亀田製菓との合弁も成功! シンハーが明かす「勝てる」協創戦術

THAIBIZ No.159 2025年3月発行

THAIBIZ No.159 2025年3月発行シンハーが明かす「勝てる」協創戦術

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亀田製菓との合弁も成功! シンハーが明かす「勝てる」協創戦術

公開日 2025.03.10

シンハー × 亀田製菓 合弁で叶えたV字回復と新市場開拓

ブンロード・グループと日系企業の協創における代表的な成功事例は、シンハー・コーポレーションと亀田製菓株式会社の合弁により、2020年に新たに事業をスタートしたシンハー・カメダだ。同社は早期に黒字化を実現し、現在新たな市場も開拓しつつある。合弁の経緯や合弁設立後の変化などについて、同社の最高経営責任者(CEO)である長谷川光伸氏にインタビューし、協創の成功要因を探った。

Singha Kameda(Thailand)Co., Ltd.
Chief Executive Officer
長谷川 光伸 氏

1986年、みずほ銀行の前身となる富士銀行入行。32年間銀行勤務。シンガポール、ベトナム、タイ、インドネシア等アセアンの赴任は27年間に及ぶ。2011年ハノイ支店長、2013年インドネシアみずほ銀行社長を歴任。2018年に亀田製菓株式会社入社、2020年より現職。小学生時代、父親の仕事の関係でバンコクで暮らす。

合弁事業は、タイ進出の有力手段

日本企業、特に製造業者がタイ企業と協業する際に用いる事業形態として、主に①合弁事業、②技術提携、③製造委託、④企業買収、⑤代理店販売−の5つが挙げられる

それぞれにメリットとデメリットがあることは言うまでもないが、とりわけ①合弁事業においては、出資比率から会社設立後の文化醸成まで、乗り越えるべき壁の数が多い印象だ。一方で、タイでは外国人事業法による規制もあり、柔軟性のある事業展開を行うための一つの手段として、タイ企業との合弁会社設立は有力な選択肢である。

そのような中、「合弁会社設立後、早期の段階で黒字化を実現し、社内の人間関係も安定していることから、合弁の成功事例と言えるだろう」と胸を張るのは、シンハー・カメダCEOの長谷川氏だ。純粋な製造業のため外国人事業法の適用外である亀田製菓が、なぜタイ企業との合弁を選んだのか。そして、シンハー・カメダが順調に走り続ける背景には、どのような努力があるのだろうか。

※日本企業がタイ企業をパートナーとしてビジネスを始める際の留意点 〜 製造業を中心とした契約形態別のポイント〜 (2015年9月 日本貿易振興機構(ジェトロ)バンコク事務所)

水飴からスタートし、国内米菓シェアNo.1に

新潟県に本社を構える亀田製菓は、「亀田の柿の種」や「ハッピーターン」など、世代を超えて愛される菓子ブランドを数多く有し、国内米菓市場のトップを走る(国内シェア30%超)。グループ企業との連携により確立した、スーパーマーケットやコンビニエンスストア、百貨店、テーマパーク、電子商取引(EC)など多様な販売チャネルに対応した柔軟な流通網を強みとする企業だ。

今でこそ煎餅やあられのイメージが強い同社だが、戦後に始めた水飴の委託加工事業が起点だった。1950年から煎餅を主体として、「柿の種」などもち米菓子の製造もスタート。1957年に「亀田製菓株式会社」と会社組織になった。1960年代には売上高10億円台を突破し、「サラダホープ」「ピーナッツ入り柿の種」「サラダうす焼」など次々と人気商品を打ち出した。日本人にお馴染みの「亀甲マーク」の制定も、この頃だった。

1960年代に制定された「亀甲マーク」

1974年には売上高100億円を達成し、翌年に獲得した「国内米菓市場におけるトップシェア」の座は現在も維持している。1984年に新潟証券取引所に上場。その5年後には米国の会社と業務提携し、海外展開への扉を開いた。

2000年に証券取引所の合併に伴い東京証券取引所市場第二部に上場、続いて2012年に第一部に指定替えを果たした。今や同社は、「日本の米菓」という文化を海外に広げる重要な役割も担いながら、順調に成長を続けるリーディングカンパニーだ。2022年にインド出身のジュネジャ・レカ・ラジュ氏が代表取締役会長CEOに就任したことで、同社におけるグローバル化の動きもさらに加速している。

