
カテゴリー: 組織・人事
連載: タイ人事お悩み相談室 - Asian Identity
公開日 2026.09.10
前回のコラムでは、タイの若者に絶大な人気を誇るバンコク都知事のチャチャート氏の人柄を「謙虚」「共感」の2つのキーワードで紹介しました。今回は、彼の「仕事ぶり」に着目してみたいと思います。彼が圧倒的な支持を得て二期目の当選を実現したのは、その人間性以上に、彼の都知事としての確かな実績から来ていると言ってよいでしょう。

チャチャート氏を象徴するのが選挙スローガン「ทำงาน ทำงาน ทำงาน(タムガーン・タムガーン・タムガーン=働く、働く、働く)」です。ただ「働く」という三語をTシャツに大きくプリントして、彼は街を歩きました。美しい政策キャッチではなく「私はとにかく働きます」という素朴な宣言。これがタイでは新鮮に受け止められました。
そして、工学博士であり、大学教授でもあり、なおかつ経営者という多様な顔を持つチャチャート氏は、知事に就任後、その専門性をいかんなく発揮して様々な仕事に着手しました。
代表例として知られるのが、市民が困りごとをスマホで通報できる仕組み「Traffy Fondue(トラフィー・フォンデュ)」の活用です。このシステムは知事就任以前から存在していましたが、あまり知られていませんでした。ところが「テクノロジーでバンコクの街を良くする」ことを掲げるチャチャート氏の発信により、一気に活用が広がったのです。
壊れた歩道、詰まった排水溝、暗い街灯など、身の回りの小さな問題についての相談が市民から多数寄せられました。なんと4年間で約130万件が寄せられ、そのうち100万件以上が解決されたと言われています。なかでも長年のバンコクの課題だった「浸水エリア」への対策は約7割まで進みました。また「良い都市とは歩きやすい都市だ」と語り、800キロメートル以上のバンコクの歩道を改良しました。このように「市民の声を聴く」ことを徹底的に実践し、そこから目に見える成果を生み出す実行力を見せたのです。
その実行力が際立ったのが、2025年3月の地震への対応でした。ミャンマーを震源とする大きな揺れで、建設中の高層ビルがバンコク市内で倒壊し、90人を超える犠牲者が出た一件はわれわれ日本人の記憶にも新しいところでしょう。
このとき、エンジニア出身のチャチャート氏はその真価を発揮します。ボランティアの技術者を集め、経験別にチームを編成し、状況調査にあたりました。Traffy Fondueも地震についての通報窓口に切り替え、事故状況の把握に努めました。また、被災者や救助隊、ボランティア向けの宿泊場所を確保すべく、民間企業Airbnbと提携し、合計8,000泊以上の無料宿泊を迅速に提供したそうです。こうした、既存の発想にとらわれない柔軟な対策を次々と打ち出す姿勢は高く評価されました。
チャチャート氏のリーダーシップはタイ人の若者にはどう映るのか。弊社スタッフにインタビューを行ったところ、あるスタッフの言葉が印象に残りました。
「私が知っている今までのタイは、政府や役所に苦情を言っても、たいていは無視されて終わりでした。これがタイの政治なのだとずっと思っていました。近所の歩道も、子どものころからずっと穴だらけでした。でも今は、その歩道が造り直され、さらに歩道をきれいで安全に保つ方針まで作られたんです。“国が変わっていく”と心から実感できるようになったことは本当に素晴らしいです」。
長く停滞感が漂っていたタイでは、変化の兆しが表れるたびにその芽が摘まれてきました。若者たちは度々デモに繰り出しては、「変わらない現実」にぶつかってきたと言えるでしょう。そんな若者たちにとって、ついに現れた「変化を見せる」ことができるリーダー。チャチャート氏は今までのタイのリーダーとは全く異なる存在感を放っているのです。
そんな彼の仕事ぶりを表す一つのキーワードが、「เอาจริงเอาจัง(アオジン・アオジャン=本気、真剣)」という言葉です。やると決めたら、困難があっても簡単には諦めない。日常的にも使われる言葉ですが、タイ人は彼についてよくこの言葉を用いて形容します。
チャチャート氏は、「自ら街を歩いて」視察を行うことで知られています。あるエリアを訪れたときのことですが、混雑を解消する道路工事がスケジュール通りに進んでいませんでした。
以前も同じエリアを視察したことを覚えていた彼は、遅れを厳しく指摘しました。そのときに、「真剣にやれば実現できる」とまさにこの表現を使って発破を掛けました。そして「覚えておいてください、私はまたこの場所を見に来ます」と念を押したのです。約束の不履行をそのままにしない、彼の徹底した姿勢が感じられるエピソードです。
ここまで、チャチャート氏の特徴を見てきましたが、日本人から見ても決して違和感のない、むしろ非常に馴染みやすいリーダーシップスタイルのように思います。
彼の「現場主義」は、トヨタやホンダで実践されてきたような経営姿勢と似ています。現場を歩いて情報を集め、分析して判断する。アクションをしたらそのままにせず、結果が出るまで粘り強く、本気でPDCAを回していく。
また、古い例を挙げれば、江戸~明治時代に日本の地域社会に貢献した上杉鷹山や二宮尊徳のリーダーシップとも似ているようにも思います。常に人々の声を聴き、着実な変化を届けることで人々に希望をもたらす。そんな「民衆第一」の姿勢も彼は持ち合わせています。
しかし、彼が日本の影響を受けていたという目立った記述は見当たりません。国を越えても、普遍的なリーダーシップの真理は共通すると考えるべきでしょう。しばしば私たちは「タイには、タイにあったやり方をしなくてはならない」と考えがちですが、必ずしもそうでない例もあるということは興味深いです。

タイで働く日本人の私たちが、チャチャート氏のコンセプトをうまく自身の仕事に取り入れてしまうのも有効だと思います。特に「ถ่อมตัว(トム・トゥア=謙虚)」「เห็นอกเห็นใจ(ヘン・オック・ヘン・ジャイ=共感)」「アオジン・アオジャン(本気、真剣)」などは、タイ人にも自然に受け入れやすい言葉です(図表1)。私がタイの日系企業のビジョンやスローガンを作成させていただく際、タイ語を取り入れることをよくおすすめしますが、これらの言葉はそのまま使っても違和感のないものです。
こうしたタイでの「新しいリーダーシップ」からも学び、成長していきたいものです。

株式会社アジアン・アイデンティティー 代表取締役
中村 勝裕 氏(愛称:ジャック)
愛知県常滑市生まれ。上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業後、ネスレ日本株式会社、株式会社リンクアンドモチベーション、株式会社グロービス、GLOBIS ASIA PACIFICを経て、タイにてAsian Identity Co., Ltd.を設立。「アジア専門の人事コンサルティングファーム」としてタイ人メンバーと共に人材開発・組織開発プロジェクトに従事している。
リーダー向けの執筆活動にも従事し、近著に『リーダーの悩みはすべて東洋思想で解決できる』がある。Youtubeチャンネル「ジャック&れいのリーダー道場」も運営。
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Asian Identity Co., Ltd.
2014年に創業し、東南アジアに特化した人事コンサルティングファームとして同地域で事業を展開中。アジアの多様な人々を調和させ強い組織を作るというビジョンの実現に向けて、"Asia is One”をスローガンに掲げ、コンサルタントチームの多様性や多言語対応を強みに、東南アジアに展開する日本企業を中心に多くの顧客企業の変革をサポートしている。
◇Asian Identityサービスサイト
http://asian-identity.com
