「高齢社会タイ」の現実と未来 ~不十分な年金、農村部への富の移転は?~

「高齢社会タイ」の現実と未来 ~不十分な年金、農村部への富の移転は?~

公開日 2024.07.15

2022年6月のTJRI(THAIBIZ)ニュースレター創刊以来、定期寄稿していただいてきたベトナム・ビングループ主席経済顧問の川島博之氏の連載コラム「川島博之が読み解くアジア」は、今週配信号が最終回となる。その中で川島氏は、タイとベトナムの両国とも先進国入りする前に「少子高齢化社会」を迎えること経済史的意味を説明するとともに、「両国ともに年金や医療保険、介護保険などの整備が遅れている。政府や経済界は成長のために外資を導入することばかりを考えている」が、「これからタイが力を注ぐべき分野は日本などからの投資を増やすことではない。国内での中所得者層の育成だ」と喝破している。

もちろん外資導入による経済成長も必要だが、タイが本当に先進国入りを目指すなら、優先すべきは産業界の一部ばかりが富を拡大する外資導入ではなく、タイの国民一般が豊かな生活をするために不可欠な社会保障制度などの社会の基礎インフラの整備だろう。今回はアユタヤ銀行の調査会社クルンシィ・リサーチが今年4月に公表した「高齢社会~課題を受け入れ、チャンスを取り込む」と題するリポートを紹介することで、高齢社会となったタイの社会課題を改めて考えてみたい。

先進国入りする前に高齢社会入り

クルンシィ・リサーチのリポートはまず、「タイでは高齢化が急速に進み、2005年時点で60歳以上が全人口の10%以上を占める“高齢化社会”になった。そして2023年には60歳以上は1320万人と全人口の20%に達し、“高齢社会”に位置づけられた。高齢化社会から高齢社会に移行するまで20年未満しかかからず、シンガポールや中国、英国、米国など多くの国と比べて大幅に早かった。さらに、2023年には65歳以上が13.6%に達し、国連はタイの65歳以上の人口は2029年までに20%以上になり、“超高齢社会”に入る」との予想を示した。これは日本やドイツ、イタリア、フランスなどの豊かな先進国と同じ分類であり、「タイは豊かになる前に高齢社会になるリスクにさらされている」ということだ。2023年11月14日付の当コラム「豊かになる前に高齢社会入りの意味」と同様の認識だ。

同リポートはさらに、2021年には平均余命は78.7歳に達すると同時に、統計を取り始めて以来初めて、死亡者数が出生者数を上回ったと指摘。また、平均余命の長寿化と出生率の低下がタイの新たな課題となり、労働人口は縮小し、労働参加率は68.7%と10年前の70%から低下。結果として「老齢依存率(old-age dependency ratio)」は上昇し、2021年には生産年齢人口に相当するタイ人100人が支えなければならない60歳以上の高齢者は21人と、2015年に13人から増加。この傾向は今後も続くだろうとの見通しを示した。

タイの高齢者が直面する課題

同リポートは上記のようなタイの高齢化の進行状況に関する基本データを踏まえた上で、高齢者が日常生活の中で直面する課題について、「所得」「仕事(職場)」「貯蓄と社会保障制度」「医療」「住居」「テクノロジーと金融」というテーマごとに分析している。このうち所得については、「高齢者の半数以上がその主な収入を他人に依存しており、約半数がその収入が自分たちのニーズを満たすことができるか不安に感じている」と指摘した。タイ国家統計局の2021年の調査によると、高齢者の平均所得は年収で8万7136バーツ、月収で7261バーツ、1日当りでは何と242バーツと最低賃金より低かった。この結果、調査回答者の56%はその収入を主に、配偶者や他の家族構成員などの他人に依存しており、国の年金がより重要になっているという。

一方、主な収入源が仕事からだと回答した高齢者は32%にとどまり、回答者の40%以上が自分の収入に不安を抱えていると答えており、特にタイ東北部ではその比率は52%に達したという。また、貯蓄が5万バーツ未満の高齢者は40%以上に達し、高齢者の大半が、その主要な収入を賄うには貯蓄が少なすぎることが明らかになったという。さらに回答した高齢者の約半数は彼らや家族が借金を抱えていると報告するなど、高齢者が非常に厳しい収入状況、生活環境に置かれていることが分かる。