広がり続けるグローバルネットワーク

グローバル展開の皮切りとなったのは、1989年の、米国のSESMARK FOODS, INC.(現TH FOODS, INC.)との資本業務提携だ。亀田製菓の米菓製造技術を導入し、低アレルギー・低脂肪のライスクラッカーを米国で製造・販売し始めた。

グルテンフリートレンドや日本食ブームの波に乗り、2008年にはカリフォルニア州に「KAMEDA USA, INC.」を設立した。2012年にはプレミアム・ライスクラッカー大手「Mary’s Gone Crackers, Inc.」を子会社化するなど、北米のマーケットを積極的に攻めている。

アジアにおける展開にも目を見張るものがある。2003年に中国・青島に設立した「青島亀田食品有限公司」では日本向け米菓の製造に加え、中国国内向けの米菓製造販売も行っている。

2013年に合弁会社として設立し、2021年に連結子会社化したベトナムの「THIEN HA KAMEDA, JSC.」では、揚げ米菓「ICHI」を製造・販売。同ブランドはベトナム人からの人気を集め、ナショナルブランドとしての地位を確立しつつある。その他、タイ、インド、カンボジアにも合弁会社を設立するなど、各国のニーズに対応したブランド展開やクロスボーダー取引の体制を強化している(図表3)。

カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム、タイ、中国から構成される「大メコン圏(GMS:Greater Mekong Subregion)地域」に東西・南北・南部経済回廊と呼ばれる、国家を縦断する高速道路が整備されて久しいが、亀田製菓は同経済回廊における全主要拠点(バンコク、ハノイ、ダナン、ホーチミン、プノンペン)に生産工場を有している(図表4)。

出所:みずほ銀行公開資料に基づきTHAIBIZ編集部が作成

大メコン圏では、関税撤廃や規制緩和等を通じて、ソフト面でも地域内の連結性を強化していこうとする側面があり、長谷川氏は「アジアにおいては国単位ではなく、大メコン圏を一つの市場として捉え、事業を発展させていけたら良い」と語る。

また、亀田製菓グループのビジョンについて同氏は「製菓業から米業へビジネスモデルを進化させることを目指している」とした上で、「米粉パン、米由来の植物性乳酸菌、炊き立ての米を急速乾燥したアルファ米、プラントベース食品などといった米菓以外の製造・販売にも注力しており、ライスイノベーションカンパニーとしてお米の可能性を最大限に引き出すことによる新価値の創造が目標だ」と説明した。

ライバル同士が手を組んで設立した新会社

亀田製菓はタイ進出の歴史が長く、別現法で1991年まで遡ることができる。2009年からは独資となりThai Kameda Company Limited.(以下、「タイ・カメダ」)を運営していた。亀田製菓が主に生産拠点としてネットワークを広げてきたアジアの中で、タイは東北部であられの原料であるもち米を豊富に収穫できることを強みとしている。

長谷川氏によれば、1980〜2000年はタイ国内にあられの製造プレイヤーが数多く存在していたが、生産コスト・通貨の上昇等によりその数は徐々に減少していった。その中で常に首位を争ってきた2社が、後に合弁を組むシンハー・コーポレーション(以下、「シンハー」)の子会社であるHesco Food Industryと、タイ・カメダだったという。

長谷川氏は合弁の経緯について「あられOEM生産会社としてトップを争っていた両社の業績は決して良好とは言えない状態だった。2018年に合弁に向けた協議がスタートし、2年間の話し合いの末、2020年に合弁会社シンハー・カメダが設立された」と解説。

協議に長い歳月を要した理由について同氏は、「『業績の苦しい2社が組んだところで上手くいくのか』といった厳しい意見があったほか、合弁設立にありがちなイニシアティブに関する議論の足踏み状態が続き、簡単には折り合いがつかなかった」と当時を振り返った。

結局、出資比率は「50:50」に着地、合弁会社として輸出OEMを主力とした事業をスタートしたが、当初は使用言語等のコミュニケーションの難しさに加えて、お互いに培ってきた製造方法や製造現場での考え方の違いが浮き彫りとなり、認識の共通化が最大の課題だったという。長谷川氏は「共通化」に向けた具体的な努力について、「問題・すれ違いが起こっても、責任転嫁やいがみ合いはせずに互いに歩み寄ることが大切だ。相手のやり方が理に適うと思えば、素直に折れることが重要だ」との見解を示した。

