
連載: THAIBIZ NOW
公開日 2026.04.10
目次
タイは長年にわたり、日本企業にとって最も重要な海外製造拠点の一つであり続けてきた。自動車、電機、電子部品など、多くの産業において日系企業はタイとともに成長してきた歴史がある。
一方で、直近のニュースだけを追うと、「日本企業の大型投資案件が減っているのではないか」という印象を持つ読者も少なくないだろう。特に中国企業の急速な台頭や、タイ政府による電気自動車(EV)支援策の縮小など、構造変化の中で日本企業の投資機会が限られているようにも見える。しかし、それはあくまで表層的な見え方に過ぎない。
実際には、海外からタイへの外国直接投資(FDI)は依然として活発で、「質」と「分野」が大きく変化している。2026年に入り、第2次アヌティン政権のもとで、タイ経済は新たなフェーズに入ろうとしている。本稿では、直近の投資動向と自由貿易協定(FTA)戦略を通じて、輸出製造拠点としてのタイの次の可能性を読み解いていきたい。

タイの家電市場は約7兆7,000億バーツ規模とされ、エアコン、テレビ、洗濯機、冷蔵庫といった主要製品を中心に安定した需要を持つ。
特に熱帯気候という特性から冷却系製品の需要が高く、今後も一定の成長が見込まれている。この市場に対して、近年急速に存在感を高めているのが中国系メーカーである。海尔集団(Haier、ハイアール)、美的集団(Midea、ミデア)、海信集団(Hisense、ハイセンス)、科技集団(TCL)などの企業は、単に販売市場としてではなく、「生産拠点」としてタイに進出している点が重要だ。
例えば、世界有数の冷蔵庫メーカーである広東奥馬電器(Homa、オーマ)はチョンブリーに大型工場を設立し、年間170万台規模の生産能力を構築。生産された製品は欧州を含む海外市場に輸出されている。
また、HaierはタイをASEANの製造・サービス拠点として位置づけ、アフターサービスや人材育成拠点の整備まで進めている。Mideaもラヨーンでエアコン工場を拡張、グローバル市場向けの供給拠点として機能。Hisenseは大型のスマート製造工業団地を建設し、ASEAN最大規模の家電生産拠点を形成しようとしている。
家電産業は今、中国系メーカーが中心となりスマート家電・省エネ・IoTといった新領域へ進化しながら、タイの製造基盤を底上げしているのである。
さらに重要なのは、半導体およびプリント基板(PCB)分野である。近年、地政学リスクの高まりを背景に、サプライチェーンの再編が進んでいる。その中でタイは、「中国・台湾の代替拠点」として注目を集めている。
実際、世界最大のPCBメーカーであるZhen Ding Technology(ZDT)はタイに総額6兆5,000億バーツ規模の投資を決め、製造拠点を構築中。スマートフォン、人工知能(AI)サーバー、EVなどの高性能電子機器に不可欠な製品をタイで生産し、世界市場へ輸出する計画だ。また、Unitech PCBもタイに初の海外生産拠点を設立し、グローバルサプライチェーンの一角にタイを組み込んだ。
さらに半導体分野では、オランダのASMLがタイのサプライチェーン構築に関心を示している。ASMLは世界で唯一、最先端半導体製造装置を供給できる企業であり、その動向が注目されている。同社はタイの人材育成や技術移転にも積極的で、「チップ・メイド・イン・タイランド」という国家戦略の実現に向けた重要なパートナーとなりうる。つまり、タイはもはや「組立工場」ではなく、電子産業の中核に近づきつつある。

こうした製造拠点としての競争力を支えているのが、FTA戦略である。現在タイは、ASEAN周辺国を含め14のFTAを結んでおり、日本、中国、インド、オーストラリアなど主要市場との貿易網を構築。さらにRCEP(東アジア地域包括的経済連携)も加わり、アジア最大の経済圏の一部となっている。
2026年中には欧州自由貿易連合(EFTA)とのFTAも結ぶ見込みで、欧州連合(EU)とは年内合意の可能性もある。韓国との包括的経済連携協定(CEPA)、ASEAN-カナダFTAなども並行して進んでおり、タイは明確に「FTA拡張フェーズ」に入っている。
この背景には、スパジー商務大臣の強いリーダーシップがある。単に輸出を伸ばすだけではなく、「市場アクセスそのものを拡張する」ことが国家戦略として位置づけられているのである。
ただし、タイのFTA戦略は決して楽観できる状況ではない。シンガポールは65ヵ国とFTAを結び、圧倒的なネットワークを構築している。また、ベトナムもEUとのFTAや環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定(CPTPP)を武器に、高付加価値市場へのアクセスを強化している。
これに対しタイは、製造基盤の強さでは優位性を持ちながらも、「市場アクセス」という点では出遅れた。つまり、現在のFTA交渉ラッシュは外交政策であると同時に、産業競争力を守るための戦いでもある。

しかし、タイは従来の先進国市場だけでなく中東、南アジア、アフリカなど新興市場とのFTAにも積極的である点に注目したい。パキスタンやアラブ首長国連邦(UAE)との交渉再開はその象徴である。
これは米中対立や日米貿易摩擦といった不確実性の中で、依存リスクを分散する戦略でもある。言い換えれば、タイはFTAを通じて「どの市場にもアクセスできる国」を目指しているのである。
こうして見ていくと、タイ経済は停滞しているわけではない。製造分野は家電から半導体へと高度化し、投資は量から質へとシフトし、FTAは地域からグローバルへと拡張している。つまり、「構造転換の真っ只中」にあると言える。
日本企業にとっても、タイは依然として重要な拠点である。ただし、その意味は変わりつつある。かつての「低コスト生産拠点」ではなく、「高度技術とグローバル市場をつなぐ戦略拠点」へと進化しているのだ。
タイは成熟した国に見えるかもしれない。しかし実態は、その次のステージへと着実に進んでいる。日本企業はこの変化を正しく捉え、引き続きタイとともに成長していくことが求められているのではないだろうか。
参考:
タイ経済紙ターンセタキ「中国5大メーカーがタイ家電市場を揺るがす」(2025年9月13日)
タイ船荷主協会(TNSC)「タイのFTA2026年最新版、近隣国と徹底比較」FTA「交渉状況の概要[公表版](2026年2月時点)
タイ経済紙ターンセタキ「スパジー氏、カナダ大使と会談。FTAを2026年内に妥結へ」(2025年11月16日)
タイ投資メディアタンフン「DELTA、Q1は好調な見通し。通年で二桁成長を目指す(2026年2月24日)
タイ製造業メディア「Unitech PCB、アーントーンにタイ初の世界水準PCB生産基地を開設」(2026年1月15日)
タイ経済メディアプラチャーチャート・トゥラギット「BOI、世界最大のPCBメーカーZDTの6.5兆バーツ規模投資を承認」(2026年1月19日)
タイメディアカオソッド「ASML、BOIと会談、“メイド・イン・タイランド”の半導体を後押し」(2026年2月4日)

Mediator Co., Ltd.
Chief Executive Officer
ガンタトーン・ワンナワス
在日経験通算10年。2004年埼玉大学工学部卒業後、在京タイ王国大使館工業部へ入館。タイ国の王室関係者や省庁関係者のアテンドや通訳を行い、タイ帰国後の2009年にメディエーターを設立。日本政府機関や日系企業のプロジェクトをコーディネート。日本人駐在員やタイ人従業員に向けて異文化をテーマとした講演・セミナーを実施(講演実績、延べ12,000人以上)。


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