日系スタートアップは山田長政になれるか ~スパイバーがタイで評価された意味~

日系スタートアップは山田長政になれるか ~スパイバーがタイで評価された意味~

公開日 2023.07.04

TJRIニュースレターの今号で取り上げた日系スタートアップの座談会ではタイの歴史、そして経済社会の基本構造を浮かび上がらせるさまざまに興味深い示唆があった。特に座談会記事の(下)で紹介するが、「令和の山田長政がスタートアップだ」をキャッチフレーズにしようというアイデアのインパクトは強い。この座談会で、mediatorのガンタトーンCEOは、「山田長政の時代から数百年間、タイ人の考え方は何も変わっていない。自分たちの強み弱みを分かっていて、上手く外国人を活用していく」とした上で、「スタートアップがなぜタイで評価されるのかというと、山田長政だからだ。つまり、タイの財閥企業にとって規模は関係なく、あなたに能力があるなら私は正当に評価するということだ」と語っている。このコメントはタイでなぜスタートアップのピッチイベントが盛んなのかを物語っている。

スパイバーも試行錯誤

「ベースのタンパク質を大きく変えたので、製造プロセスも抜本的に変えた。そのプロセスは非常に汎用性が高くなり、コストも大幅に下がった。これが1つのターニングポイントになった。こうして新たに開発したブリュード・プロテイン(Brewed Protein)は植物由来の原料をもとに微生物発酵(brewing)というプロセスによりつくられる。もともとクモの糸のタンパク質をベースにしていたが、クモの糸にこだわらず、各産業素材に適したタンパク質素材に仕上げていくという方向に路線を切り替えたのが7〜8年前だった」

筆者は今年3月中旬、2007年に山形県鶴岡市で創業したSpiber(スパイバー)のタイ・ラヨーン工場を久しぶりに訪問した。当時、タイ現地法人スパイバー(タイランド)の代表取締役で同工場の立ち上げから担当したスパイバーの現執行役員の森田啓介氏は、創業時に人工的にクモの糸を作るユニークな企業として注目を集めた後の、同社の大きな転機をこう語ってくれた。

Spiber(スパイバー)のタイ・ラヨン工場
Spiber(スパイバー)のタイ・ラヨーン工場

今号で紹介した日系のスタートアップ企業の中でも、最初の創業期のビジネスモデルを試行錯誤しながら変えてきた企業もあり、スパイバーもその1つだろう。当初の理想像的なビジネスモデルが行き詰まった時に、柔軟に方向転換できるのは大企業にはないスタートアップやベンチャー企業の強みなのかもしれない。

スパイバーは鶴岡市にある慶応大学先端生命科学研究所で研究していた関山和秀氏(取締役兼代表執行役)が、強靱で柔軟な「クモの糸」などの構造タンパク質に着目し、植物由来のバイオマスを原料に独自の「微生物発酵」プロセスによる新しい構造タンパク質の製造方法を開発した。2015年にはアウトドアブランド「ザ・ノース・フェイス」を展開するゴールドウインと提携し、スパイバーの人工タンパク質の糸を表地に使ったダウンジャケットを発売。さらに、欧米拠点のサステナブルファッションブランドPANGAIAへブリュード・プロテインの提供しているほか、コスメティック分野にも進出。将来は次世代の自動車シート地などの用途も開拓する予定だ。

なぜタイだったのか

スパイバーの関山代表は2019年6月にタイ工場の地鎮祭で訪タイした際に、同社初の商業生産工場をタイに決めたことについて、「タイはサトウキビやキャッサバなど原料となる糖が豊富なためだ。また、タイには主要顧客となるアパレルや自動車産業が集積している」と説明している。そして森田氏は今回の取材で、最初はタイに縁もゆかりもなく、他の国も候補地として調査していたが、最終的には取引銀行の紹介でタイ投資委員会(BOI)にコンタクトして情報収集、工場進出の候補地の選定作業をしたと説明。これらの経緯で、あるタイ政府高官が熱心に勧誘してくれたと明かす。スパイバーはタイ進出決定後、タイ投資委員会(BOI)などタイ政府関係者からバイオ・循環型・グリーン(BCG)経済モデルの代表例として事あるごとに紹介されてきた。

