カテゴリー: ASEAN・中国・インド
連載: 経済ジャーナリスト・増田の眼
公開日 2024.10.15
タイを含め世界は引き続き、中国の経済・社会の先行きを固唾を飲んで見守っている。中国人民銀行(中央銀行)が9月24日に、追加金融緩和策や住宅市場のテコ入れ策を発表したことを好感する形で中国の株式市場は急騰した。しかし、これで中国の危機が収束に向かうとは誰も思っていないだろう。中国政府が情報を隠し、市場原理がない中で、不動産バブル崩壊の底値は当面見えない。世界市場を混乱させている電気自動車(EV)などさまざまな製品の過剰生産、大量の投げ売り的な輸出がいつ落ち着くのかも見通せない。
中国の混乱は単にマーケットや経済だけではなく、地方政府を含めた共産党の絶対支配体制、少子高齢化、若者の失業など社会の基底構造に由来しているものが大半で、タイでもその動向を注意深く見守っていくしかない。
「過去の景気刺激策と比較して、最新の対策はより良く(市場と)対話し、協調しており、消費者をターゲットにしている。しかし、経済の悪化ぶりから、当局者は市場心理と消費を復活させる骨の折れる仕事に直面している。たとえ、報じられた財政措置が実行されても、必要な規模には達しない。多くのエコノミストは、中国が経済成長と物価上昇を復活させるには、国内総生産(GDP)の2.5~4%に相当する7兆~10兆元の景気刺激策が必要だと考えている」
英エコノミスト誌は10月5日号のLeadersの2本目の「中国の景気刺激策をまだ歓迎してはいけない」というタイトルの記事で、株価の急騰につながった中国政府の一連の対策を論評している。中国政府にとって特に事前販売されたのに未完成のままになっている集合住宅の引き渡し保証や、完成したのに大半が未入居のいわゆる「鬼城」対策などの不動産てこ入れ策が不可欠だが、資金不足になっていると指摘。深刻なデフレから脱するには消費者の信頼回復、企業投資を促すような巨額な景気刺激策が必要だなどと訴えている。
一方、英エコノミスト誌の9月28日号は中国面で「経済が低迷する中で、社会グループ間で恨みがつのっている」という副題の興味深い記事を掲載している。同記事はソーシャルメディアで「たばこの3世代」という短いフレーズが拡散していると紹介。たばこ公社のような国有企業のエリート幹部の職は世襲が当たり前という現実があり、あるブロガーが「こうした世襲制度は閉ざされた権力のサークルになっており、底辺の人々のチャンスを完全に封じている」と投稿。これを受けて、「エリートの子どもは昇進し、貧困層の子どもは貧しいままだ」などと共感するコメントが広がっているという。
中国沿岸部の都市出身で、日本で留学、就職した後、最近、タイ・バンコクで起業した若手中国人ビジネスマンは、この「たばこの3世代」の話は中国では有名だとした上で、「中国の高度成長期は頑張れば出世でき、金持ちになれるという希望があった。今は庶民がいくら頑張っても自分の階層を乗り越えられない。希望がなくなり『寝そべり』になるしかない」と表現する。
さらに、新型コロナウイルス流行の打撃が大きかったと指摘した上で、「コロナ後も大卒でも配車サービスや食品デリバリーぐらいしか仕事がない。若者はマイホームを買えないし、結婚のときに女性に渡すお金はないので、結婚もできない。少子化につながっている」と、中国国内の若者が置かれた状況を憂いている。
一方で同氏は、多くの富裕層は既に海外に脱出していることも指摘する。「東南アジアではまずシンガポールに向かった。そして日本やタイにも来て、静かに不動産を買っている。今の中国人は豊かになり、行動もスマートになっている」と言う。高度成長期の中国人は団体旅行で日本に来て爆買いする姿やマナーの悪さがニュースなどで頻繁に伝えられた。特にコロナ後に海外旅行できるのは「スマート化」した富裕層が中心なので昔ほど表面的には目立たないのかもしれない。こうした変化は中国企業の海外進出にも現れているのだろうか。
9月2日付の当コラム「タイで実感する中国勢の大量脱出」で、中国企業のタイへの大量進出の背景やその実態、ノミニーと呼ばれる名義借りの問題などを紹介した。そして、中国企業の進出を大歓迎していたタイ政府の姿勢にもさまざまな変化が出始めている。前出の若手中国人ビジネスマンは、「中国大使館に近く、中国人居住者が多いホイクワン地域で、最近、タイ警察などが中国系スーパーの商品を差し押さえたとのニュースが中国でも報道されている」と教えてくれた。
