過去・現在から展望を見据える タイの自動車産業事情

過去・現在から展望を見据える タイの自動車産業事情

公開日 2016.03.22

1990〜2000年代通貨危機を乗り越え一大産業に

90年代に入ると、自動車産業政策は保護・育成策から輸出奨励策へと徐々にシフト。これは88年のASEAN域内の自動車部品相互補完協定(BBC)の調印を契機に、域内水平分業の進展が期待されたことにもよるものだ。

91年、部品輸入関税についてCKDでは112%から20%、完成車では2300cc超の輸入関税は300%から100%、2300cc以下は180%から60%にそれぞれ大幅に引き下げられた。92年には自動車産業の競争力の強化を目指して、事業税の廃止(付加価値税の導入)が決定。93年には自動車メーカーの新規参入が解禁され、モデル数・車種数制限の廃止、完成車輸出への税制優遇制度も実施されるなど(税率20%から2%への大幅削減)、自動車産業に関する各種規制はほぼ撤廃となった。

こうした自由化推進により、ホンダやトヨタを始め日系メーカーは相次いで新工場を建設、日系メーカーの生産設備拡張により自動車部品に対する需要も高まっていく。これらの動きもあり、タイの自動車生産台数は90年の30万5000台から、96年には55万9000台へと大きく増加した。しかし、97年にアジア経済危機を迎えることになる。
この経済危機は自動車産業に大きな影響を与える。97年の生産台数は24万8000台とと前年の生産台数を大きく下回る結果となった。

これに対してタイ政府は自由化政策を一時停止。付加価値税を引き上げる(7%から10%)と同時に、自動車関連では完成車の輸入関税率を一律に引き上げ(80%)、乗用車・商用車の物品税を5%引き上げる税制改革を実施した。99年には、CKDの輸入関税を再び20%から33%に引き上げている。

資本移動については、外資導入政策を積極的に推進したことは外資メーカーにも有利に働いた。完成車の輸入制限は国内生産車の販売台数の増加に貢献し、弱い内需に対処するために強化された輸出奨励策も新たな販路拡大という結果をもたらし、自動車産業の回復を
側面から支えることになった。タイの自動車部品産業は99年を境に2000年には予想外のスピードで回復する。

通貨危機から回復し、2000年代に入るとタイを取り巻くASEAN地域の環境は大きく変わっていく。ASEAN自由貿易地域(AFTA)の発効に伴うASEAN域内貿易の自由化が進展し、タイが自動車の輸出生産基地として重要な役割を果たすようになった。

タイ政府は「タイ自動車マスタープラン」のなかで、11年のビジョンに「タイがアジアの自動車生産基地としての地位を確立し、自動車の生産台数を少なくとも100万台以上とし、その40%以上を輸出すること」を目標とした。

タイにおける日系メーカーの意義

タイ経済は97年にアジア経済危機、2009年に世界同時不況、11年に大洪水という3つの危機を経験しているが、13年にはファーストカーバイヤー制度の影響もあって、生産台数は245万台にまで増加している(図表1)。1トン・ピックアップトラックを含む商用車の割合が高いのが特徴だ。

arayz mar 2016 tokushu

タイは欧米系メーカーの進出が盛んとは言えず、またローカルメーカーも存在しないことから、タイ国内市場は日系企業が多くのシェアを占めている。2014年の国内販売状況を見ると、トヨタ(37%)、いすゞ(18.2%)、ホンダ(12.1%)、三菱(7.1%)、日産(6.7%)であり、計81.1%のシェアを獲得している。

タイは国際水準の自動車生産能力を持つ日系メーカーを受け入れたこと、そして政策により、国際水準の自動車に部品を供給できるローカル部品メーカーを育成することに成功した。
なお、ローカル部品メーカーへの要求に関しては、1997年の通貨危機以後の落ち込みとGATT(関税貿易一般協定)のTRIMs(貿易に関連する投資措置に関する協定)への対応を理由に、2000年に撤廃されている。しかし、それによって日本からの部品輸入が増加するというようなことはなく、2000年代からは2次請け部品メーカーなどの直接投資も増加するようになっている。

このような背景から、タイは日系部品メーカーに加え、高技能レベルの労働力と安定的な生産を支えるローカル部品メーカーが数多く存在する、自動車生産のハブとしての地位を確立した。

タイは日系メーカーにとって欠かせない生産拠点となっていることは、11年11月に発生した大洪水の際にも証明された。洪水被害の大きかった中部アユタヤ県の工場団地などでは、ほとんどの工場が水没し操業停止に追い込まれ、リスク管理の観点から国外も含めた生産拠点の移転が行われてもおかしくない状況だった。しかし、被害があった工場の多くは周辺国での代替生産というかたちをとらず、タイ国内の別の工場団地に新たな取引先や自社の一時的な生産ラインを求め、操業停止中においても従業員を解雇せず、雇用を
維持し続ける企業も多くあった。結果、早期の操業再開を実現し、短期でのV字回復を達成している(図表2)。

arayz mar 2016 tokushu

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THAIBIZ編集部

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