カテゴリー: ビジネス・経済
連載: 経済ジャーナリスト・増田の眼
公開日 2023.11.14
東南アジアの「上位中所得国」であるタイが「中所得国の罠」の抜け出し、先進国入りする前に「高齢社会」に入りつつあることへの懸念が広がっている。そもそも先進国になれば国民は幸せなのかも曖昧になる中で、農水産物など天然資源が豊かな東南アジアで、仮に1日当たり国民総所得(GNI)が先進国並みになったとしてもどのような意味があるのか。タイは今の体制の中では世界トップレベルの貧富の格差が続くと予想される中で、仮にデータ的に先進国入りすることができたとしても低所得者層にも恩恵があるのだろうか。そして、先進国になる前に急速に少子高齢化が進み始めているタイは、その背景、将来展望を分析し、その対策に本気で取り組まなければならない段階になりつつあるようだ。
「問題はいかに深刻か。高齢社会として知られる国々とタイの人口動態の変化を比較してみよう。タイの総人口に占める65歳以上の人口比率は2002年に『高齢化社会』と定義される7%となり、(19年後の)2021年には『高齢社会』の14%まで上昇。同じ人口動態変化に日本は24年、米国は72年、そしてフランスは115年か掛かった。これらの国とは違い、タイは豊かになる前に高齢社会になった。2021年の1人当たり国内総生産(GDP)は7000ドルだ。日本が高齢社会となった1994年当時の1人当たりGDPは(現在のタイの)5倍の水準だった」
英エコノミスト誌は10月12日号の「貧しいアジアの国々は高齢化の危機に直面している」というタイトルの記事で、タイを筆頭にアジアの中所得国が高所得国になる前に高齢社会に向かいつつある現状とその背景について分析している。同記事は、タイのこの問題は東南アジア地域の経済社会のトレンドを象徴しているとした上で、ベトナムの所得は現在、タイの2分の1だが、高齢化社会から高齢社会に移行するのに17年しかかからないだろうと予測。さらにインドネシアは26年、フィリピンは37年とまだ先だが、所得水準が他の国より大幅に低い段階で高齢社会に移行するだろうとしている。
そしてアジアの人口動態の変化について、テクノロジーと医療が人々の長寿化につながる中で、工業化と社会慣習の変化が出産率の低下をもたらしていると指摘。20世紀に台頭した「東アジアの虎」と比較して、アジア新興国の多くが成長率がより低い中で高齢化が起こり、経済の問題を深刻化させると懸念を示す。特に高齢化により労働人口が減少することが最大の課題だと強調。タイでは「労働人口は2055年までに2割減少する」と予想。さらに高齢化がもたらす課題として、年金生活者が貧困層に陥るなどの社会コストの問題やヘルスケアの問題もあるとした。
急速な高齢化はタイのメディアでも取り上げられる機会が増えているようだ。バンコク・ポスト紙は10月25日号(9面)で論説記事を、11月5日号(2面)では最新データを紹介する記事を掲載しているので、ここではこの2つの記事を紹介する。
まず11月5日号の「Looking beyond child rearing」と題する記事は「出生率の低下は世界各国で見られる問題で、タイも例外でない。1963~1983年は年平均出生数は約100万人だった。2022年には一気に50万2107人と71年ぶりの低水準になった。一方で、同年の死亡者数は59万5965人だった」と最新データを紹介。現状の人口規模を維持するためには合計特殊出生率(TFR)は2.1以上なければならないが、タイのTFRは1960年代には6.1だったが、過去10年は1.4~1.5まで低下したという。
このため、タイ政府は出生率を維持するための政策を導入してきたが、まだ成果は上げていないと指摘。最近では保健省が出生数を増やすために全県の少なくとも1つの不妊治療クリニックを設置するなどの新たな対策を発表した。さらにチョンナン保健相は、より長期の育児休暇を夫婦に与えるか、育児支援金額を月600バーツから3000バーツに引き上げることを検討していると明らかにした。ただ、タマサート大学のサストラム准教授は政府の育児支援策は必ずしも出生率の向上にはつながっていないと説明している。
