要になります。つまり事業の目的、人生の目的や志がなくてはなりません。あらゆる技術はハイテクであると同時に、ハイタッチでなくてはなりませんし、何よりそれを用いる人間がそうした技術を管理することができなくてはならないのであって、最終的には世の中がハッピーにならなくてはならないのです。
ArayZ No.145 2024年1月発行アジアとともに未来を創るスタートアップと創造都市
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チュラロンコン大学
サシン経営大学院日本センター所長
明治大学専門職大学院教授
藤岡 資正 氏
英オックスフォード大学より経営哲学博士・経営学修士(会計学優等)。チュラロンコン大学サシン経営大学院エグゼクティブ・ディレクター兼MBA専攻長、ケロッグ経営大学院客員研究員などを経て現職。NUCBビジネススクール、早稲田ビジネススクール客員教授。神姫バス(株)社外取締役、アジア市場経済学会会長、富山文化財団監事などを兼任。
チュラロンコン大学サシン経営大学院
1982年設立。提供される学位の多くがケロッグ経営大学院とのジョイントディグリーである点が特徴的で、特にマーケティングとファイナンスの分野に強みを持っている。MBA、EMBA、HRM、HRMディプロマ、PhDなどの学位プログラムを有しており、正規生として毎年約700名が在籍している。
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