また、2022年に実施した調査では、依然仕事を続けている60歳以上の高齢者470万人のうち6割に相当する280万人が農業従事者だという。そして、タイの農業従事者1240万人中の4分の1が高齢者で、その平均賃金は月額6279バーツと極めて低い。また、農業に次いで多い高齢者の仕事は小売・卸売業で、高齢者の全雇用者数の14%に相当する67万人で、平均月給は9560バーツだった。ただ、金融、電気・ガス、教育分野は、高齢者の雇用は少ないものの、60歳以上のほうが45~59歳の層よりも給与が高く、高齢者の経験が評価されていることが分かったという。

社会保障制度の決定的な不足

このように、タイの高齢者は仕事がなく生活を家族など他人に頼っているか、仕事があっても極めて低収入である人が大半であり、そこでは当然、他の国同様、社会保障制度が不可欠だ。先進国でも社会保障制度はさまざまな課題を抱えているが、タイはその整備が相当遅れているとの印象だ。クルンシィのリポートは、タイの高齢者の貯蓄と国の社会保障制度についてまず、「退職世代の多くが年金や貯蓄を持たず、もしあってもその消費額に対して不足している可能性がある」と指摘。その上で年金制度について、「Universal Pension(老齢福祉手当)」など無拠出型年金や、強制加入(政府年金基金=GPFなど)あるいは任意加入(社会保障基金、国家貯蓄基金=NSF、プロビデント・ファンド)の拠出型年金などに整理している。

そして「60歳以上の高齢者930万人は拠出型年金ではカバーされておらず、このうち260万人が月額600~1000バーツのUniversal Pensionに依存している。こうした低所得者は月額3000バーツという貧困ラインを大幅に下回っている」などと警告。「多くの個人が退職後に十分な貯蓄がない大きな理由の1つが、農家や自営業者などのインフォーマル・セクターの労働者に対する強制加入型の貯蓄制度がなく、これらの個人は社会保障基金や国家貯蓄基金(NSF)という任意型の年金でしかカバーされていないからだ」と指摘している。

結局、2022年時点での国の年金制度では下記の表のように公務員向けの「Civil Servant Benefit Scheme」なら月額平均2万6050バーツが支給されるが、社会保障基金では月額平均3113バーツ、そしてUniversal Pensionの対象である約1100万人には月額平均でたった629バーツ(約2800円)しか支給されていないという日本人には想像できない現実がある。

「シルバー経済」はチャンスか

クルンシィのリポートは、タイの高齢者が直面する課題について「所得」「仕事」「年金」のほかにも、「医療」「住居」「技術・金融」についても説明した後、逆に高齢社会がもたらすビジネスチャンスについて、「高齢者の増加は“シルバー経済”という形で独自の経済チャンスもたらしつつある」と強調。その上で、「医療」「不動産」「食品・飲料」「ライフスタイル」「電子・デジタル産業」「金融」の各産業にもたらす効果を詳細に分析している。もちろん、日本でもそうだが高齢者層の増加が新たなビジネスチャンスとなるのは間違いない。しかし、収入が極めて少ない高齢者がこうした経済活動に貢献できる消費者になれるのだろうか。あるいはその子どもたちの支援が得られるのだろうか。

超高齢社会となり経済的に縮小の方向に向かいつつある日本だが、それでもまだ高度成長期に蓄積した富が残り、年金、介護などの社会保障制度を何とか築き上げてきた。タイの状況は明らかに違う。そして川島氏が今回のコラムで指摘した「都市部から農村への富の移転」「中所得者の育成」にタイが本気で取り組んでいくつもりは今のところなさそうだ。事実上の「絶対王政」が続く中で、今後も大手財閥など既得権益層ばかりが富を増大させ、貧富の格差は拡大し続けるのだろう。「豊かになる前に少子高齢社会入り」の現実がさらにこの歪みを拡大させ、タイがいわゆる中所得国の罠を脱することはほぼ無理に思える。ただ、先進国になれなくても、国民が不幸せかどうかは別問題だ。

THAIBIZ Chief News Editor

増田 篤

一橋大学卒業後、時事通信社に入社。証券部配、徳島支局を経て、英国金融雑誌に転職。時事通信社復職後、商況部、外国経済部、シカゴ特派員など務めるほか、編集長としてデジタル農業誌Agrioを創刊。2018年3月から2021年末まで泰国時事通信社社長兼編集長としてバンコク駐在。2022年5月にMediatorに加入。

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