カテゴリー: 自動車・製造業, ビジネス・経済, ASEAN・中国・インド
連載: 経済ジャーナリスト・増田の眼
公開日 2023.10.31
タイでの電気自動車(EV)の進撃が止まらない。各種メディアがタイ工業連盟(FTI)のデータとして伝えたところによると、9月のバッテリーEV(BEV)の新車登録台数は8904台と、前年同月の4倍となった。また、今年1~9月期のBEVの生産台数は前年同期(5743台)比約8倍超の4万8725台となり、全乗用車の生産台数に占める比率は前年同期の0.9%から8.3%に急上昇した形だ。
特に今年に入ってからのタイでのEVブームの急加速ぶりは普通の商品、マーケットの常識から見れば違和感さえ覚える。低価格の一般消費財ではなく、高額な耐久消費財であるがゆえになおさらだ。そして中国自動車メーカーの異例の短期間での進出ラッシュは何か裏があるのではとも思えてしまう。それは中国経済の変調と関係があるのか。こうしたタイの自動車市場の急変を背景に、EVに関するセミナーは相変わらず盛況だ。今回はそのうち幾つかを紹介することで、タイでのEVブームの本質とは何かを考える手がかりを探ってみたい。
目次
「世界の他の国と比べるとタイのEV普及率はまだ低いが、公共充電器の設置数が少ない中でも、EVはかなり売られている。その理由はタイにおけるEV購入者の9割以上は2台目、3台目の車として購入しており、1戸建てに住む人も多く、充電を自宅で済ませることが多いからだ。このため公共充電器が少なくてもまだ問題になっていない」と指摘するのは、リブ・コンサルティングのタイ現地法人LiB Consulting(Thailand)のマネジャー、ラリター・ハリタイパン氏だ。同氏は10月19日に行われたバンコク日本人商工会議所(JCC)電気部会で講演し、「当社のベースケースシナリオでは、2035年の販売台数におけるBEVの比率は約27%、ハイブリッド車(HEV)、プラグインハイブリッド車(PHEV)などを含めた全EVの比率は83%と予測している」との見通しを示した。
続いて同社のシニアアソシエートのジラワット・シティナムスワン氏は、デロイトの「2022 Global Automotive Consumer Study」を紹介し、「人々がEVに惹かれる主な理由は、燃料費削減への期待と気候への懸念だ」と報告。具体的には、調査対象国・地域(米国、ドイツ、日本、韓国、中国、インド、東南アジア)のほぼすべてで、EV購入の決断要因のトップ2に「気候変動への懸念と排ガス削減」「燃料費削減」が挙がった。ただ、中国は、1位は気候変動・排ガス削減だったが、2位に「運転体験の改善」が入ったのが興味深い。これについてジラワット氏は、「中国の車の購入者は若いころからEVを1台目の車として購入する傾向がある。これは内燃機関(ICE)車の体験がないからだろう」との見方を示した。ただ、この調査は2022年1月時点だ。その後もEVをめぐる情報や報道は目まぐるしく変化しており、消費者が、大半の国がまだ化石燃料で電気を作っている事実を知れば、EV購入の動機も変わってくるだろうか。
リブ・コンサルティングや、今号でも講演を紹介したアビーム・コンサルティングを含め、今や大手コンサルティング会社の多くが、自動車の電動化、EVに関するリポートを作成・発表している。そうした中で、長年の自動車業界の生産・販売、そして経営の最前線にいた業界人がタイにおける「中国メーカーの怒涛のEV攻勢と日本勢の地盤沈下」に警鐘を鳴らし始めている。三菱商事入社後、いすゞ自動車(トリペッチいすゞ)と三菱自動車出向などでタイに22年、マレーシアに3年駐在し、東南アジアの自動車産業を熟知している一寸木守一(ちょっき・もりかず)氏だ。現在、日本能率協会の参与も務める同氏は23日に自動車問題研究会・東海支部の定例会で講演し、タイの日系自動車メーカーの将来に危機感を表明し、熱いメッセージを送っている。ここでは当日の同氏のプレゼンテーション資料の一部を紹介する。
同資料で一寸木氏はまず、タイの自動車産業が日本にとってもいかに重要かについてデータを交え強調した上で、JCCがタイ政府に対して行った「ライフサイクルアセスメント(LCA)と『xEV』全体への恩典継続の重要性」などに関するロビー活動は一定の成果があったと報告した。そして、「EV政策に乗った中国メーカーの怒涛の躍進」ぶりをマーケットシェアで説明。2014年時点では日系OEMが90%を占め、中国系はゼロ%だったが、2022年には日系が86%、中国系が5%を獲得、さらに2023年1~8月には、日系が80%まで低下。中国系が9%を占めるまでになったと紹介した。
