ランドブリッジはタイの国益になるのか ~メリット乏しく、観光業には打撃~

ランドブリッジはタイの国益になるのか ~メリット乏しく、観光業には打撃~

公開日 2024.07.08

タイ南部のタイ湾側のチュンポンとアンダマン海側のラノーンの間を結ぶ陸上貨物輸送ルート「ランドブリッジ」計画では依然、さまざまな視点での議論が続いている。7月2日付バンコク・ポスト(3面)によると、スリヤ工業相はランドブリッジの建設工事を2026年に開始するために南部経済回廊(SEC)法案を9月末にも閣議に提出する予定だという。今週紹介したタイ運輸省のランドブリッジ説明会でも、同計画を南部経済の発展の起爆剤にしたいという政府の思惑が読み取れる一方、実現可能性に関する多くの疑問が浮かび上がる。

もともと「クラ地峡運河」と呼ばれてタイで長年、何度も浮かんでは消えた夢の構想が、より現実的な解として「ランドブリッジ」計画に衣替えしたわけだが、今回の運輸省の説明会で提示された実現可能性調査の要旨などの関係書類の一部内容から個人的な疑問点を幾つか指摘し、この構想が提起している問題を考える手がかりを提供したい。

クラ地峡運河構想と違うルート

今回、ランドブリッジの実現可能性調査リポートを初めて見て確認できたのは、陸上貨物輸送ルートが、従来からクラ地峡と呼ばれていたチュンポン市街地近くの幹線道路から多少の丘を越え、ミャンマー国境のクラブリ川という、ラノーン近くになると極めて川幅の広く湾に近い川に抜けるルートではなかったことだ。タイ湾側ではチュンポン市から80キロほど南下した沿岸、アンダマン海側ではラノーン市から50キロほど南下した沿岸の沖にそれぞれ深海港を作るという計画だと分かった。グーグルマップを見ると、運河計画ではないなら、運河に適したクラブリ川にこだわる必要はなく、最も平坦で、距離も短いと思われるこのルートを選んだのだろうと思った。ただ、ルートの選択はさまざまな思惑も誘いそうだ。

さらに、チュンポンとラノーンの深海港は既存の港がある海岸を掘り込んで作るのかと思っていたが、沖合を一部埋め立てて埠頭を造成する一方、船が航行、停泊する海域を深く掘り込む形で描かれている。そして埠頭とマレー半島との間で荷物を運ぶ橋の建設も計画されている。今回公開された実現可能性調査の報告書では、どの程度の規模の港湾にするのかは想定されているが、埋め立て工事の土はどこから持って来るのかなどの記述は見つからなかった。なぜ半島側に港を造成しないかは、陸と違って海には所有権がないため、取得コストがかからないためなのだろうか。ただ、沖合の人工港にすることによる、環境負荷がどのぐらい増えるのかが気になる。

海上輸送はマラッカ海峡経由と1日しか違わない

「例えば上海から、欧州や中近東向けの海上交通の要所であるスリランカ・コロンボに荷物を運ぶ海上ルートを想定すると、従来のマラッカ海峡経由では総距離は3822マイル、ランドブリッジ経由の場合の海上距離は3405マイルで、417マイルしか違わない。これを日数に換算すると約1日だ」と、ある海運業界筋は個人的な試算を示し、こうしたルートでのランドブリッジのメリットに疑問を呈した。一方で、タイのレムチャバン港から、コロンボに運ぶ海上ルートではマラッカ海峡経由が2384マイルで、レムチャバンからコロンボにランドブリッジ経由で運ぶルートを想定した場合の海上輸送の合計距離は1410マイルで、その差は974マイルになる。さらに、ラノーンからコロンボまでだけなら1218マイルで、その差は1166マイルだ。ラノーンまでの陸路の時間とコストを考えても、レムチャバンから、コロンボまでをランドブリッジ経由にした場合、ラノーン港積みはそれなりの優位性があるかもしれないとの見方を示している。

同筋はさらにランドブリッジ両端の港での荷揚げ、荷積みの作業について、1隻のコンテナ輸送船で、5000コンテナ運ぶ場合、仮にチュンポンで「ガントリークレーン」5基を使い、全量荷揚げする場合、約22時間かかり、ラノーン港で荷積みをする場合も同様の時間がかかると指摘。船会社のコスト観点では「運河計画の方がまだ良いのでは」との認識を示す。先の実現可能性調査報告要旨ではこうした荷揚げ、荷積み作業の時間やコストに関する記述は見当たらない。一方で同筋は、タイ国内やカンボジア、ラオス、ベトナム(CLV)の荷物をラノーン港からインド洋など西へ輸出する場合についてはメリットがあるとする。ただ、その場合でも、ラノーンまでの輸送網の充実、保税輸送手続きの簡便さ、そして経済合理的で適正な輸送量などが求められるとしている。

