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カテゴリー: ASEAN・中国・インド, 会計・法務
連載: ASIAビジネス法務 最新アップデート - ONE ASIA LAWYERS
公開日 2026.06.08
インドの労働法制は、連邦法と州法が重層的に適用される点に最大の特徴がある。2019年から2020年にかけて、従来の29の連邦労働法が4つの労働法典へ統合されたことにより、法体系は一見簡素化された。
しかし、実務においては州ごとの施行規則や「店舗・施設法」が引き続き重要であり、移行期特有の複雑性はなお高い。以下では、法改正の全体像、施行状況、実務上の論点、各法典の主要内容を整理する。
インドの労働法制は、憲法上、中央政府と州政府の双方に立法権が認められているため、連邦法と州法の二重構造を前提として理解する必要がある。企業にとっては、中央レベルの労働法だけを確認すれば足りるわけではなく、各拠点が所在する州の法令、施行規則、通知の内容まで把握しなければならない。州ごとに最低賃金や労働時間等に関する規制が異なり、特に多州展開を行う企業では、州ごとの差異を前提とした実務対応が必要となる構造である。
2019年から2020年の改革では、従来の29の連邦法が、賃金法、社会保障法、労働安全衛生・雇用条件法、労使関係法の4法典に統合された。改革の狙いは、分散していた制度を整理し、定義や手続を標準化し、企業・行政双方の運用負荷を軽減する点にあった。
他方で、この統合はあくまで連邦法の再編であり、工場以外の事業所を広く規律する「店舗・施設法(Shops and Establishments Act)」のような州法は法典に取り込まれていない。
このため、新法典の施行後も、企業は連邦法と州法を並行して確認し続ける必要がある。
図表1 4つの労働法典の構成
| 新労働法典 | 主な規制内容 |
|---|---|
| 賃金法(Code on Wages, 2019) | 賃金の定義、最低賃金、賃金支払、賞与、均等報酬 |
| 社会保障法(Code on Social Security, 2020) | 退職金、出産給付、積立基金制度 |
| 労働安全衛生・雇用条件法(Occupational Safety, Health and Working Conditions Code, 2020) | 労働時間、安全衛生、勤務条件 |
| 労使関係法(Industrial Relations Code, 2020) | 解雇規制、労働組合、労働争議、法定就業規則 |
新労働法典は2025年11月に施行通知が出され、2026年5月8日に中央の施行規則が公示・施行された。もっとも、州の施行規則は州ごとに整備状況が異なり、一部州では施行済みである一方、多くの州ではなお草案段階にとどまる。このため、現在は新法の条文・中央規則・旧法下の規則・一部州の新規則が併存する移行期にある。
図表2 新労働法典の施行状況
| 2019~2020年 | 29の連邦法を統合する4法典が成立 |
| 2025年11月 | 労働法典の正式施行通知 ※施行規則未整備のため実務運用開始には至らず |
| 2026年5月8日 | 中央施行規則の公示 ※中央政府管轄の事業所に適用 |
| 2026年時点 | 州施行規則は一部施行済み、多くは草案段階 |
2026年5月に公布された中央規則は、中央政府管轄の事業所(銀行、保険、通信、鉄道、港湾等)には直ちに適用される。
一方、一般的な民間企業の多くは州政府管轄であるため、中央規則は参考基準としての意味を持つにとどまり、実務運用は州規則の制定を待つ構造となっている。
新法典の施行により、統合された29の旧連邦法自体は廃止されたが、当該旧法に基づく下位規則は、新法に矛盾しない範囲で有効とされている。州規則が未整備である以上、企業は旧法下の規則を参照しつつ、新法典の条文との整合性を確認して運用することも求められる。
新法典のうち、下位規則による具体化を要しない規定(例:賃金定義)については、すでに効力を有するとされ、新法に基づく運用が求められる。したがって、州規則が未整備であることのみをもって新法全体が適用されていない、という理解を取ることはできず、条文レベルで適用可否を判断する必要がある。
他方、交渉組合の認定手続など、新規則の制定を前提とする制度は、州規則が整備されない限り実務上着手できない。そのため、制度そのものは新法上存在するが、運用の詳細が未公開であるため、企業は旧法下の枠組みを維持せざるを得ない状態が生じている。
図表3 新労働法典と関連法令の施行状況
| 項目 | 現在の状況 |
|---|---|
