カテゴリー: バイオ・BCG・農業, ビジネス・経済
連載: 経済ジャーナリスト・増田の眼
公開日 2024.11.18
タイの農業はやはり奥深い。日本で一時期、農業取材をしていたこともあり、タイの農業の表層だけを見て、思い込みで間違った解釈をしていたことに思い知らされることもある。今週、インタビュー記事を配信したハーモニーライフの大賀昌社長にタイのオーガニック農業の実際を聞いて、タイが予想以上に真剣にオーガニックに取り組んでいることを認識させられた。
そして以前、タイの農業生産性は先進国だけでなく、ラオスやミャンマーなどよりも低いというデータに驚いた。これについて「結局、単位当たり収量を極力上げなくても生活はしていけるということは、タイはそれだけ作物の生育環境に恵まれた豊かな国だという裏返しの話としか思えない」と書いたが、そんなアバウトな話ではないことを、京都大学・東南アジア諸国連合(ASEAN)拠点長の縄田栄治特任教授の講演を聞いて思い知らされた。このニュースレターでも何度かタイの農業を取り上げてきたが、それは主にコメを含めた商業作物のビジネスの話が多かった。改めて縄田教授の講演を紹介することで改めて、タイの農業と農村社会のファンダメンタルズを考えてみたい。
1983年に国際協力機構(JICA)の専門家とし初めて1年間タイに駐在して以後、約40年間タイの農業と付き合ってきたという縄田教授はこの日の講演で、まず東南アジアは大陸部と島嶼部に分かれると指摘。ミャンマー、タイ、ラオス、カンボンジア、ベトナムの5カ国が属する大陸部は、地理区分としては大きく「山地部」「平原部」「デルタ」に分かれ、タイはこの3区分のどれもそろっていると説明した。
そしてデルタ地域については「イラワジ」「チャオプラヤ」「メコン」「紅河」という大河川の河口部に広がり、「乾季、雨季があり、雨季の終わりに季節的に洪水がある。紅河を除き自然堤防が未発達、居住環境が劣悪で、開発が遅れたが、19世紀半ば以降、人工堤防が建設された」と指摘。そしてタイのチャオプラヤデルタについて、「稲作体系は、伝統的に『天水(雨水)稲作』で、『浮稲』や『深水稲』が作られた。1960年以後は灌漑設備が整備され、『灌漑稲作』ができるようになった。年中、水も豊富な地域では近郊園芸も発達した」などとデルタ地域の農業の特徴を報告した。
さらに縄田教授はバンコク都と周辺県を含む都市圏の人口は5~6年前の段階で1600万人に達したが、この地域の農業の中心は稲作から園芸作に変わりつつあると指摘した。また、バンコク首都圏近郊では淡水エビ養殖も始まっていたとし、これらの地域の農家によると「園芸作は稲作と比べ10倍儲かる。さらにエビ養殖は園芸作より数十倍儲かる」という。ただ内陸の水田農家として契約して始まったエビ養殖は、「エビ養殖に転用した田んぼに塩水を入れたことで、周辺農地に塩や養殖に使う抗生物質などの薬品が流出して環境被害をもたらした」ため、内陸養殖の一部はタイ湾沿岸部の汽水域に移ったと説明した。
「注目されるのはタイの単位面積当たりイネの収量の低さだ。2019年のデータではインドネシアやベトナムに負けているのはともかく、ミャンマーよりも低い。この傾向はずっと続いている。タイのイネの単収は1ヘクタール当たり平均で3トン強だ。これはタイの農家の技術水準が低いからではなくて、ある非常に条件の悪いところが足を引っ張っている」
縄田教授は東南アジアとタイの農業生産の動向を概観する中で、2019年までの30年間の東南アジア主要国のコメの単位あたり収量の推移の表を示しながらこう報告した。そして「ある非常に条件の悪いところ」とはタイ東北部、いわゆる「イサーン」だとし、この日の講演ではこの「東北タイ」の農業の特徴の説明に多くの時間を割いた。
東北タイは、地理区分では平原部に属し「山がほとんどなく、水源が乏しく灌漑率は10%弱で、不安定な雨水に頼らなければならない。そして栄養分の少ない砂質土壌が大半だ。砂は保水力がなく化学肥料を吸着しないので雨が降ると肥料が流れ出してしまい施肥効率が悪い。特に日本の水田農家でも6割強しか吸収できない窒素肥料は東北タイでは3割以下しか吸収できず、7割が無駄になってしまう」と指摘。東北タイを象徴する「生産性が低く、不安定だ」という特徴は「土が悪い」「水源が遠い」「起伏があって水路も作りにくい」ことに由来しているとし、東北タイがタイ全土のイネの単収、農業生産性を押し下げている実態を明らかにした。