環境影響評価はどうなる

「アンダマン海沿岸の約17キロ沖合に位置するパヤム島は手つかずの森と透き通ったビーチ、そして漁業で政権を立てる魅力的な島民の生活スタイルもあり、心安らぐ娯楽を求める旅行者を惹きつけている。パヤム島は近年、天然資源を保全し、持続可能な観光と経済成長のモデルとして有名になった」

6月10日付バンコク・ポスト(2面)は、「ランドブリッジは島の宝を脅かす」というタイトルの記事で、ラノーン深海港のすぐ沖合に位置するパヤム島の魅力をこう表現した。パヤム島当局の幹部は、「パヤム島の観光部門だけで年間10億バーツの売上高があり、これはラノーン県の全歳入である30億バーツの相当部分を占める」とし、パヤム島は持続可能な観光地としての魅力を維持していると強調した。一方で、タイ政府のランドブリッジプロジェクトは、その開発が島の環境の調和を崩すことを恐れる一般市民や環境保護家の懸念につながっているとし、特にパヤム島が、5600ライ(1ライ=1600平方メートル)に及ぶラノーン深海港計画のすぐ近くに位置し、同計画が総延長4キロの防波堤3つと、7000ライに及ぶ埋立地を含むことを問題視している。

さらに地元住民は実現可能性調査がまだ完了していない中で、セター首相が海外投資家向けに説明会を行っていることに警告。このプロジェクトがパヤム島の平穏さ脅かし、環境や経済を悪化させると確信していると訴えている。特にパヤム島のあるリーダーは、土壌の喪失懸念を指摘するとともに、海洋エコシステムヘの悪影響を不安視しているとし、同島の経済が観光に依存していることを改めて強調した。

先の実現可能性調査の報告要旨の第6章の中で、環境への影響分析に関する項目があるが、まだ、基本的な考え方などを整理、深海港プロジェクト、そして両港をつなぐ道路・鉄道プロジェクトの2種類に分けて、どのような分野、項目を調査対象にすべきかを列挙している段階で、実際の環境影響評価(EIA)の調査結果を公表している訳ではない。

本当にタイに必要なプロジェクトなのか

タイ南部の経済発展のカギは物流産業などの誘致なのか、それともアンダマン海側のパヤオ島やシミラン諸島、そして世界的にも知られるダイビングスポットであるタイ湾側のタオ島などでの観光産業なのか。ジンベイザメなど豊かな海洋資源の真ん中を多数のコンテナ船、あるいは将来石油タンカーが頻ぱんに往来するようになったら、確実にその魅力は失われるだろう。

一方、マラッカ海峡の代替輸送ルートを作ることが、世界、東南アジア経済のメリットになるのか。今年5月末にマレーシアに取材旅行に出かけた際、同地の日系産業関係者に「ランドブリッジ構想を知っているか」と聞いたが、「全く聞いたことがない」と答えた。本来、マラッカ海峡の航路の恩恵を受けているマレーシアが、タイのランドブリッジ計画を警戒していないということは、現実性に乏しいと判断しているからなのかもしれない。特に、マラッカ海峡ルートとの時間差のメリットがほとんどなく、積み替えの手間とコストばかりが目立つことをどう受け止めるのか。

もう一つの問題点は、今回もバンコク首都圏の3空港を結ぶ高速鉄道整備事業と同じ官民連携(PPP)プロジェクトとして推進しようとしているが、本当に国の発展に不可欠な大型インフラプロジェクトなら、国の主導、税金で行うべきではないのかという点だ。財閥チャロン・ポカパン(CP)グループ主導の企業連合が事業落札し、2019年10月に契約調印が行われた大型インフラプロジェクト「3空港間連結高速鉄道」事業は未だに建設工事は始まっていない。極めて大きな事業リスクを民間に負わせる同事業に日本企業はほとんど関心を示さなかったが、ランドブリッジに対しても同様の認識だと思われる。日本は高度成長期に国が積極的にリスクを取って、全国の交通インフラを整備、先進国入りも実現した。タイが中所得国の罠を抜けられそうもないのは、こうした国家意志の乏しさにもあるのかもしれない。

THAIBIZ Chief News Editor

増田 篤

一橋大学卒業後、時事通信社に入社。証券部配、徳島支局を経て、英国金融雑誌に転職。時事通信社復職後、商況部、外国経済部、シカゴ特派員など務めるほか、編集長としてデジタル農業誌Agrioを創刊。2018年3月から2021年末まで泰国時事通信社社長兼編集長としてバンコク駐在。2022年5月にMediatorに加入。

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