カテゴリー: ASEAN・中国・インド, ビジネス・経済
連載: 川島博之が読み解くアジア
公開日 2024.07.15
このコラムは今回で最終回となるので、これまでの寄稿のまとめの意味もあり、タイとベトナムの未来について書いてみたい。結論から先に言えば、両国ともに中所得国(中進国)の罠にはまったまま少子高齢化社会を迎えることになるので、両国はその対策を考えなければならない時にあるが、その歩みは遅い。
目次
図1にタイとベトナムの1人当たりの国内総生産(GDP)の推移を示す。図には比較の意味で日本についても示した。縦軸を対数スケールにしたので、このグラフの傾きは成長率を表している。日本は1990年代中頃まで成長し続けていた。1970年代に2度の石油ショックを経験し、それによって成長率が鈍化したが、それでも長期的に見れば1990年代中頃までは成長している。だが3万ドルを超えたあたりから、ほとんど成長しなくなってしまった。
タイは日本と同様に1990年代半ばまで成長していたが、1997年のアジア通貨危機によって1人当たりGDPが大きく落ち込んだ。その後再び成長軌道に戻ったものの2010年代に入って成長率は鈍化した。それどころか2022年の1人当たりGDPは6910ドルと前年を下回っている。これは為替のレートの変動によるものであり、よく見られる現象だ。ただ、どの国でも勢いよく成長している時は為替のレートの変動が原因でGDPが落ち込むことはない。このことはタイが高度経済成長する時代ではなくなっていることを示している。
ベトナムは1986年に「ドイモイ」と呼ぶ中国の改革開放に似た路線に舵を切った。その後数年間、経済が大きく混乱した。ベトナム経済が勢いよく成長し始めるのは1990年代に入ってからである。
1990年の1人当たりGDPは97ドルに過ぎなかった。ベトナムの中高年世代はこの頃のことを良く記憶している。明日のコメにも困る時代だった。当時、都市部でもニワトリを飼う家が多かった。その鶏肉を家族で食べるのは月に一度であり、その日が来るのを指おり数えながら餌をやっていたなどと言った話を聞かされることがある。1990年のベトナムはそれほど貧しかった。
そんなベトナムだったが、急成長して2020年の1人当たりGDPは4164ドルとなり、もはやどこから見ても中進国になった。ただ2022年に不動産バブルが崩壊したことから、ベトナム経済の先行きに暗雲が漂い始めている。ベトナム政府は2023年の成長率を5.05%と発表したが、街中では「ゼロ成長」ではないかと囁(ささや)かれている。ベトナムは中国と同様に共産党独裁が続いている。独裁政権の常として数字を改竄(ざん)する。戦前の日本の大本営発表のように、都合の悪い事実を隠し成果を誇大に発表する習性がある。
日本も1人当たりGDPは3万ドルを超えてから成長率が低下したが、タイとベトナムでは1人あたりGDPは5000ドル前後から成長率の鈍化が始まった。この現象は中所得国の罠と呼ばれる。中所得国の罠にはまる原因の一つとして、経済が外需に依存し過ぎることがある。タイとベトナムは海外から資本と技術を導入して、それに安い労働力を組み合わせることによって経済を成長させてきた。これは中国でも用いられた手法であり、途上国が成長する上では効率的な方法であるが、開発途上国に投資した外資系企業は輸出を重視する。その結果として経済が輸出主導型になる。
このような形の経済成長はその初期段階では適しているが、ある程度経済が発展すると内需が重要になる。その内需を振興するためには中所得者層の育成が欠かせない。タイとベトナムがこれからも発展を続けるためには、中所得者層の育成が重要な課題になっている。
だが、両国の為政者はそのことにあまり気づいていないようだ。それを明らかにするために、なぜ日本が中所得者層の育成に成功し、中所得国の罠から抜け出すことができたのか、その理由について考えてみたい。
タイもベトナムも日本もコメを主食にしている。コメはヨーロッパなどで行われている畑作や酪農に比べて単位面積当たりの生産力が高く、少ない面積で多くの人を扶養できる。またコメ作りでは用水路の管理が欠かせないために、多くの労働力が必要になる。その結果、農村部に多くの人間が住むことになる。
そんな国で経済成長が始まる。経済成長とは農業国が工業化して、その後にサービスが産業の主体になる社会が出現することを意味する。当然のことながら経済成長の主役は都市部である。農村から都市へ職を求めて若者が流出する。これはどの国も経験する事だが、コメを作っている関係で農村に多くの人が住んでいたアジアの国々では、より多くの若者が職を求めて都市に移動する。
ここで問題になるのが、最初から都市に住んでいた人と農村から流入してきた人の格差だ。最初から都市に住んでいた人には住む家がある。一方、流入して来た人々は新たに家を入手しなければならない。人口の流入が続く都市の住宅価格は高騰するから、流入してきた人は住む家を手に入れるのに非常に苦労する。住宅を考えただけでも都市に住んでいた人と農村から出て来た人との間に格差が生じる。
