
公開日 2026.10.09
人口増加や所得向上を背景に、成長市場として期待されてきた新興国。しかし、市場が拡大していても、日本企業がその成長を取り込めるとは限らない。前編では、中国・韓国・現地企業の台頭やデジタル化、流通構造の変化によって、競争の前提が変わりつつあることを見てきた。後編では、こうした変化を捉え、新たな勝ち筋を見つけ、事業として広げていくために、日本企業に何が必要なのかを考える。
日系企業は、東南アジアを含む新興国市場でさまざまな試みをしてきた。市場調査、SKU(在庫管理単位)の見直し、代理店改革、コスト削減、顧客関係管理(CRM)導入などである。それでも変革が進まないのは、現地法人の努力が足りないからではない。現地で得た気づきが意思決定につながらず、新しい試みが年度予算や部門の壁に阻まれ、成功しても一国の小規模事業にとどまってしまう。現地市場を理解する回路と、グループの資源を動かす回路が切れているという本質的な問題である。
個別の取り組みを、事業全体の変化につなげるには何が必要なのか。ここで重要になるのが、改善とトランスフォーメーションの違いである(図表1)。その違いは、変化の大きさではなく、事業の前提を変えるかどうかにある。既存商品の原価を下げ、営業担当者を増やし、代理店に販促を求めるのは改善である。一方、狙う顧客を変え、現地向けの商品体系をつくり、最終顧客のデータを得るチャネルへ移り、それに合わせて組織と投資配分を変えるなら、事業の勝ち方そのものが変わる。

では、なぜ個別の改善がこうした変化につながらないのか。その背景には、三つの「切れた回路」がある。第一は、市場の変化を捉えてから、意思決定するまでの回路である。現地法人が顧客の変化を感じ取っていても、本社へ報告する段階では、売上見通しや予算要望への落とし込みを求められる。第二は、意思決定から新しい試みまでの回路である。新しい仮説を試そうとしても、商品仕様、価格、IT、法務、ブランドなど、複数部門の承認が必要になる。
第三は、実験から事業拡大までの回路である。ある都市や国で成功しても、国別の損益や単年度の収益を中心に評価していると、他市場への展開に必要な投資が「一国のコスト」に見えてしまう。その結果、成功モデルを横展開するための資源配分につながらない。
では、どうすればよいのか。必要なのは、市場を「読む」、勝ち筋を「試す」、資源を「動かす」という三つの能力を、一つの経営モデルとしてつなぐことである。市場の変化を捉えても、新しいアイデアを試せなければ意味がない。また、新しい試みが成功しても、そこへ資金、人材、技術を投入できなければ、事業として広げることはできない。三つの能力は足し算ではなく掛け算である。
まず、市場を「読む」とは、市場調査を増やすことではない。必要なのは、「どの顧客が、どの場面で、なぜ競合へ移ったのか」「どの価格、仕様、サービスの組み合わせなら顧客の選択が変わるのか」といった、次の試みにつながる情報である。例えば、失注理由を単に「価格」とまとめるのではなく、初期価格、支払条件、納期、保証、導入時の負担などに分解するだけでも、取るべき対策は変わってくる。実務では、月次の業績会議とは別に「シグナルレビュー」を設けることも有効である。
現地法人が、顧客行動の変化や現場で得た情報、それによる事業への影響、次に試す仮説を一枚にまとめ、本社や地域統括と共有する。本社や地域統括は、他市場で起きている類似の動きや活用できる技術などを持ち寄る。目的は報告書をつくることではなく、「新しい取り組みへ進む」「追加で確認する」「引き続き動向を見る」といった次の判断につなげることである。
次に、勝ち筋を「試す」とは、仮説を実際の顧客に対して小さく試すことである。対象顧客、提供する価値、価格、販売方法、成功条件を明確にし、原則として3ヶ月程度で継続、修正、中止を判断する。新商品のテストだけでなく、特定都市での直販、代理店へのインセンティブの変更、保守サービスの有料化、現地企業との共同提案なども実験になりうる。
重要なのは、一件の大型パイロットに賭けるのではなく、顧客、提供価値、販売チャネルについて複数の仮説を小さく試すことである。早い段階で、低いコストで失敗を見極めることが、成功するモデルを見つけ、その再現性を高めることにつながる。
最後に、資源を「動かす」とは、勝ち筋が見えたモデルへ、国や部門を越えて資金、人材、技術、データを移すことである。本社の役割は細部を一つひとつ承認することではなく、複数の機会を比較し、将来性の高いモデルに資源を振り向けることにある。
一方、現地法人には、何が検証でき、何がまだ確認できていないのかを明確にすることが求められる。資源配分も段階的に行う。まずは小規模な検証に必要な予算を出し、顧客の反応や採算性を確認できた段階で、商品開発、人材、システムへ追加投資する。他市場への展開が見込める案件には、国別予算とは別の投資枠を使い、逆に期限までに十分な根拠を示せない案件からは資源を引き上げる。こうして、可能性が見えた事業へ資源を集中させていく。
このような取り組みは、最初からすべての地域で一斉に始める必要はない。まずは一つか二つの「Lighthouse(先行モデル)市場」を選び、顧客、商品・サービス、販売方法、オペレーションを一体として試す。その後、成功したモデルを、複数市場で共通化できる部分と、それぞれの市場に合わせる部分に分けて横展開していく。例えば、商品プラットフォームやデータ基盤、調達、パートナーとの契約は可能な範囲で共通化する一方、価格、販促、サービス、販売チャネルは各市場に合わせる。
また、必要な機能を一つの国ですべて持つ必要もない。例えば、商品開発はタイ、デジタル基盤はシンガポール、生産はベトナムというように、それぞれの国が持つ機能を組み合わせ、一つの地域ネットワークとして事業を展開することもできる。
こうした能力を測る指標となるのが「Signal-to-scale time」である。これは、有望な市場の変化を最初に捉えてから、実験を行い、複数市場への展開に向けて資金や人材を配分するまでにかかる時間を指す。
新興国市場で求められるのは、現地法人にすべての権限を渡すことではない。本社、地域統括、現地法人が共通の仮説と判断のタイミングを持ち、市場の兆しをグループ全体の成長機会へつなげることである。日系企業が持つ品質、安全性、技術、ブランド、長期的な取引関係は、今も大きな資産である。ただし、それらを現地顧客が選ぶ理由へと変え、市場の変化に合わせて改善し、成長が見込める領域へ資源を振り向けられなければ、競争上の強みにはならない。

Roland Berger Co., Ltd.
Principal Head of Asia Japan Desk
下村 健一 氏
一橋大学卒業後、米国系コンサルティングファーム等を経て、現職。プリンシパル兼アジアジャパンデスク統括責任者として、アジア全域で消費財、小売・流通、自動車、商社、PEファンド等を中心にグローバル戦略、ポートフォリオ戦略、M&A、デジタライゼーション、事業再生等、幅広いテーマでのクライアント支援に従事している。
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Senior Project Manager, Asia Japan Desk
橋本 修平 氏
京都大学大学院工学研究科卒業後、ITベンチャーを経て、ローランド・ベルガーに参画。その後、米系コンサルティングファームを経て復職。自動車・モビリティ、消費財・小売を中心とする幅広いクライアントにおいて、グローバル戦略、新規事業、アライアンス、DX等の戦略立案・実行に関するプロジェクト経験を多数有する。
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ローランド・ベルガーは戦略コンサルティング・ファームの中で唯一の欧州出自。
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