カテゴリー: ビジネス・経済
連載: 経済ジャーナリスト・増田の眼
公開日 2024.05.20
2023年11月14日付の「豊かになる前に高齢社会入りの意味」というコラム記事で、「タイの総人口に占める65歳以上の人口比率は2002年に『高齢化社会』と定義される7%となり、(19年後の)2021年には『高齢社会』の14%まで上昇。同じ人口動態変化に日本は24年、米国は72年、そしてフランスは115年かかった。これらの国とは違い、タイは豊かになる前に高齢社会になった」と警告する英誌エコノミストの分析を紹介した。この記事は長期的には、タイが先進国入りを果たせるのかを考える一つの手がかりとなるが、短期的には社会保障や介護の制度整備が喫緊の課題であることも示している。
経済成長率では東南アジアの最低水準が定着しつつあるタイだが、それでも成熟から衰退期に入りつつある日本と比べればまだ成長余力は大きいように見える。しかし、それは財閥など既得権益層のみが富を増大し貧富の格差は一段と拡大、低所得階層の社会保障などセーフティーネットの整備がおざなりなままだ。今週配信した「KAIGO-DO」のインタビュー記事はそうした「高齢社会タイ」の一場面を描写してくれている。それは核家族化が進んだ日本と違い、政府に頼らず親類縁者が高齢者を支えていくタイ社会の古き良き慣習が残る一方、それがいつまで続くのかという懸念にもつながる。
「今は過渡期だ。地方出身でバンコクに働きに来ている30~40代の人たちの所得が増える中で、両親が高齢化してきたため子どもたちがお金を出し合って在宅介護用ベッドを購入する事例が出始めている。タイの高齢化率も日本の約20年前の14%ぐらいまで上昇し、介護用ベッドの需要自体は今後も増えていくだろう。ただ、介護保険がないので、高付加価値ゾーンの介護用ベッドを全額自費で買える層は爆発的には増えないだろう」―と語るのは、病院用・介護用ベッド大手のパラマウントベッドのタイ現地法人の石井健雄社長だ。同社は2010年に現法を設立してタイに進出。現在は日本人スタッフ2~3人含め、総勢約40人の体制で主に病院向けに医療用ベッドの販売営業を行ってきており、売上高構成比で9割が病院向けだという。しかし、介護施設や在宅での介護ニーズの増加を受けて、介護用ベッド販売も強化してきており、タイには介護保険がなく全額自己負担になってしまうこともあり、「回復期の患者向けのレンタルサービス」も始めているという。
石井氏は、タイでの介護関連市場の動向は新型コロナウイルス流行前と後で大きく変わったという。一つは在宅用介護ベッドの購買行動で、コロナ前はデパートなどのショールームに来店して実物を見てから購入していたが、コロナ後は2~3万バーツの低価格品を、実物を見ずにオンライン購入する人が増えたという。また、医療用ベッド市場は2010年頃までは米大手ヒルロム(HILLROM=現バクスター傘下)がリードしていたが、その後、パラマウントベッドなど日系企業が台頭し、集中治療室(ICU)向けベッドではヒルロムなど欧米勢と競合するまでになった。さらにコロナ禍以降は、一般病室向けでは中国や台湾、タイ地場の低価格品が急速に追い上げてきているという。
一方、石井氏は、介護施設を開設・運営サービス業者の動向では、タイでも10年ぐらい前から、介護事業への関心が高まり、コロナ前には日系プレーヤーのタイ進出準備の話が良く出ていたものの、コロナ禍で出鼻をくじかれ、いったん白紙に戻った案件も耳にしたという。しかし、2022年ごろから再始動の動きも出始め、介護用ベッドの調達の相談も受けるようになっている。
実は既に医療・介護施設運営でタイに進出している日本の医療法人がある。群馬県の医療法人「石井会」は2016年に東南アジア諸国連合(ASEAN)初の拠点として、Ishii and Partners(Thailand)を設立し、リハビリテーションなどのサービスを提供している。そして石井会は経済産業省の「令和3年度・タイにおける日本式介護の事業性確立コンソーシアム」の代表団体として、「タイにおける日本式介護運営の強み調査と事業モデル確立に向けた実証事業報告書」という詳細なリポートを作成、日本とタイの介護制度、介護施設を比較している。同報告書はまず、タイの高齢化の状況をアジア主要国との比較した上で、「タイの要介護高齢者は95万人で、寝たきりの高齢者は14万3000人に上る。タイでも核家族化が進み、一人暮らしの高齢者が増えており、総人口に占める独居高齢者(60歳以上)の割合は2014年時点で8.6%と、20年間で2倍以上になった」などと概観する。