同准教授は、強力な社会福祉制度を持つスカンジナビア諸国のTFR(ノルウェー1.6、デンマーク1.7、スウェーデン1.8)は上がっておらず、これらの国の人口は少ないが、その経済は欧州の他の地域よりも力強いと報告。これが、タイにとって農業と製造業などの分野で人による労働を人口知能(AI)や自動化などの先端技術に置き換えるべきだという警鐘になるとの認識を示した。そして、「少子化とともに、社会はもはや人口増に過度に依存しないような経済モデルに転換しつつある」とし、さらに少子高齢化は必ずしも悪いシナリオではないと強調している。
「結婚したカップルは子供を持つことは重荷だと思っている。子供を持つ場合、高額な私立学校やインターナショナルスクールなどの高水準の教育や、高度な職業、快適なライフスタイルを望む。こうした高水準の生活に合わせて子供を育てることに自信がないようなカップルは子供を作らないことを選択する」
10月25日付バンコク・ポストの論説記事はこう説明し、タイの中流階級以上の市民が先進国同様の考え方になりつつあることを示唆する。一方、かつて人々は自分が老いた時に子供たちが自分の面倒を見てくれるという希望を持っていたが、中流階級以上のカップルは、自分たちが高齢になった時も自分自身でケアできると自信を持つようになり、子供たちに面倒をみてもらう気持ちは薄れつつあると指摘。また、自由を愛し、旅行をするなど豊かなライフスタイル、さらに転職などの新たな選択肢が試せることを好むカップルがいる一方で、現在と将来の社会に対する不安から子供を持つことをあきらめるカップルもいると説明している。
そして同記事は、少子高齢化がもたらす労働力の減少などの経済面での影響と政府の対策を、先の記事同様に指摘、より詳細に分析している。このうち興味深いのは、タイ人カップルが子供を作らず、人口が減少していくという現実に対処する方法として、移民労働者の子供に永住権か、国籍を与える政策を検討すべきだとの提案だ。一部の国はこうした政策を導入しており、例えば米国は移民が造った国であり、その恩恵は続いているという。筆者もこの政策はほぼ単一民族の日本には難しいだろうが、そもそも移民国家として始まった米国がさまざまな人種差別、人種対立の過酷な歴史を経験しながらも世界の覇権国家の座を維持してきたことを見ると、日本より異民族に寛容であり、移民をうまく取り込んでいける能力があるタイにはこのソリューションが合うのではとも思う。
タイに住んでいると、特に地方のタイ人は一家族だけでなく、近くに住む叔父、叔母、いとこなどの親戚も家族同様に暮らしている話をよく聞く。日本も昔は同様だったと思われるが、高度成長期以後、地方の若者が東京などの都会に出て就職し、どんどん核家族化していった。タイも、特にバンコクは核家族化に向かう過渡期にあるのだろう。それでもまだバンコクに出稼ぎに来た若者は一生懸命働いて実家に仕送りし、いずれ両親の面倒を見ると考えているようだ。日本にもかつてはあった大家族の仕組みがまだ続いていくのかもしれない。
先に紹介したエコノミスト誌の記事は、「家族は高齢者ケアの伝統的な形だった。アジア人の文化の中では高齢者は尊敬され、複合家族の家計は一緒だった。・・・アジア人の社会では子供が両親の面倒を見ると期待されている」とする一方で、こうした社会慣行は弱まっているともいう。地方から都市部への急速な人の移動で、両親と子供は離れ離れになりつつあり、多くの国で女性の社会参画が増えることで、女性が高齢の親族をケアするゆとりがなくなりつつあると分析している。
豊かになりきれず、中所得国の罠を脱することができず、医療、介護、年金など老後生活を支援する各種の社会保障制度を整備できないうちに、少子高齢化、核家族社会に突入したらどうなるのか。家族・親族で高齢者を支えるという伝統的セーフティーネットがいつまで存続するのか。課題先進国といわれる日本などから学べることはあるのか。学んでも新たな制度を構築する財政的ゆとりはあるのか。タイ政府が緊急に対応すべきはEV支援策ではなく、社会保障制度の整備ではないのか。
THAIBIZ Chief News Editor
増田 篤
一橋大学卒業後、時事通信社に入社。証券部配、徳島支局を経て、英国金融雑誌に転職。時事通信社復職後、商況部、外国経済部、シカゴ特派員など務めるほか、編集長としてデジタル農業誌Agrioを創刊。2018年3月から2021年末まで泰国時事通信社社長兼編集長としてバンコク駐在。2022年5月にMediatorに加入。
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