| 新労働法典 | 施行済み |
| 条文のみで適用される新法の規定 | 既に有効(例:賃金定義) |
| 新規則を前提とする規定 | 州規則の整備待ち |
| 新中央規則 | 制定・施行済み(中央政府管轄事業に適用) |
| 新州規則 | 一部州のみ施行、多くは未整備 |
| 統合された29の旧連邦法 | 原則廃止 |
| 統合された29の旧法下の規則 | 新法に反しない範囲で有効 |
店舗・施設法は、工場以外のオフィス、商業施設、サービス業等に広く適用される州法であり、多くの日系進出企業にとって実質的な基幹法令の一つである。主な規制内容は、労働時間、残業、休日、女性夜勤、登録義務等に及ぶ。
重要なのは、店舗・施設法は新たな労働安全衛生・雇用条件法に統合されていないという点である。そのため、新法典施行後も独立した州法として存続するとみられ、引き続き遵守が必要となる。
もっとも、近時の州政府の運用・改正動向からは、労働安全衛生・雇用条件法との役割整理が進められていることもうかがわれる。例えばハリヤナ州政府は、労働安全衛生・雇用条件法に基づく登録制度と店舗・施設法上の登録制度との重複規制を回避する一方、店舗・施設法のその他規定については、労働安全衛生・雇用条件法と抵触しない範囲で引き続き適用するとの立場を示している。これは、両法令が競合・抵触する場合には、連邦法である労働安全衛生・雇用条件法が優先することを前提とした整理と解される。
さらに、2025年の新法典施行と同時期に、主要州では店舗・施設法の改正・施行も相次いでいる。例えばハリヤナ州では、2025年11月に改正条例を施行し、適用基準を20名以上に限定、労働時間規制の緩和、登録手続のオンライン化など、規制緩和と電子化を行っている。
このように、インドの労働規制実務においては、新労働法典の施行動向のみならず、拠点が所在する州ごとの店舗・施設法の改正・運用状況、新法典との適用関係についても引き続き個別確認が必要である。
インド労働法実務において、極めて重要な概念が「Worker(ワーカー)」と「Non-Worker(ノンワーカー)」の区分である。
解雇規制、労働争議、再雇用、レイオフ等、多くの労働法上の保護はワーカーに対して広く適用される。一方、管理職等のノンワーカーについては保護が限定される場合が多い。したがって、各法令・各制度ごとに、managerial層やsupervisory層の除外の有無、賃金閾値の有無、職務内容の実態を個別に確認する必要がある。
もっとも、この区分は単純に役職名のみで決まるわけではない。実際の業務内容や権限、指揮監督の有無、裁量等を踏まえて判断が行われる。
ワーカーの該当性は、解雇や労働紛争だけでなく、残業代等の就業規則適用の場面でも重要な論点となる。近年の裁判例においても、「形式ではなく実態で判断する」という傾向は一貫している。
したがって、日本企業においても、単に「Manager」や「Senior Executive」といった肩書だけでなく、実態に即した人事設計が求められる。
新労働法典は、賃金、社会保障、労働安全衛生・雇用条件、労使関係を再編している。以下に主要内容を整理する。
賃金法は、最低賃金法、賃金支払法、賞与支払法、均等報酬法の4法を統合したものである。賃金の定義、全国的な下限賃金(Floor Wage)、賞与、支払方法等を規定しており、広く事業所一般に適用される。
特に実務上大きな影響を持つのが、「賃金(Wages)」の定義統一といわゆる「50%ルール」の導入である。
従来、多くの企業では、基本給を意図的に低く抑え、住宅手当や特別手当等の各種非課税手当を厚くすることにより、社会保障(EPF、後述)負担や法定退職金計算基礎を抑制する給与設計が一般的に行われてきた。
新賃金法では、「賃金」に含まれる項目と除外される項目が整理された。具体的には、①基本給(Basic Pay)、②物価調整手当、③留保手当が「賃金」に含まれる一方、賞与、住宅手当、残業代、通勤手当等の一定項目は原則として賃金から除外される。除外項目の合計額が総報酬の50%を超える場合は、その超過部分は「賃金」に再参入される。
このルールが適用されると、これまで基本給を低めに設計していた企業にとっては、算定基礎となる「賃金」が上がるため、EPFの会社負担額、残業代の単価、法定退職金の支給額が増加することとなる。財務へのインパクトを事前に試算し、給与内訳の再設計が急務となる。
社会保障法は、従業員積立基金(EPF)法、従業員国家保険(ESI)法、退職金支払法、出産手当法等の9法を統合し、社会保障制度を一本化したものである。適用対象はスキームごとに異なる。