実際、このアプローチで地道に共通化を図った結果、会社設立の半年後にはトラブルの数が減少し、顧客からの発注も増加し始めたという。また、タイ人、ミャンマー人、ラオス人、カンボジア人、日本人、両親会社からの派遣社員、合弁会社雇用の社員等、極めて多様性のとんだ社員構成であるため、会社帰属意識やエンゲージメントを高めるための「We are One」活動を推進しているという。

合弁後、早期の黒字化を実現

合弁の成果として長谷川氏は「早期の黒字化」を挙げた。設備集約による生産の効率化や、経営基盤が強化されたことによるコスト削減などが要因だという。同氏は「特に、内部管理面での向上が大きく起因したと思う。日系独資ではなかなか集められないタイの経営を知り尽くすシンハーの優秀な経営人材は、業績向上に大きく貢献してくれたと認識している」と明るい表情で話す。

単に優秀な人材が増えただけではない。同氏は、本特集でインタビューしたヴォラパット氏をはじめとするシンハーの経営層とは定期的に会話する場を設けている。特に毎日顔を合わせる経営メンバーとは密なコミュニケーションを心がけており、「互いを思い遣り、尊重し合える関係性」だという。さらに同氏は「親会社の考え方や事情を理解した上で、歩み寄って落としどころを見つけながら仕事を進めている」と、本音で向き合える仲間と協調することの重要性を強調した。

体制変化で離職率も低下

シンハー・カメダには700人弱の社員が在籍しており、約60人のタイ人マネジャーが、約6割をミャンマー人が占める500人以上のワーカーを束ねている(図表5)。

出所:THAIBIZ編集部が作成

長谷川氏は「日本人が経営していたタイ・カメダ時代と比較すると、現在はワーカーの離職率が下がっている」とし、その理由となりうる可能性の一つとして「タイ人経営者の存在」を挙げた。

「日本人が前面に出るマネジメントよりも、タイ人によるマネジメントがワーカーに合っているのかもしれない。そういった意味でも、合弁は良い変化をもたらしてくれた」と目を細める。

タイ人向け新ブランドの登場、国内市場開拓へ

現在シンハー・カメダは、亀田製菓のプライドをかけて実現したタイ国内最高レベルの品質管理のもと、北米や欧州など世界各地への米菓輸出拠点としての重要な役割を担っている。長谷川氏は今後の方向性について「タイ産の米や醤油を用いて利益率の高い欧米を中心に輸出OEMを展開していく。特に、欧米で人気のあられミックスを中心とし、スナックの分野にも拡大していきたい」と、引き続き輸出OEMを主力事業に据えて発展していく覚悟を示した。

さらに、「タイ人向けに立ち上げた新ブランドの認知度を高め、タイ国内市場の開拓にも注力したい」とし、「所得格差の大きいタイでは、日本の味を好むタイ人をターゲットにやや高価格帯での販売を狙う。シンハーの持つ販路やマーケティングの知見にも期待している」と説明した。

新ブランドは、主に「海苔巻きあられ」「あられミックス」「チップスタイプ」がある。「海苔巻きあられ」は、梅しそやわさびのフレーバーもあり、かつ日本品質。そのため、日本の味を知っているタイ人などに人気のブランドだ。

一方で「あられミックス」「チップスタイプ」はより大衆受けする製品で、幅広い層をターゲットとしている。 確かに日本を深く知らないタイ人でも、パッケージに描かれる和風イラストで「日本のお菓子」であることは容易に想像できそうだ。見慣れたシンハーのロゴと亀田製菓のロゴが、消費者が真新しいブランドを手にする際のハードルを低くする役割も担っている。

生まれ変わった新会社としての覚悟

タイ企業との合弁経験から、長谷川氏は「タイでの経営にあたっては、日本人のみの力では難しい局面も多々あるため、まずは信頼できるタイのパートナー選定が重要だ」との見解を示した。さらに「当社は、外国より原料を輸入しそれを加工して輸出している輸出企業とは一線を画しており、タイの自然(米・水・人的資源)を用いて輸出し外貨を稼ぐ。ピュアにタイ経済への貢献度が高い会社であると自負している」と胸を張り、「亀田製菓としてではなく、『シンハー・カメダ』として、国内外市場も広げていきたい」と、今後の抱負について語った。

順調とは言えない経営状態の2社が一つになり、それぞれの強みを活かしながら互いに歩み寄る努力を継続することで、V字回復を実現させた。さらに、新しい価値の創造を通じて国内市場の開拓にも果敢に挑んでいる。日タイ企業による合弁の好例であるシンハー・カメダから学ぶことは多く、同社の今後の挑戦も楽しみだ。

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THAIBIZ編集部

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