カテゴリー: ビジネス・経済, バイオ・BCG・農業
連載: 経済ジャーナリスト・増田の眼
公開日 2022.07.26
タイの主要経済戦略である「タイランド4.0」の12の重点産業の中に「未来食品」「高付加価値・医療ツーリズム」「医療・ヘルスケア」がある。さらにタイ政府が現在最もアピールしているバイオ・循環型・グリーン(BCG)経済モデルの4つの重点産業のうち2つは「食品・農業」「医療・健康」だ。今号のFeatureではタイ最大企業の国営タイ石油会社(PTT)のライフサイエンス(生命科学)子会社イノビックを紹介したが、石油などエネルギー最大手であるPTTも化石燃料からの脱却が世界的課題となる中、新規事業分野として医薬品、栄養食品、健康産業を主要ターゲットに据えた形だ。タイは東南アジアでは最も少子高齢化が進み、生活習慣病の増加を背景にした医療費増加が指摘される中で、医療・健康産業がタイのコア産業になれるのか、特にどの分野でタイの強みを生かせるのかを考察してみたい。
「タイはすでに世界のメディカル(医療)ツーリズムのハブになるとの目標を達成した。・・・われわれはこの地位を強化するためにタイ政府と連携していく」
世界の富裕層を対象とした医療ツーリズムではタイの先駆企業であるバムルンラード病院の幹部が2019年1月の講演会でこう語ったとのバンコク・ポスト紙の報道が強い印象として残っている。この記事をきっかけに、医療ツーリズムという日本では聞いたことがなかったビジネス分野に興味を持つようにもなった。バムルンラード病院の新型コロナウイルス流行の影響、最新動向は今号のNews Pick Upの中でも紹介している。
実は筆者も長年の不摂生が原因で2019年6月にバムルンラード病院に1泊2日で検査入院をしたことがある。通院期間中から同病院の豪華さには驚いていたが、入院した最も安い個室も高級ホテルのような広い部屋で、おしゃれなインテリアなどに目を見張った。そして部屋の据え付けテレビのチャンネル数は約60以上、欧米系、中国系、インド系の番組のほか、アラブ語系が10チャンネル以上もあり、病院内のアラブ系患者の多さとともに、タイの医療ツーリズムの外国人旅行者では中東の富裕層が多いことを実感させられた。
クルンタイ銀行の調査機関クルンタイ・コンパスが今年2月に発表した「医療ハブの再スタート~タイ経済がコロナ禍を乗り切るために」と題するリポートでは、新型コロナウイルスがエンデミック(風土病)と認識されつつある中で、「医療ツーリズムの成長余地は大きい」とし、タイの医療ツーリズムの市場規模は2027年には244億ドル、年平均成長率(2019-2027年)は13.2%となると予測を明らかにしている。また世界の医療ツーリズムの中ではデンタル(歯科)ツーリズムの人気が最も高く、タイでも治療種類別ランキングでは美容ツーリズムに次いで歯科治療が多く、比率は38%を占めるとのデータもあるという。
タイはホスピタリティーあふれる観光立国であることから、医療ツーリズムの優位性があることは容易に納得できる。ただ先のクルンタイ・コンパスのリポートによると、世界の医療ツーリズム市場に占めるシェアはまだ9%だという。さらに医療・健康産業まで、より範囲を広げた場合には、東南アジア、あるいは世界におけるタイの地位はどのようなものか。
医療・健康産業を大まかに分類すると、Featureで紹介したInnobic(イノビック)による事業分野の区分けとほぼ一緒になるだろうか。すなわち①医薬品 ②医療機器 ③栄養・健康食品-だ。これらの中で現時点でもタイに強みがある分野はあるのだろうか。
新型コロナ流行前の2018~2019年ごろ大阪府や福島県、神戸市などの日本企業にタイの医療機器市場を紹介するセミナーや商談会が相次いで開催された。最初はなぜ日本企業がタイの医療機器市場に注目しているのか今一つ分からなかった。英調査会社Espicomの2021年予測によると、世界の医療機器市場の規模は米国が43.1%と圧倒的で、日本とドイツが7.4%、中国が5.8%などと続き、タイは0.003%でしかない。そしてタイの医療機器の主要輸出品は医療用ゴム手袋や注射器、注射針など使い捨てのいわゆるローテク製品が中心で、先端的医療機器の開発・製造のインフラはほぼない。もっとも、マスクやゴム手袋などの使い捨て医療用品も新型コロナウイルス流行でにわかに脚光を浴び、社会に不可欠な製品であることが確認されたが。
タイ政府は今、医療機器産業の誘致を強化し始めている。一方で日本の製造業、特に自動車部品産業は生き残りのための新規参入分野として医療機器市場をにらんでいるともいわれる。ただ、自動車部品の製造技術の医療機器への転用は可能ではとの期待に対して、技術的にも容易ではなく、それ以上に人間相手の医療では全く別の基準や規制があり、医療専門のノウハウと人材が不可欠になると指摘されている。
医療・健康産業でタイがすぐ強みを生かせるのはやはり医療・健康ツーリズムだろう。医療ツーリズムでは、南部プーケット県がハブ化を目指してインフラ整備を急いでいる。また、「医療用大麻ツーリズム」を推進したいという動きもあり、今月上旬開催された「タイランド・ハーバル・エキスポ 2022」でも「カンナビス・ツーリズム」をアピールするブースもあった。日本貿易振興機構(ジェトロ)バンコク事務所がカシコン・リサーチセンターなど各種調査機関のデータをまとめたところによると、医療ツーリズムでの訪タイ旅行者数は毎年200万~300万人だったが、新型コロナ流行を受けて9割減となり、2022年も13万~18万人にとどまるとの予想だ。ただ、今号のNews Pick Upでも紹介したようにすでに回復トレンドになっている。
そして、特に都市部のタイ人の所得向上を背景に食品産業の新分野ともいえる栄養・健康食品分野ではPTTグループという異業種大手企業の参入も始まっている。また、タイ経済社会での急速なデジタル化とも歩調を合わせる形で、「民間病院は患者獲得にSNSを利用したマーケティングを利用し、病院自体のIT化が急速に進んでいる」(ジェトロ・バンコク事務所、平林拓朗ディレクター)と指摘されている。医療サービスのデジタル化は高速大容量規格「5G」の普及が進み、特に若者によるアプリケーション開発・利用を得意とするタイの強みを生かせる分野だろう。
THAIBIZ Chief News Editor
増田 篤
一橋大学卒業後、時事通信社に入社。証券部配、徳島支局を経て、英国金融雑誌に転職。時事通信社復職後、商況部、外国経済部、シカゴ特派員など務めるほか、編集長としてデジタル農業誌Agrioを創刊。2018年3月から2021年末まで泰国時事通信社社長兼編集長としてバンコク駐在。2022年5月にMediatorに加入。
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