バンコク都、タイを先進国に導けるか

バンコク都、タイを先進国に導けるか

公開日 2022.09.13

今年5月22日に行われたバンコク都知事選で地滑り的勝利を収めたチャチャート氏の知事就任から早3カ月半近くが過ぎ、この間、同氏のさまざまなパフォーマンスがメディアで頻繁に取り上げられてきた。そこには王室と軍部にがんじがらめになってきた旧来のタイ政治とは違う市民主導の要素があるのかどうか。

バンコク都に限れば明らかにそのエネルギーと一部分野の先進性は東京を上回り始め、都市鉄道網もここにきて一気に整備が進む中でさまざまな可能性を感じる。しかし日本が40年以上前から格闘してきた公害対策、環境対策にバンコク都は今ようやく取り組み始めた段階だ。先進国とされる欧米や日本は今や成長余力がなくなりつつある。いわゆる経済発展のみを優先して先進国になることが必ずしも最終ゴールではないということに気付きつつある中で、チャチャート氏はどのようにバンコク、そしてタイを変えていけるのだろうか。

知事選圧勝がタイ全土に意味するもの

「チャチャート氏の知事選勝利はタイ政治のターニングポイントになる可能性がある。過去20年間、“黄シャツ”を着た親軍の保守王党派と、“赤シャツ”の民主派や学生運動家との間で激しい対立が続き、しばしば騒乱となった。チャチャート氏はタイ貢献党の党員で後者に属していたが、今は穏健姿勢を取っている。彼は工学博士という経歴で、親しみやすく、赤と黄色の中間の立場で政治を行うと約束している。ある専門家は彼の勝利はバンコク都民が過去20年の政治闘争から脱却する準備ができていることを示唆している」

英誌エコノミストは5月26日号で、バンコク都知事選の結果についてこう評価。そして「バンコクでのチャチャート氏の圧倒的支持を見て、タクシン元首相は次の総選挙でのタイ貢献党の圧勝を予想したが、この楽観論はまだ早いだろう。多くの黄シャツ派がチャチャート氏に票を入れたが、それは同氏がタイ貢献党から距離を置いたからだ」との見方も示している。

こうしたバンコク都民の政治意識の変化がタイ全体にも何らかの変化をもたらすのかは不明だ。ただタイ経済がバンコク一極集中と言われる中では、バンコク都のトレンドは無視できない。タイの国土面積は約51.3万平方キロメートル (日本の約1.4倍)で、バンコク首都圏は面積では国土の1.5%の広さしかないが、人口ではタイ全体の約24%を占める。さらに経済規模を見ると、タイ国家経済社会開発委員会(NESDC)の2020年のデータで、バンコク首都圏の域内総生産(GRP)はタイの国内総生産(GDP)の48%近くを占めている。

バンコクの魅力と欠点

8月26日付のバンコク・ポスト紙によると、バンコク都庁は25日、「温室効果ガス排出ネットゼロに向けたバンコク気候・エネルギー行動会議」を主催した。この会議には、在タイ日本大使館、国際協力機構(JICA)、横浜市の担当者も参加し、バンコク都が2050年のネットゼロを目指す中で温室効果ガス排出削減策を協議した。横浜市は2015年からJICAとともにバンコク都の気候変動対策に協力、企業の屋根置き太陽光発電導入による再生可能エネルギー事業などの実施につながっているという。チャチャート知事は同会議で、「バンコク都庁は長年、二酸化炭素排出削減でJICAに協力してもらってきた。二酸化炭素排出の28%を占めるのは輸送部門だ。われわれは個人の自動車利用を削減するために大量輸送手段をさらに奨励していく」と述べた。

今号のFeatureではチャチャート都知事の実に広範囲な政策アイデアを紹介した。その中で特に個人的に強い印象に残ったのは、バンコクに初めて住んで一番疑問に思った、交通渋滞の1つの原因である信号システム問題、そしてごみ回収問題だ。もちろん汚職問題も深刻だが、これは東南アジアはもちろん、日本の五輪スキャンダル含め程度の差はあれ、全世界で残っている。人間の欲望の産物のようなものだろう。この問題に対しても、チャチャート知事は明確な方針を示しているが、タイの政治風土、政治システム自体が変わらない場合は対策の実現は極めて困難だろう。

土地問題、そして貧富の格差

バンコクに初めて駐在した時、最初に驚いたのはバイクの無法ぶり、人の命を軽視する文化だ。ベトナムやカンボジアなど他の東南アジアの途上国の方がもっとひどいのかもしれないが、バンコクのバイクは今でも道路を逆走、歩道を爆走している。自動車は人が先に横断歩道を渡っていても、それを止めさせ、自動車が先に通る。タイ人はそれが当然だと考えている。自動車より人を優先する教育はないのだろう。現時点でタイの自動車、二輪車市場でマジョリティーを占める日本の四輪車、二輪車メーカーの責任もある。バイタクに乗る女性の巧みさに驚くが、ヘルメットはほぼ全くしない。皆が自己責任を覚悟しているならそれもいいかもしれないが。

バンコク都心部を歩き回るとすぐに気づくのがスクンビット通りから南北に延びるソイが最終的に行き止まりとなっている場合が多く、また東西に延びる迂回路が少なく、東西に移動する際に結局、スクンビット通りに戻らなければならないことだ。「魚の骨」と呼ばれるこのバンコク都心部の道路網の構造が変わらない限り信号問題が多少改善されても渋滞の根本的な解決はできないだろう。あとは車やバイクの流入制限しかない。世界の大都市では一般的な碁盤の目のような道路網にするには、都市部に土地を保有する住民に道路整備のための土地の提供を求めるしかない。

結局、バンコクを象徴する渋滞問題は、現在、手動で行われている信号を担当する警察組織、都心部の土地を手放さなくても済む既得権益層に有利な税制などに本格的なメスを入れない限り根本的な解決はないだろう。そして大気汚染の原因の1つである排ガスをまき散らしている老朽化したバスを利用し、運河や河川を生活ごみの捨て場とし、ごみ分別を生業としているような低所得層に今一度目を向け、貧富の格差問題に真剣に取り組まない限り、環境問題への対処も難しいだろう。

10日付のバンコク・ポスト紙(4面)はチャチャート知事就任後99日経過後の専門家らによる通信簿を紹介している。上院委員会の委員長は、「洪水やごみ問題、渋滞は解決できていないためバンコク都民の期待に応えることはできていない」との辛口の評価だ。一方で、消費者団体幹部は、知事は市民の声をよく聞いているとした上で、「バンコクは大都市で、数多くの複雑な問題がある。チャチャート氏は就任してまだ4カ月未満だ。そんな短い期間ですべての問題を解決できるわけではない。もっと時間が必要だ」と述べている。バンコク、そして根本問題の解決には数年、数十年の期間が必要なのは言うまでもない。「すべての人に住みやすい都市」にするための取り組みは始まったばかりだ。

THAIBIZ Chief News Editor

増田 篤

一橋大学卒業後、時事通信社に入社。証券部配、徳島支局を経て、英国金融雑誌に転職。時事通信社復職後、商況部、外国経済部、シカゴ特派員など務めるほか、編集長としてデジタル農業誌Agrioを創刊。2018年3月から2021年末まで泰国時事通信社社長兼編集長としてバンコク駐在。2022年5月にMediatorに加入。

Recommend オススメ記事

Recent 新着記事

Ranking ランキング

TOP

SHARE