また若者が増えて活気がある都市と、若者が都市に行ってしまい老人だけが残された農村との格差も問題になる。
戦後の日本はこの問題に果敢に取り組んだ。1955年以降、政権の中枢を担った自由民主党は都市において作られた富を地方に再配分するシステムを作り上げた。農業補助金、地方での過剰な公共事業、相続税、固定資産税、累進課税など、日本の多くの制度は「持てる者」から「持たざる者」へ富を移動させるための装置だった。その努力が実って昭和の時代の日本は「1億総中流」と言われるほど格差のない社会になった。格差の少ない社会を作り上げることに成功したために、石油ショックを経験しても経済を持続的に成長させることができた。
このような日本の経験に照らし合わせて見た時に、タイもベトナムも都市と農村との格差是正に努力しているようには見えない。職を求めるために都市に移り住んだ若者を豊かにする努力にも欠ける。
タイ経済が成長しなくなったのは2014年に起きた軍事クーデターと機を一にしている。ベトナムの経済が成長軌道から外れたのは2022年の不動産バブル崩壊が直接の原因だが、2016年から始まったグエン・フー・チョン共産党書記長による共産党政権を守るための汚職退治によって官僚機構が萎縮してしまい、インフラの整備が大きく遅れたことも遠因になっている。タイもベトナムも既得権益層が体制の維持に注力するあまり、経済が成長しなくなってしまった。
両国ともに日本の自民党のように都市で作られた富を地方に還流するシステムを作ろうとしていない。日本の自民党は良くも悪くも農村に基盤を置いた政党であり、その保守的で内向きの思考は格差是正に向いていた。
タイもベトナムも1人当たりGDPが1万ドルに達しない段階で、少子高齢化の波に遭遇する。図2にタイの、図3にベトナムの2030年の人口ピラミッドを示す。これは国連人口局が出している低位推計により作成した。よく用いられる中位推計でも大差はないが、今後、両国共に低位推計で推移する可能性が高い。少子化高齢化は先進国、途上国を問わず世界中で始まっており、今後深刻な問題に発展する。
2030年のタイの人口ピラミッドはお腹の膨らんだ中年のようであり、高齢社会の始まりを示している。平均年齢は44歳になる。ベトナムの人口ピラミッドには団塊世代と団塊ジュニアが存在する。この形は1990年の日本の人口ピラミッドの形によく似ている。ベトナムは平均年齢37歳である。
日本の1990年の平均年齢は37歳、2000年が41歳、2010年が45歳である。タイは既に高齢社会入りしており、ベトナムでもあと10年もすれば少子高齢化が問題になる。それは両国が先進国になる前に少子高齢化社会を迎えることを意味する。
両国ともに年金や医療保険、介護保険などの整備が遅れている。政府や経済界は成長のために外資を導入することばかりを考えている。このネットジャーナル(THAIBIZ)もタイと日本の産業界を取り持つために作られたと思うが、これからタイが力を注ぐべき分野は日本などからの投資を増やすことではない。国内での中所得者層の育成だ。
中所得者層を増やすには累進課税制度の充実などの他に、より多くの人を農村から都市部に移動させなければならない。しかしタイ、ベトナムともに交通網を充実させて都市を拡張させる努力を怠っている。政府は「地下鉄など都市鉄道建設などに努力している」と言うかもしれないが、その努力ははなはだ不足している。タイ、ベトナムともに新幹線の建設は計画だけで遅々として進まない。紙幅の関係でこの問題に深入りすることはないが、日本と同様に短時間で先進国入りした韓国は交通網を発展させることによって、人口の半分以上をソウル周辺に移動させることに成功した。それが韓国経済飛躍の原動力になった。
東アジアの奇跡が謳われた時代は遠い昔なってしまった。タイもベトナムも中所得国の罠から抜け出せない状態で少子高齢社会を迎えることになる。タイとベトナムの人々に警鐘を鳴らして、このコラムを終わることにしたい。短い期間だったが、お読みいただいた方々にお礼を申し上げたい。
著者の近著紹介 – ベトナムの歴史、政治、経済、産業がわかる!
ベトナム・ビングループ主席経済顧問
Martial Research & Management Co. Ltd.,
チーフ・エコノミック・アドバイザー
川島 博之 氏
1953年生まれ。77年東京水産大学卒業、83年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得のうえ退学(工学博士)。東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、ロンドン大学客員研究員、東京大学大学院農学生命科学研究科准教授などを経て、現職。
主な著書に『農民国家・中国の限界』『「食糧危機」をあおってはいけない』『「食糧自給率」の罠』『極東アジアの地政学』など。
近著として「日本人の知らないベトナムの真実」を執筆。
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