カテゴリー: ビジネス・経済, 食品・小売・サービス
公開日 2022.09.27
タイ最大規模の日本総合展示会とされるバンコク日本博が9月2日から3日間、バンコク中心街の大型商業施設サイアムパラゴン内のロイヤルパラゴンホールで行われた。新型コロナウイルス流行によりオフライン開催は3年ぶりで、来場者数も新型コロナ前のピーク水準近くとなり関係者も感慨ひとしおだったようだ。新型コロナがエンデミック(風土病)となりつつあるタイミングでの開催は旅行関連産業の復活の狼煙となるのか。また、9月中旬にはバンコク国立博物館で有田焼の展覧会と佐賀県のPRイベントが行われた。日本への観光旅行、留学、そして日本企業への就職などの分野の今後の動向を探るため関係者の声を拾った。
「過去20年でタイの人々の生活は格段に豊かになっている。日本熱は以前ほどではなくなっているかもしれないが、タイ人の日本への関心は形を変えて続いている」と語るのは、バンコク日本博実行委員会の長谷川卓生委員長(ジェイエデュケーション代表取締役)だ。同氏はタイ人の日本への関心は「1980年代から1990年代後半は自動車・家電などの『モノ』、1990年代前半から2005年ごろまでは音楽・ドラマ・映画などの『コンテンツ』、2005年ごろから2010年代前半には空白期があり、2014年ごろから現在まではトラベル・食などの『経験』、2020年ごろから現在までは、ビジネスモデルや精神性などの『コンセプト』だ。また、アニメや漫画という『コンテンツ』は1990年代2000年代前半をピークに1980年代から現在までずっと続いている」と分析している。
バンコク日本博のルーツは、ジェイエデュケーションが2002年に始めた「日本留学フェア」だ。2008年からは「日本企業(就職)フェア」が加わり、さらに2015年に「ジャパン・エキスポ・タイランド」という名称の日本総合展示会として再出発。2018年からは現在の名称になって続いてきた。総合展示会になってからの延べ来場者数は2015年が7万5000人で、2017年の9万7000人をピークに2019年は8万4000人だった。2020年はオンライン開催、2021年は中止。そして今回2022年の来場者数は見込みの10万人には達しなかったものの、9万3000人と過去2番目の水準だった。
ジェイエデュケーションはもともとタイなど東南アジアの人々の日本留学支援を狙いバンコクで1999年に創業。2001年に初めての留学生を派遣。そして2002年から日本留学フェアを始めた。その後、同社が送り出した日本留学者数は増加し続けたが、2017年から横ばいに。新型コロナウイルス流行の真っただ中の2021年は10人だったが、2022年は新型コロナウイルス期間中に待機していた人が多く、4月組(7月14日まで)が206人、10月組は約130人で、年間では過去最高になる可能性があるという。
タイから日本への留学生数については日本学生支援機構(JASSO)が調査している。タイの日本ブームが徐々に後退している印象もあり、減少傾向かと思ったが、少なくとも2017年までは増加トレンドが続いている。ただ、世界各国からの日本への留学生数の2017年のデータを見ると中国がダントツで、次いでベトナムが多いのは分かるが、その後は、ネパール、韓国、台湾、さらにスリランカ、インドネシア、ミャンマーの次がタイと意外な数字だ。タイ人の留学先では、所得の向上とともに米国が増えていると思いきや、タイ国際教育コンサルタンツ協会(TIECA)のデータで、1997年をピークに減少傾向が続いている、一方でオーストラリア留学はおおむね増加傾向だ。
長谷川氏は今後について、「日本への旅行、日本食ブームは今の30~40代が中心だ。その子供たちが大人になった時、ブームが再燃するか。高校留学などの形で、親の思いが子供に受け継がれていくかに注目している」と指摘。また、最近のタイでの韓国や中国の存在感の高まりについては、「KPOP人気は韓国語を学ぶということにはつながっていないようだ」とする一方で、「ビジネスはやはり中国かもしれない」との見方を示した。
バンコク日本博の主な構成は、もともとの原点である留学支援、そして日本企業就職、トラベル、物販、飲食、エンターテインメントだ。出展数は留学が36団体、就職が29団体、トラベルが34団体など。このうち日本企業就職フェアは、2019年からタイで最大規模の日系人材紹介会社パーソネルコンサルタントが運営を担うようになった。