一方で、東北タイの水田面積は500万ヘクタールあり、日本の全農地面積450万ヘクタールを上回っている。さらに日本の水田面積250万ヘクタールから休耕田の100万ヘクタール引いた稼働している水田面積は140万ヘクタールでしかなく、イサーン地方との比較に驚かされる。さらに、「東北タイの農家1戸当たりの農地面積は3~4ヘクタールと一番大きい」と指摘。結局、東北タイは地形や土壌の特質からイネの単収は低いものの、1戸当たりの農地が広く生産量は多いので、生活にはそれほど困らないのかもしれない。
縄田教授は「東北タイでは1980年代終わりまでずっと無施肥だったが、経済発展で子どもたちがバンコクで働いて実家に仕送りをするようになって、肥料が買えるようになった。施肥をすると栄養が良くなり、ストレスへの耐性が強くなり、干ばつ被害が減り、いい品種を使えるようになった」という変化も起こったと説明する。この話は、イサーンの若者が今でもバンコクに出稼ぎに来ている一つの現実を表現している。
また、東北タイは栄養の乏しい砂質土壌のため、「畑作では、開花結実する穀物は難しい。1960年代なかばに米ケンタッキー大学とコンケン大学が共同で、トウモロコシ栽培を試みたが、結局諦めた。このため栄養繁殖作物であるサトウキビ、キャッサバが中心になった」という。筆者もウドンタニを訪問した時に広大なサトウキビ畑、キャッサバ畑、そして多くの製糖工場を見たことに納得した。
縄田教授は、タイ北部などの山地部の特徴としてと「豊かな水資源」「冷涼な気候」を挙げた上で、斜面を利用した伝統的な「焼畑(Shifting cultivation)」から、現在は「常畑」に移行しつつあり、飼料用トウモロコシの生産が多いと指摘。「ナーン県やチェンマイ県では、雨季には山全体がトウモロコシに覆われ、緑のじゅうたんが広がっている」と述べた。筆者も旅行でチェンマイからメーホンソン県への移動中に急峻な山の斜面全体がトウモロコシ畑になっているタイでは珍しい光景を目の当たりにした。地元の関係者から、飼料用トウモロコシ畑の拡大は、収穫後に残った茎などを燃やすことで、チェンマイ周辺のPM2.5の悪化の原因になっているとも聞いた。そこでは畜産飼料を、国産飼料用トウモロコシにシフトさせた某大手企業の意向もあったようだ。
縄田教授は講演の最後で、「タイの農業の現状と課題」として、「商業化」「集約化」「多様化」という特徴を挙げた。そして「農業人口の減少・高齢化」も顕著であり、農業人口は1980年代前半の70%前後から、30%強まで大幅に減少していると説明。さらにバンコクの巨大化と地方都市の発展の一方、地域の過疎化も心配し始めないといけないと警鐘を鳴らす。また、喫緊の課題とチャンスとして、一層の機械化・スマート化を挙げ、「タイの大学農学部の卒業生でスタートアップ企業を起こす人が増えている。ドローンの活用も始まっている」と報告した。
一方、「高収量から高品質」が農業の新しいトレンドになっているとし、「2019年からバンコク都内のスーパーはGAP(Good Agricultural Practices=農業生産工程管理)認証を取っている農家から野菜を仕入れることが義務化された」と説明するとともに、有機農産物、機能性食品への関心も一層高まっているとした。そしてこの日の講演で最も重点を置いて解説した東北タイの農業の今後について、「農家1戸当たりの農地面積は一番大きく、収量は低いが生産量は多い。低生産でも安定へということだろう。砂質土壌でも施肥技術の向上余地はある」と述べ、東北タイの農業にエールを送った。
THAIBIZ Chief News Editor
増田 篤
一橋大学卒業後、時事通信社に入社。証券部配、徳島支局を経て、英国金融雑誌に転職。時事通信社復職後、商況部、外国経済部、シカゴ特派員など務めるほか、編集長としてデジタル農業誌Agrioを創刊。2018年3月から2021年末まで泰国時事通信社社長兼編集長としてバンコク駐在。2022年5月にMediatorに加入。
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