一寸木氏はさらに、タイや中国、日本、インドネシアなどが電源を化石燃料に頼っており再生可能エネルギーへの移行に時間がかかるため、現状のBEVは二酸化炭素(CO2)排出量が多いと指摘。ただ、BEVの予想以上の急増という現実が既にあり、この現実に戸惑う日系メーカーは、「『BEVは環境にやさしくない』『BEVの限界』などと言っている場合か」とも警鐘を鳴らす。そして「想定以上のBEVの普及と中国メーカーの躍進」を受けて、このままでは「日本の牙城である市場とサプライチェーンが崩れるのでは」との危機感を表明する。このあたりは9月19日号のこのコラムで紹介した「ものづくり太郎」氏の問題意識とほぼ同様だ。
ただ、一寸木氏は「忍び寄る中国の真の狙い」のパートで、大手自動車メーカーのタイ現地法人トップを務めた経験を踏まえたより深い議論を展開する。タイは現状、2国間の自由貿易協定(FTA)で中国からの完成車、ノックダウン部品の無関税の輸入を認めている。これは、中国からの電動車の無関税輸入を認める一方、タイ産ドリアンの無関税輸出を認めるというバーター取引があったためで、タイ政府としてはこの輸入関税ゼロは維持せざるを得ないだろうという。一寸木氏は自動車部品も無関税で輸入できる結果、進出する中国OEMメーカーによるタイのサプライヤーからの調達は限定的であり、タイの自動車産業と雇用への中国OEMメーカーの貢献も最低限ではないかとの見方を示す。さらにこうしたFTAによる関税取り決めにより、中国メーカーは、タイから東南アジア諸国連合(ASEAN)、欧州、オーストラリア、ニュージーランドなどの迂回輸出するのではないかとの見解も明らかにした。
一寸木氏による講演の最後のパートのタイトルは「どうするニッポン?」だ。まず、日本がタイで守るべきものとして「圧倒的に高い日本車のシェア」「生産・販売・輸出拠点として蓄積されたハードとソフト」「高い利益貢献」「長年築いてきた、タイ社会・政府との良好な関係」―を挙げる。そして「トレンドは脱炭素で正しい」とした上で、タイの「地方でマルチユースされている『ICEピックアップ』が産業の柱」であり、「タイをICEピックアップのラストリゾートにする」戦略を粛々と進めるべきだと訴える。
一方で、自動車の電動化と脱炭素・再生可能エネルギー普及を連動させるとともに、「タイ政府のバイオ・循環型・グリーン(BCG)経済実現に向けた脱炭素化の取り組みを支援」し、「マルチパスウェイ」を実現するために、もう一つの「ゼロエミッションビィークル(ZEV)」である、バイオ燃料・合成燃料にタイで取り組み、タイの主要産業である農業を活用して農民の所得向上に役立て、「都市と地方の格差」の是正というタイの社会問題解決に貢献できると強調した。
今、自動車産業は紛れもなく大変革期を迎えつつある。タイでさまざまな関係業界の取材をすると「EVはどこまで増えるのか」「ICEはなくなるのか」というシンプルな質問に対し、最近は「未来のことは誰にも分からない」という返事が増えてきた印象だ。
そうした中で興味深かったのは、TJRIが10月25日に開催した自動車産業交流会での、キアトナキン銀行(KKP)傘下のキアトナキン・セキュリティーズのエコノミスト、ラタキット・ラプドムカーン氏の指摘だ。その1つは「バンコク地域ではEVシェアが30~40%に達したら、市場は減速するだろう」との予測で、その理由は、バンコク都民の60%はコンドミニアムに住んでおり、住民は充電の問題に直面する可能性があるからだという。一方で、バンコク以外の地域では、ピックアップの選好と充電ステーションの不足により、低調なままだろうと予想している。充電設備の拡大ペースの予想は困難だが、現時点での地域特性によるEV普及ペースの違いに基づく冷静な分析は貴重だ。
また同氏は、タイでのEV市場の拡大加速は、「手ごろな価格(affordable price)」も決め手だったと指摘。さらに、中国勢のラッシュについて、タイと東南アジア諸国連合(ASEAN)間では関税がないことに加え、「中国国内経済が低迷によりEV在庫が残っていて、中国以外のマーケットを探す必要があった」との見方を示した。結局、中国国内での過当競争の結果、ASEAN各国にも無税で輸出できるタイに逃げ道を求めて来たとも言え、今後の中国勢のタイでの攻勢がいつまで続くかは中国経済の動向次第なのかもしれない。
THAIBIZ Chief News Editor
増田 篤
一橋大学卒業後、時事通信社に入社。証券部配、徳島支局を経て、英国金融雑誌に転職。時事通信社復職後、商況部、外国経済部、シカゴ特派員など務めるほか、編集長としてデジタル農業誌Agrioを創刊。2018年3月から2021年末まで泰国時事通信社社長兼編集長としてバンコク駐在。2022年5月にMediatorに加入。
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