パーソネルによると、今回の就職ブースで履歴書登録のあった人材数は合計約3000人で、各出展企業に集まった候補者人材の数は、各社3日間合計でそれぞれ約100~150人に達したという。同社でタイ人人材の日本での就職(タイニッポンフェローシップ)を担当し、今回のバンコク日本博の就職エリア運営にもかかわった小林愛可マネジャーは、「今回のバンコク日本博で日本にまだまだ本気で目を向けてくれるタイ人が多いことが分かった」とした上で、「来年は、日本企業の技術力など、日系企業そのものをアピールする場とし、そしてその先に就職が結びつく機会にしていきたい」と抱負を語る。
小林氏はまた、タイ人の日本での就職動向について、「日本が今でも好きだと思っている人は多い。コロナ前に日本に留学したものの、コロナで日本での就職ができずタイでくすぶっている優秀な人もいる。さらにコロナ前に就職が決まったものの、3年待たされた人が5月になってようやく日本に渡航したケースもある。今年7月ぐらいから日本勤務の内定をもらう人が増えてきた。日本語人材は日本語能力試験(JLPT)の1級(N1)、2級(N2)保持者が多く、理系人材においても有名大学を卒業し、日本での就業を希望する者は多い。どちらも非常に優秀だ」と説明。一方、日本企業側の新しい傾向として、タイ人を日本の本社で採用して、経験を積ませた後、タイに送り込んで将来の幹部として育てていこうという試みも始まっているという。
新型コロナウイルス流行の収束をにらんで訪日外国人旅行、いわゆる日本のインバウンド再開への期待も高まる中、9月14日から3日間、バンコク国立博物館のセミナールームで「Trip to Saga」と題する佐賀県PRイベントが行われた。薩摩琵琶奏者と横笛奏者による伝統芸能のパフォーマンス披露、佐賀県特産品の展示や試食、特に世界的にも知られる有田焼では展示・販売だけでなく、絵付け体験ワークショップも行われた。新型コロナ流行前には、日本の地方自治体レベルのインバウンド誘致イベントはバンコク市内のあちこちで頻繁に行われていたが、この佐賀県のイベントはその復活の先駆けかもしれない。
今回の佐賀県のイベントは実は、タイ文化省芸術局が主催し、佐賀県が共催となって行われた「日本とタイの陶磁器交流-貿易と文化交流の永遠の伝説」をテーマとする有田焼の展覧会の関連企画だった。この展覧会では九州陶磁文化館から有田焼、約100点とタイの陶磁器を展示し、それぞれの特徴や時代背景、製作工程を紹介している。
もともと、佐賀県は2018年にタイ文化省と文化交流に関する覚書(MOU)を締結。タイのシリキット王太后が陶磁器に造詣が深かったことから、王太后の90歳の誕生日に合わせ、芸術局が日本とタイの陶磁器交流の企画展を考え、佐賀県が協力することになったという。佐賀県文化・観光局文化課の江島真衣係長(芸術担当)は、「アユタヤ王朝時代に、日本人が持ち込んだ有田焼の破片がチャオプラヤ川で見つかる一方で、タイの焼き物が鹿児島など九州で見つかっている」と述べ、日本とタイは陶磁器などの交易が古くから盛んだったようだと指摘した。今回の展覧会では、タイ王国文化省側は博物館のシワモーク宮殿をすべてこの特別展のために用意、有田焼の製作工程や実物大の日タイの登り窯を再現した展示など、タイ文化省が相当の予算を使って本格的に取り組んだことがひと目でわかる。
実は佐賀県はタイ人の間では有名な観光地だ。それは佐賀県を舞台にしたタイの映画、ドラマがヒットしたためだ。2014年の映画「TIME LINE」、そして2015年のドラマ「STAY」のロケ地となった佐賀県鹿島市の祐徳稲荷神社がタイ人の間で爆発的人気となり、タイ人観光客が急増した。これ以後、佐賀市では毎年10月にタイフェスティバルが開かれるようになったり、佐賀県に住むタイ人や、タイが好きな人たちで「サワディ佐賀」というボランティア団体を作り、タイ映画の上映会を開催したりなど市民レベルの交流活動も始まったという。新型コロナを経て、こうしたタイと日本の地方との草の根的な交流が根付いていくことに期待したい。
TJRI編集部
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