販売している食品が保健省の食品安全性の承認を得ておらず、タイ語のシールなどを貼っていないことや、関税逃れの疑いなどの違法行為で摘発されたようだ。さらに10月に入って、資金洗浄防止事務局(AMLO)が中国人投資家が保有するチャオプラヤ川沿いに建設中の高級住宅開発プロジェクトの土地・建物を差し押さえたとのニュースも報じられている。
一方、タイの国内自動車販売の減少が続く中で、相変わらず中国系電気自動車(EV)メーカーの生産拠点開設の動きが続いていることが、大きな懸念要因になりつつある。10月8日付バンコク・ポスト(ビジネス1面)はタイ工業連盟(FTI)の話として、中国EVメーカー各社は国家電気自動車政策委員会(NEVPC)に対し、EV生産・購入奨励策である「EV3.0」で義務付けられた国内生産台数要件の緩和を求める方針だと報じた。
FTI自動車部会の広報担当スラポン氏は、比亜迪(BYD)や長安汽車、長城汽車(GWM)など少なくとも8社の中国系EVメーカーが「EVの供給過剰を懸念し、政府との話し合いを待っている」と述べた。まさにタイ政府の過度のEV奨励策の歪みが顕在化し始めたといえる。これについて市場では、中国系EVメーカーの海外進出は中国政府が全面的にバックアップしており、タイが生産要件の緩和に応じなかった場合、中国側がドリアンなどタイ産果物の輸入を規制するなどの報復措置を講ずる可能性もあり、タイ側は最終的に応じざるを得ないだろうとの見方も浮上している。
中国人や中国企業の海外脱出は、若者の失業問題などの国内の閉塞感、EVや太陽光パネルなどに象徴される需給を無視した過剰生産も背景になっており、タイがその主な脱出先の1つになる状況は当面続きそうだ。
タイの日系不動産会社GDM(Thailand)の高尾博紀社長は、最近の工場用地の売買状況について、「当社の案件では買い主は7割近くが中国系、台湾系で、売り主は大半が日系だ」と明らかにする。中国系の進出では白物家電の工場開設も目立っているとし、「中国企業のタイ進出ラッシュはプラザ合意後の円高で日本企業のタイ進出ラッシュが始まったころと似ているかもしれない」との見方を示す。
一方で現在、日系の新規進出は少ないものの工場の拡張案件はあるとした上で、「日系企業は過去10年間ほとんど新規投資をしなかったこともあり、2027年ごろから、特にハイブリッド車(HEV)生産施設などへの投資が始まるのではないか」との見通しも示している。
現時点で10社近い中国EVメーカーがタイに工場を開設する動きとなる中で、日系のシェアを相当奪うとしても、タイ国内にそんな大きな新規需要はなく、輸出にどこまで期待できるのか。当然、自動車メーカーの淘汰は進むだろうが、そのうち中国企業は何社が生き残り、タイ社会に根ざしていけるのだろうか。
9月23日に配信した泰日工業大学のランサン学長インタビューでは、同大学の母体として1973年に泰日経済技術振興協会(TPA)が設立された背景に、当時、タイで日本製品の不買運動など反日運動があり、日タイの架け橋となる機関を作ろうという認識が高まったためだと説明してくれた。EV、電子機器、不動産投資、電子商取引など中国勢のタイへの進出ラッシュは、まだタイ国内での反中感情にはつながってはいないだろう。それはもともと中華系がタイ社会に同化していった歴史もあるからか。
ちょうど10月14日付バンコク・ポスト(ビジネス2面)は、タイ商工会議所(TCC)、タイ中国商工会議所、中国企業協会などのタイと中国の民間産業団体が、両国間の経済・貿易関係の強化を狙いに、「持続的なタイ中国ビジネス促進協調メカニズム」を創設したと報じた。タイに新たに進出する中国企業が長期的にタイに根ざしていく仕組みづくりが始まったのかもしれない。
THAIBIZ Chief News Editor
増田 篤
一橋大学卒業後、時事通信社に入社。証券部配、徳島支局を経て、英国金融雑誌に転職。時事通信社復職後、商況部、外国経済部、シカゴ特派員など務めるほか、編集長としてデジタル農業誌Agrioを創刊。2018年3月から2021年末まで泰国時事通信社社長兼編集長としてバンコク駐在。2022年5月にMediatorに加入。
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