カテゴリー: ASEAN・中国・インド
連載: 川島博之が読み解くアジア
公開日 2023.05.23
隣国と歴史認識の違いは日本と韓国の間だけの問題ではなく、世界のどの地域にも存在する。今回は東南アジア大陸部の歴史認識について考えてみたい。
東南アジア大陸部にはタイ、ミャンマー、ラオス、カンボジア、ベトナムの5カ国がある。この中でベトナムは他の4カ国とその立場が少々異なり、その歴史において中国との関係が重要になる。一方で他の4ヵ国は中国との関係は薄い。
それは地形が決めている。東南アジア大陸部の北側には山岳地帯が広がり中国南部の山岳地帯に繋がっている。東南アジアと中国の内陸部は山岳部の細く曲がりくねった道でしか繋がっていない。唯一の例外はベトナムである。ハノイの東北約120kmに国境の街ランソンがあるが、ここを通過する道は中国から東南アジアへの唯一の主要道路と言っても過言ではない。
東南アジアの歴史はそれほど遡ることができない。中国は文字を使用するようになってから約4000年の歴史を有するが東南アジアの歴史は数百年程度である。唯一の例外はベトナムで2000年程度の歴史を持つが、それは中華王朝の植民地としての歴史を含み独自の歴史は約1000年と言ってよい。
東南アジア大陸部は稲作地帯であり、そこに中小の部族が集団を形成していた。その中の有力な部族が周辺の部族を平定してより大きな集団に発展し部族国家とも言うべきものが形成されて行った。そんな部族国家の中でアンコールワット遺跡を残したクメール王朝は11世紀から14世紀にかけて大きな版図を有したようだが、クメール王朝は滅亡してしまい現在に続くことはなかった。
現在の国境は19世紀から20世紀にかけて西欧列強が植民地として東南アジアを支配した際に確定したものである。ただ今も、東南アジア各国の歴史認識は列強の支配の以前に存在した部族国家の時代を引きずっている。
タイの歴史はスコタイ朝、アユタヤ朝、トンブリー朝、そして現在のチャックリー朝に続く。チャックリー朝になると国家の形態がかなり整うが、それまでのタイの王朝は部族国家の延長と言ってもよく、国境はあいまいだった。王朝は首都とその周辺を支配していたものの、その力は遠隔地に住む人々にまで及ばなかった。
このことはタイとラオス、カンボジアとの関係を考える上で重要である。西欧による植民地化が進む前まで、タイ東北部に住む人々とラオスに暮らす人々は別の国に暮らしていると言う意識はなかった。フランスがインドシナを植民地化する過程でチャックリー朝との間で国境を定めたために、同じ地域に住むと思っていた人々が二つの国に分かれて住むことになってしまった。
バンコクに住む人々にとってタイ東北部は辺境であり、そこに住む人々を「田舎者」と見ているようだ。そしてラオスに住む人々のルーツがタイ東北部と同じであるために、タイの人々はラオスを「格下」の国と考えるようになった。その結果としてラオスに住む人々は心の中でタイに対して複雑な感情を持つようになってしまった。これも一つの歴史認識と言えよう。
より深刻なのはタイとカンボジアの関係である。カンボジア人の心の中には現在もクメール王朝が生き続けているようで、カンボジアの版図はもっと大きかったとの意識がある。それを歴史の中でタイに侵食されたと思っている。
タイの経済は第2次大戦後に順調に発展したが、カンボジアはベトナム戦争に巻き込まれて、かつその後にポルポトによる支配を経験したために経済発展が遅れた。その結果、現在、両国の間には大きな経済格差が存在する。この劣等感もカンボジア人のタイに対する思いを複雑にさせることになり、カンボジアとタイの歴史認識は日本と韓国との間以上に深刻な問題になっている。
タイの人々はラオスとカンボジアに対しては優越的な感情を持っているが、その一方でミャンマーを恐れている。それはミャンマーのコンバウン朝がアユタヤ朝を滅亡させたからに他ならない。
18世紀のミャンマーにアラウンパヤーと言う英傑が出現しコンバウン朝を開いた。彼はミャンマーの織田信長とも言える存在であり、小さな部族の首長であったが次々と周辺の部族を平定して一大王国を作り上げた。
その勢いに乗ってタイに侵攻しアユタヤ朝を攻撃した。彼は乱世を切り拓いた者がそうであるように、しばしば残虐な行為をおこなった。そうしなければ一代で王朝を作り上げることなどできなかったのだろう。タイに侵攻した際にも残虐行為を繰り返した。
タイに侵攻したが首都アユタヤの防備は固く容易に陥落させることができなかった。アラウンパヤーはその陣中に病没した。しかしコンバウン朝はその後も攻撃の手を緩めず、アラウンパヤーが死んでから7年後の1767年にアユタヤを滅亡させている。この時ミャンマーの軍勢は首都アユタヤを徹底的に破壊した。
アラウンパヤーの残忍な振る舞いとミャンマーの軍隊が首都アユタヤを徹底的に破壊したことは恐怖の記憶として今もタイで語り継がれている。それは親から子へと語り継がれるオーラルヒストリーになっている。
その一方でミャンマーにはアユタヤを滅ぼしたことの記憶はほとんど残っていない。侵略した側はその歴史を忘れ、侵略された側がその歴史を記憶し続けることは、いずこの世界でも変わらない。
ミャンマーはタイとの間には歴史認識問題があるが、現在、そのことに対してミャンマーが遺憾の意を表することはない。200年以上も前の話であり、歴史を謝る必要などないと考えている。ミャンマーの外交的な関心は辺境の少数民族を影で支援する中国や、イスラム系住民であるロヒンギャの扱いを巡ってバングラデシュやインドに向かっている。ミャンマーにとっては少数民族との関係の方がより重要であり、隣国タイへの関心は薄い。
現在タイはミャンマーよりも経済的に発展しているために、ここで過去の問題を言い出す心境にはないようだ。ミャンマーに対する恐怖は民衆の中で語り継がれているに過ぎない。
東南アジアという概念は第二次世界大戦後にできあがったものだ。われわれ日本人は東南アジアを一つの地域として認識しがちだが、その歴史を知ると東南アジアをかならずしも一つの地域として捉えることはできない。それぞれの国の歴史を知ることは日本人がそれら国々の人々をより深く理解し、よりよい関係を築くための鍵になっている。
※参考文献:「物語 タイの歴史」柿崎一郎著・中公新書
ベトナム・ビングループ主席経済顧問
Martial Research & Management Co. Ltd.,
チーフ・エコノミック・アドバイザー
川島 博之 氏
1953年生まれ。77年東京水産大学卒業、83年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得のうえ退学(工学博士)。東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、ロンドン大学客員研究員、東京大学大学院農学生命科学研究科准教授などを経て、現職。
主な著書に『農民国家・中国の限界』『「食糧危機」をあおってはいけない』『「食糧自給率」の罠』『極東アジアの地政学』など。
近著として「日本人の知らないベトナムの真実」を執筆。
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