特に日本企業との関係で重要なのが、EPF(Employees’ Provident Fund)および法定退職金(Gratuity)制度である。EPFは労使折半による年金積立制度、退職金は原則5年勤続した従業員に支払義務が生じる法定の退職金制度であり、いずれも企業の長期雇用コストに直結する。
新社会保障法はこれらの制度を大きく変更するものではないが、前述の賃金定義の統一・50%ルールにより、EPF拠出額や法定退職金算定基礎額が増加する可能性がある。特に、従来基本給を低めに設定して法定負担額を抑えてきた企業では、給与体系の見直しが必要となりうる。
労働安全衛生・雇用条件法は、工場法、建設労働者法、請負労働者法など13の旧法を統合しており、労働安全衛生基準、労働時間、休日、女性の就労規制、登録制度、契約労働者の管理など、事業所運営に関わる広範な事項を一本化したものである。原則としてワーカー10人以上の事業所に適用され、危険を伴う事業については人数要件なく適用される。
従来複数の法律に分散していた安全衛生基準や労働条件規制を統合しているものの、州規則の整備状況により実務運用が大きく左右される点に注意が必要である。また、前述のとおり、工場以外では州の店舗・施設法との並行確認が不可欠である。
労使関係法は、産業紛争法、労働組合法、就業規則法等を統合したものであり、特に解雇規制や労働争議に関する実務へ影響を与える。主としてワーカーを雇用する一定規模以上の事業所に適用される。
最も注目された改正点は、一定規模以上の産業施設において必要とされる政府許可基準が、「100人以上」から「300人以上」へ引き上げられた点である。
従来は、100人以上のワーカーを雇用する産業施設では、レイオフ、リトレンチメント(整理解雇)、事業閉鎖等に際し政府許可が必要であり、企業側にとって大きな制約となっていた。新法ではこの基準が300人へ引き上げられたことで、事業所における人員整理の柔軟性が一定程度高まる可能性がある。
また、法定就業規則(Standing Orders)の作成についても、従来は100人以上のワーカーを雇用する産業施設に義務付けられていたが、新法ではこの人数要件が300人以上に引き上げられている。
インドの新労働法典は、長年複雑化していた労働法制を整理・統合する重要な改革である。他方で、州法との併存、州規則の未整備、旧法が一部混在した運用等により、実務上は極めて複雑な移行期にある。
現時点では、州規則の制定状況や行政運用が流動的であり、日本企業としては、進出先州における規則制定状況や公式ポータルの運用等を継続的に確認する必要がある。
また、賃金定義変更を踏まえた基本給・各種手当の構成見直しが必要となる可能性がある。さらに、就業規則、雇用契約書等の文書についても、新制度との整合性確認が求められる。
特に2026年以降は、州規則の本格施行や運用明確化が進む可能性が高く、今後も制度変更が続くことが想定される。州ごとの差異を前提としたコンプライアンス体制を構築するためには、単なる法改正情報の把握にとどまらず、専門家を交えたギャップ分析を段階的に進めながら新制度へ対応していくことが重要となる。

One Asia法律事務所
インド・南アジアプラクティスチーム代表弁護士(日本法)
吉田 重規 氏
2018年One Asia Lawyers加入、2025年南アジアプラクティスチーム所属、2026年から同代表。インドパートナー法律事務所と連携し、クロスボーダーM&Aやジョイントベンチャーなどの日系企業進出のほか、インド企業法務全般に関するサポートを行っている。
One Asia Lawyers加入前は約6年間企業内弁護士として企業法務全般に従事し、同所加入後はカンボジアを中心に東南アジアにおける日系企業への幅広い分野の法務案件を扱ってきた。

One Asia法律事務所
インド・南アジアプラクティスチーム所属パラリーガル
山田 薫 氏
国際協力機関や在インド日系企業での勤務経験を活かし、2021年1月から5年以上にわたり南アジア各国の法務支援に従事。特にインドの個人情報保護法制やハラスメント対応を含むコンプライアンス分野を専門とするほか、各種業法を含むインド特有の規制・制度に関するリサーチ等、現地弁護士と連携した対応を行う。
One Asia Lawyers
One Asia Lawyers Groupは、東南アジア・インドの法律に関するアドバイスを、アジア各国のネットワークを基礎として、シームレスに、ワン・ストップで提供するために設立された法律事務所です。
Website : https://oneasia.legal

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