
カテゴリー: ビジネス・経済
連載: THAIBIZ NOW
公開日 2026.09.10
今年8月、タイの自動車産業に見過ごせないニュースが飛び込んできた。インドネシアの財務相が、トヨタに対し、東南アジアの主要生産拠点をタイからインドネシアへ移すよう呼びかけたのである。トヨタが求めるなら、必要な投資優遇策を用意し、部品・素材を含むサプライチェーンごと誘致したい姿勢を示した。
これは単なるリップサービスではない。インドネシアは巨大な国内市場を背景に、自動車産業の強化を国家戦略として進めている。対するタイは、60年以上にわたり日本メーカーとともに部品メーカー、物流、人材、販売・輸出網を築き、「アジアのデトロイト」と呼ばれる地位を確立してきた。しかし、その優位性が自動的に守られる時代ではない。今回の発言はその現実を突きつけた。
このニュースを受け、タイ社会で大きな話題となったのが、トヨタ・モーター・タイランドのスパコーン副社長のSNSでの発言である。彼は日系企業の幹部としてだけではなく、「タイ人」としての立場から、今回の出来事に対する見解を表した。インドネシアが今まさにタイに対して「本気で競争を仕掛けている」と強調したうえで、重要な問いを投げかけた。
タイは「電気自動車(EV)」を増やしたいのか、それとも「EV産業」をつくりたいのか。
EVの生産台数が増えることと、タイ国内で産業が育つことは同義ではない。車両やバッテリー、主要部品を輸入し、国内で組み立てるだけなら、タイ経済には何が残るのか。自動車産業とは、完成車だけでなく、設計、部品、物流、販売、人材育成、輸出市場まで含むエコシステムである。
バッテリー廃棄や中古車市場での残存価値、充電インフラ、電力供給、発電燃料の輸入依存など多くの課題があるなか、EVへの移行と同時に「産業」をどう育てるかが問われているのだ。
こうした問題提起を受けるかのように、8月17日にはワラウット工業相がトヨタ・モーター・アジアの前田昌彦社長らと面談。タイ自動車産業の方向性、投資促進、生産拠点としての競争力維持について意見交換を行った。これまで日本メーカーが訴えてきた自動車政策の継続性や、EVだけに偏らない多様な技術を含むマルチパスウェイ戦略が、改めて政策課題として意識され始めたとも読める。
さらに注目すべきは、エクニティ副首相兼財務相が、自動車税制の見直しを急ぐ姿勢を示したことである。報道では、輸入EVの税負担を引き上げる一方、国内生産EVの税負担を下げ、タイで実際に生産し、雇用やサプライチェーンを生む企業にとって、より公平な制度を目指すように指示した。完成車を輸入して販売する企業と、長年タイに投資し、関連産業や人材を育ててきた企業を同じ条件で競わせることが、本当に公平なのか。税制見直しの背景には、そんな問題意識がある。
今回の一連の動きは、日本勢にとって追い風になりうる。日本メーカーは単に自動車を生産・販売してきたわけではない。工場を建て、部品サプライヤーを育て、タイ人技術者を育成し、輸出市場を開拓し、販売・サービス網を築いてきた。その蓄積はタイ人の誇りとも深く結びついている。
だからこそ今、日系企業に必要なのは、自社がタイで何をしてきたかを改めて示すことだ。どれだけの雇用を生み出し、タイ企業と取引し、技術を受け継いできたのか。これからタイとともにつくる未来像とあわせて、社内外に発信すべきタイミングだ。これはタイ人社員のエンゲージメント向上にもつながる。
インドネシアの挑戦は、タイにとって脅威である。しかし同時にタイは自国の強みを再確認する機会でもある。ここから先、日本勢にとっても守勢から一歩踏み出し、タイとともに次の自動車産業をどうつくっていくのか、本気で対話すべき時だろう。

Mediator Co., Ltd.
Chief Executive Officer
ガンタトーン・ワンナワス
在日経験通算10年。2004年埼玉大学工学部卒業後、在京タイ王国大使館工業部へ入館。タイ国の王室関係者や省庁関係者のアテンドや通訳を行い、タイ帰国後の2009年にメディエーターを設立。日本政府機関や日系企業のプロジェクトをコーディネート。日本人駐在員やタイ人従業員に向けて異文化をテーマとした講演・セミナーを実施(講演実績、延べ12,000人以上)。