そして介護制度については、「タイには公的な介護保険制度はなく、一般的に家族やコミュニティーが要介護老人を自宅内で介護する。・・・介護提供者は配偶者と息子、娘が8割以上を占める(タイ国家統計局)」といった、今回の取材で何度も聞いたタイの介護の現状が確認できる。さらに、「保健省が財政支援する村健康増進病院が派遣する健康ボランティアが、要介護高齢者の自宅を訪問するコミュニティー型の介護もある」とする一方、都市部などで社会環境が変わる中、「従来型の介護体制は行き詰まるとの見方も出ている」と警告している。
同報告書はこのほか、タイの介護サービス市場に参入している日系も含む事業者やその参入方法、大手病院などの現地主要プレーヤーを具体的に紹介。さらに日本の介護サービスの現状を説明した後、日タイ比較を報告。「タイでは、大きくは日帰りの『Day Care』、短期入所の『Rehabilitation Home』、長期入所の『Nursing Home』の3種類しか介護制度上は存在しない。日本は各種制度のもとサービスの分化が進んでいる」と指摘。また、「訪問サービスについては、富裕層向けの病院の看護師をダイレクトに自宅に雇うケースのほか、介護士の派遣サービス、訪問リハビリなどのサービスが徐々に出てきている」としている。
そして、施設サービスでは、「日本は目的に応じて施設が分かれているが、タイでは主に所得水準によって利用する施設が分かれる。タイの病院は日本よりも早期に退院となるケースが多いため、日本での回復期病床での役割をタイでは介護施設が担っている。即ち、タイにおける介護施設はカバー範囲が非常に広く、潜在的なマーケットも非常に大きいと考えられる」と説明している。ちなみに介護施設での設備・備品でも、車椅子やベッド関連では既に日系企業がタイに進出しているとした上で、日系製品の参入の可能性について、下記の図を用いて分析している。
「タイでは毎年、高齢者が増え続ける一方、高齢者をケアできる若者は毎年減ってきている。その結果、タイの多くの高齢者は民間の介護施設に財産を注ぎ込まざる得なくなっている。この『ホストファミリー』プログラムは優れた制度であり、始めるべきだ。
バンコク・ポスト紙は4月23日付(8面)の「高齢者は重荷ではない」と題するオピニオン記事などで、社会開発・人間安全保障省が5月に導入したホストファミリー・プログラムは先を見通した社会保障政策だと高く評価している。これは貧しい高齢の親戚や友人を面倒見る制度で、ケア登録した人に対しこの高齢者がなくなるまで月額3000バーツの補助金を支給する。18歳以上のタイ国民ならだれでも登録申請できるという。ただ、今年の支給対象人数は1107人で、年間予算額3980万バーツは少なすぎるとも批判している。
このプログラムの導入を推進したワラウット社会開発・人間安全保障相は、「このプログラムは子どもたちが両親の面倒を見る必要があるものの十分なお金がないような家庭の重荷を減らすことを支援するだろう」と強調。先のオピニオン記事は、「この制度は、従来の介護施設に投資する政策とは大きく異なる。コミュニティーベースの支援システムを整備していくものであり、ワラウット氏が大臣をやめた途端、廃止されてしまうよう一時的なものではなく、同省は恒久的制度にすべきだ」とも訴えている。新たに導入されたこのホストファミリー制度は、今週、インタビュー記事で紹介したKAIGO-DOの古屋友貴氏も強調する、介護施設に依存するのではなく、家族、コミュニティーで高齢者を支えていくというモデルでもあり、「親類縁者が高齢者を支援していくタイ社会の古き良き慣習」も生かした制度で、その効果、持続性が注目される。
THAIBIZ Chief News Editor
増田 篤
一橋大学卒業後、時事通信社に入社。証券部配、徳島支局を経て、英国金融雑誌に転職。時事通信社復職後、商況部、外国経済部、シカゴ特派員など務めるほか、編集長としてデジタル農業誌Agrioを創刊。2018年3月から2021年末まで泰国時事通信社社長兼編集長としてバンコク駐在。2022年5月にMediatorに加入。
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