スパイバーのラヨーン工場は2021年3月末に完成し、開所式を行ったが、日本側からは駐タイ大使、日本貿易振興機構(ジェトロ)バンコク事務所長、タイ側からはBOI長官、タイ国立科学技術開発庁(NSTDA)長官、タイ工業省副次官があいさつに登壇したほか、タイ工業団地公社(IEAT)総裁、東部経済回廊(EEC)副事務局長などが駆けつけ、日タイ両国政府の同社への期待の高さをうかがわせた。その後、新型コロナウイルス流行で、森田氏を含め日本人スタッフは一時帰国を余儀なくされたが、2021年末に試験運転を再開し、2022年7月から商業生産を始めた。生産能力は年間数百トン程度で、素材産業の感覚では少ないが、「構造タンパク質の発酵・生産プラントとしては世界最大規模」(関山代表)という。

森田氏は、「日本(鶴岡市)のパイロット工場と比べると規模は約100倍。初めての商業生産工場でいきなり海外進出して、コロナ禍に見舞われ、4重苦的な状況になり、周りからはうまくいかないでしょうと散々言われた」と当時の苦労を語る。しかし、今はタンパク質繊維の原料となるタンパク質粉末を日本に送れるようになり、「今年は生産能力の半分で、来年にはフル生産にもっていくのが目標」だと自信を深めている。

同社のブリュード・プロテインの強みは海洋生分解性があることだという。タイでも問題になっているのは海洋プラスチックごみだ。通常の生分解性プラスチックでは海洋での生分解性がないものが多く、そのメリットは低いとされる。また、原料として製糖会社から調達する液糖は、サトウキビ生産の持続可能性要件を満たすためのものとして欧州委員会が承認しているBonsucro(ボンシュクロ)認証を取得したものに限定している。森田氏によると「通常の液糖に比べ価格は高いが、高付加価値製品ならコストを吸収できる」という。スパイバーはそのホームページでもサステナビリティ―重視の姿勢を鮮明にしている。

タイ、ASEANそして世界へ

スパイバーは2020年9月に米国に持ち株会社など2社を設立して、米国工場の建設を準備している。当初計画では既に着工段階のはずだったが、ロシアのウクライナ侵攻と、米国でのインフレ高進、建設許可取得の遅れなどでまだ設計段階だという。ただ、同年10月には米穀物メジャー、アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド(ADM)と、ブリュード・プロテインの米国での量産における協業契約を締結、米国で圧倒的なパートナーを獲得している。「米国市場は大きく、原料も安いのが魅力」(森田執行役員)だ。今号での日系スタートアップ企業の座談会でも、タイ、そして東南アジア諸国連合(ASEAN)から米国や中国などのより大きな市場を目指すとの意欲を表明する会社もあった。成長段階は違うものの、スパイバーはまさにタイを足掛かりに世界市場を目指す日系ベンチャー企業の先駆モデルになるのかもしれない。

冒頭で紹介した「令和の山田長政がスタートアップだ」というアイデアは面白い。沼津藩の駕籠かきに過ぎなかった山田長政が当時のシャムに渡ってからのアユタヤ王朝での立志伝を知っている日本人は多いだろうか。アユタヤ王朝は、遠い東アジアの異国から来た得体の知れない日本人をその能力を評価して抜擢し続けた。今や日本企業以上に経営者が自由に使える豊富な資金を持つタイの財閥企業にすれば日本のベンチャー、スタートアップ企業はその規模からは本来、相手にする存在ではないかもしれない。しかし、優れたアイデア、技術、ビジネスプランがあれば、先入観、偏見を持たず積極的に取り込むという風土があるということだろう。少なくとも、スパイバーに対するタイ政府の入れ込み方、また、最近進出した日本のスタートアップ企業に対するタイ財閥企業の関心の高さを知るとガンタトーン氏の分析は極めて的確だと感じる。

THAIBIZ Chief News Editor

増田 篤

一橋大学卒業後、時事通信社に入社。証券部配、徳島支局を経て、英国金融雑誌に転職。時事通信社復職後、商況部、外国経済部、シカゴ特派員など務めるほか、編集長としてデジタル農業誌Agrioを創刊。2018年3月から2021年末まで泰国時事通信社社長兼編集長としてバンコク駐在。2022年5月にMediatorに加入。

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