ORIGAMI By N.O.K. Co., Ltd.  田中  雄輝

ArayZ No.117 2021年9月発行

ArayZ No.117 2021年9月発行中国企業のASEAN進出動向

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ORIGAMI By N.O.K. Co., Ltd. 田中 雄輝

公開日 2021.09.09

田中 雄輝 Yuki Tanaka President

日本人の父とタイ人の母の間に生まれる。出生地のタイを皮切りに、フィリピン、オーストラリア、日本で暮らした経験があり、現在はバンコクで30年以上の歴史を持つ不動産会社ORIGAMI By N.O.K. Co., Ltd.を経営。過去にはタイの映画やドラマ、CMに出演するなど俳優としても活動。

https://www.origami-estate.com


幼少の頃から色々な国を 回られていますね

生まれはタイです。ただ、生後3ヵ月くらいの時に、父の仕事の都合でフィリピンへ渡り、幼稚園の途中まで過ごしました。その後、父が友人の会社を手伝うために、勤めていた日本の商社を辞めてフィリピンからタイに戻りました。

中学校の途中から高校卒業まではオーストラリアに留学。その後は日本で音楽の専門学校に通いました。友人と2人でユニットを組み、卒業後も日本の芸能界で活動しようと思っていましたが、体調を崩した母の仕事を手伝うため帰国しました。母の体調が回復するとアサンプション大学に通いました。

そのため、「どこで育ったの?」と聞かれると困るんです。どの部分を答えれば良いんだろう、育ったとは何だろうかと。

自身のルーツに関して悩みは?

父、母ともに日本語・英語・タイ語が話せます。私もマルチリンガルにならなければならないプレッシャーはありました。

「タイ語が上手ですね」と言われた時に、「ハーフです」と答えると、それだけで納得されることが多いのですが、どのような環境であろうと言語は勉強しなければ話せるようになりませんし、勉強するかしないかは自分次第です。努力をしなければ成長はしないということを幼少期の経験から学びました。

日本語習得面でご家庭で意識されていたことは?

日本語・タイ語・英語を操り、お客様のために自ら日々奔走する

フィリピンからタイに戻り、日本人学校に通いましたが、日本語の情報に触れる機会が限られるので、学校の勉強に付いていくためにも親は様々な工夫をしてくれました。

当時は今と違い、日本のテレビ番組を気軽に見ることができません。唯一見ることができた日本語の番組は、夕方の1時間のニュースくらいしかなく、父からは絶対に見るように言われていました。そして父が帰宅後、どんなニュースがあったか私に説明させます。ただ小学生に政治などの話は分からないので、内容は天気予報やスポーツの結果などが多かったです。

ダイニングの壁には大きな世界地図と日本地図が貼られ、夕食後にはそれを見ながら父が色々な話を聞かせてくれました。オリンピックが開催された時は壁中に貼られた関連記事の切り抜きを、一つ一つ読んでいました。

社長に就任された経緯とは?

母に代わって2017年に社長に就任しました。母は誰も継ぐ人がいなければ会社をたたんでも良いという考えでしたが、母がこれまで築いてきたものでもありますし、この会社があったからこそ自分も留学などをさせてもらえたので、母と会社への恩返しの気持ちを込めて継がせていただきました。

社長就任後、社名をN.O.K.からORIGAMIに変更しました。  最近は、バンコクの日本人向け不動産事業でも競合が増えてきました。その中で、他社と見比べたときに、従来の社名だと初めてのお客様に日本人の会社と思われないかもしれません。そこで、日本の文化の一つである折り紙を社名に入れました。

弊社は30年以上、バンコクで不動産事業を手掛けており、部屋のオーナーとの交渉力が強みです。母の代からの長い付き合いのオーナーが多く、多少の頼みごとは「ORIGAMIさんのお客様なら良いですよ」と言ってくださることも多いです。

もちろんお客様は増やしたいですが、手作り感のあるサポートというのも続けていきたいと思っています。画一的なサービスではなく、例えば部屋に備えてある電化製品が使えなくなったら、業者が修理に来るまで代わりの製品を置いてあげたり、直せるなら自分で直したり、お客様との関係性の中でやれることは今後も続けていくつもりです。

お客様を案内する時は自分で車を運転するのですが、車には修理に使う工具と掃除道具を常備しています。

人生のターニングポイントとは?

やはり、日本にいた時に母が体調を崩し入院したことだと思います。

体が弱い母は昔から入院することも多く、大人になった自分が母の負担を軽くさせられることはないかと考えた時に、タイに帰って会社を継ぐことだと決意しました。

また、中学から留学し、親との時間が他の人より少なかったこともあり、少しでも多く一緒に時間を過ごしたいという気持ちもありました。

母に代わって社長に就任した時、自分が背負っているものの大きさに改めて気づきました。親や社員の人生が自分に懸かってことを実感し、不動産の仕事にさらに力を注ごうと思いました。

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THAIBIZ編集部

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