カテゴリー: ビジネス・経済
公開日 2016.08.29
多田 聡 一等書記官 マクロ経済担当。
内閣府より2015年夏から在タイ日本国大使館に出向、現在に至る。内閣府では「月例経済報告」や「経済財政白書」の作成等に携わる。 趣味は旅行と猫カフェ巡り。
「景気」という言葉が日本で初めて使われたのは鴨長明の「方丈記」にまで遡ると言われています。当時は、「空気の景色」という意味で使われていた言葉だそうです。「気」という文字が含まれていることから、現在では、実体経済だけでなく、人々のマインド面を含めた経済活動全般の動向を意味する言葉として使われているように思われます。
今回は、タイの景気の現状と当面の見通し、さらにはタイ経済の中長期的な展望について、データに基づいて分析してみたいと思います。
まず、経済指標にはさまざまなものがありますが、一般に、①景気の動きに先行する指標、②景気の動きにおおむね一致する指標、③景気の動きに遅れて動く指標があります。それぞれ代表的なものとしては、①は株価や企業の景況感などのマインド関連指標、②は鉱工業生産指数や消費関連指数、③は失業率などの雇用関連指数や消費者物価指数などが挙げられます。
景気の分析に当たっては、「方向」と「水準」という観点からさまざまな指標を見てみる必要があります。山登りに例えるならば、「方向」というのは山を登っているのか、下っているのか、「水準」というのは山の何合目にいるのかといった具合です。
6月末時点で得られる最新のデータを基に、タイの景気動向を分析してみると、「方向」としては持ち直してきているものの、「水準」としては依然として低水準にあると言えます。すなわち、
◎景気の「方向」については、民間消費が持ち直しつつあることや景気の動きに先行する株価や企業マインド(景況感)などがこのところ持ち直してきていることなど、持ち直しの動きがみられるものの、依然として公共投資などの政府支出に依存するところが大きく、民間需要主導の景気回復には至っていないこと
◎景気の「水準」については、輸出や生産といった企業活動の水準が過去3年の平均水準を回復しておらず、民間投資も低水準で推移していることなどから、現在の景気は、政府支出(公的需要)という補助輪の支えを得ていわば徐行運転をしている状態であり、民間需要というメインエンジンは本格稼働していないため、外的・内的な経済環境の変化などに対して脆弱な状態にあると言えます。
判断の根拠となる詳細なデータは「(参考)主要経済指標」を御参照いただきたいと思いますが、ここでは景気の動きにおおむね一致する指標として代表的な鉱工業生産指数を例にとって簡単に解説したいと思います。
5月の鉱工業生産 指数は108.1(前年比2.4%増、前月比0.3%増)となりました。指標の「方向」については、前年比や前期(月)比でみるのが一般的です。前年比でみても前月比でみても増加していますので、「方向」 としては良くなってきていると言えます。 他方で、108.1(2011年=100) という値がこの指標の「水準」になります。 過去3年の平均値が109.5ですから、 その水準にまでは達していないことがわかります。
こうした指標の動きは輸出数量指数や民間投資指数を見てもほぼ同様です。タイを拠点とする日系企業関係者から度々聞かれる「景気回復の実感の乏しさ」は、こうした指標の動きと符合するものと思われます。すなわち、緩やかな経済成長は続いているものの、生産や輸出、民間投資などの企業活動は停滞していることが、景気回復を実感しにくいものとしている背景にあると見ています。
英国で6月23日に国民投票が行われ、 EUからの離脱(ブレグジット)を支持するという国民の声が過半数を超えました。ただ、この国民投票自体に法的拘束力はなく、同国政府がEUに対して通告してはじめて離脱が成立することになります。英国が実際にいつ、どういった形で EUから離脱するのか現時点では明らかになっていないため、国民投票直後の世界的な金融市場の混乱も一旦は落ち着きを取り戻した状態になっています(7月22日現在)。
この英国のEU離脱問題は、リーマンショックのような〝今そこにある危機〞とは異なるものの、今後の展開次第ではじわじわと世界経済にネガティブな影響を与えうる恐れがあります。
経済学者のフランク=ナイトは、統計的確率が明らかで予測できる事象を「リスク」、確率分布すら想定できない事象を 「不確実性」とし、両者を区別しました。 英国とEUとのいわば「協議離婚」は、誰も経験したことのない未曽有の事態のため、相当の「不確実性」を伴うものですが、 加えて、この「協議離婚」のタイミングや仕方、波及経路によって、これが世界経済に与えるマグニチュードは大きく変わってくるものと思われます。 今後、この問題の全体像が徐々に明らかになるにつれ、それぞれの経済主体が 「不確実」な状況から具体的な「リスク」 を織り込んでいく過程の中で、世界的な金融市場の混乱が再燃する可能性があることには注意が必要です。
重要なことは、この問題がタイ経済にどのような影響を与えるのかという点ですが、短期的には実体経済に与える直接的な影響は限定的であると思います。2015年時点で、タイからイギリス向けの輸出シェアは全体の1.8%、イギリスからの輸入シェアは全体の1.3%、タイへの海外直接投資残高でイギリスが占めるシェアは3.6%、観光面でもタイへの外国人旅行者に占めるイギリス人のシェアは3.2%となっています。また、ブレグジット以降の金融市場の動きを見ても、株価(SETインデックス)は1500ポイントを回復し、 ドルに対してもバーツは強含む展開となっています(7月22日現在)。
ただし、今後の為替、株価の変動による企業・消費者マインドおよび実体経済への影響には注意が必要です。ただでさえ、世界経済の混乱は、輸出依存度の高いタイ経済にとって大きな懸念材料になりますが、企業活動の水準が低い中で大きな外的なショックが加わった場合、予想外に大きな影響があることも念頭に置いておく必要があります。
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THAIBIZ編集部
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