連載: 経済ジャーナリスト・増田の眼
公開日 2024.12.09
2022年6月14日にTJRI(タイ日投資リサーチ)のニュースレターを発刊して以来、このコラムも当初のタイトルは「TJRI編集長・増田が斬る」で、ニュースレターが「THAIBIZ」に衣替えしてからは「経済ジャーナリスト・増田の眼」としてほぼ毎週執筆し、前回が通算120回だった。実は筆者のコラム、今回が最終回となる。過去約2年半を振り返ると、通信社時代の毎日の経済ニュースのカバーとは違い、週刊であるがゆえにタイの経済・社会を少しは深堀りできたのかなとも思う。もちろんタイ語ができない筆者にとっては、本当の意味でタイ社会の基底が分かったわけではない。今回は過去1年ほどの個人的に思い入れが深かった記事を振り返ることで、タイ経済の未来図を考えてみたい。
目次
タイでの電気自動車(EV)など自動車市場の最新動向は先週のコラム「EVシフトは再加速するのか 」でも紹介した。タイに初めて赴任して以来、6年近く毎年、自動車展示会を覗いてきたが、やはり過去2~3年ほどの中国メーカーの着実なプレゼンス拡大は強いインパクトを与えた。先週のコラムで引用した伊藤忠総研の深尾三四郎主任研究員の見方のように、昨年頃までの「EVなのか、内燃機関(ICE)車なのか」という駆動力を巡る議論だけでなく、「自動車のスマホ化」「ソフトウエア定義車(SDV)」などの言葉にも象徴される自動車産業そのものの構造変革が一段とクローズアップされつつある。そしてそこでも日本勢の存在感は薄い。
筆者も今年2月12日に配信した「トヨタの立ち位置とスウェーデンからの視点」のコラムで、当時スウェーデンの自動車部品メーカーに勤めていた吉澤智哉氏がユーチューブ番組で「(EVシフトは)環境だけのためにやっているわけではない。・・・自動車業界の100年に1度の大転換であるCASEでは、電気モーターが1回転した時にタイヤが何回転しているとかの制御もガソリンエンジンよりEVの方がやりやすい。CASEと電動化は相性が良いことが世界的なEVブームの背景だ」との説明が、「目から鱗」だった。
そして、CASEの1つである「自動運転(Autonomous)」については、5月13日付のリポート「自動運転最前線、欧米・日本企業はどう動く」で、中国の最前線の情勢を報告した。自動車産業の読者が多い「THAIBIZ」でも当然、興味を持たれるだろうと期待したが、予想外にアクセスは少なかった。タイの日系自動車産業ではまだ自動運転への関心が低いことを意味するのかは、今でも分からない。その意味でも米テスラのロボタクシー発表、中国のEVメーカーの自動運転技術の進展ぶりを聞くと、日本の自動車メーカーに対する不安は一段と募ってくる。
中国勢の怒涛のタイ進出ラッシュはEVなど自動車産業にとどまらない。それは太陽光パネル、プリント回路基板(PCB)、そして格安電子商取引(EC)サイトを通じた一般消費財の大量流入、さらには、「ノミニー」という名義借り手法を使ったツアー会社や小売店まで広がり、強い警戒感を引き起こしている。その様子は9月2日付コラム「タイで実感する中国勢の大量国外脱出」で、「中国の不動産バブル崩壊、経済悪化、過当競争に伴う、EV企業だけではない『中国人と中国企業の国外脱出』がいよいよ本格化している」と表現した。
さらに、中国国内の現状では、EVについては6月4日付コラム「中国のEV生産過剰の本質とは」で、「不動産市場同様の国の保護という構造問題」があるとの見方を紹介。さらに、中国勢の大量国外脱出の背景については、10月15日付コラム「中国人はタイ社会に根差していくのか」で、ある在タイの中国人若手ビジネスマンの「中国の高度成長期は頑張れば出世でき、金持ちになれるという希望があった。今は庶民がいくら頑張っても自分の階層を乗り越えられない。希望がなくなり『寝そべり』になるしかない」という中国の厳しい現状を表現したコメントを引用した。
タイが「東洋のデトロイト」の地位を維持できるかがタイ政府関係者にとって最優先課題の1つだろう。それゆえタイ政府は世界的EVシフトのムードの中で、自動車産業の雇用維持を優先し中国EVメーカーの工場誘致を強力に推進してきた。それがタイ国内の自動車供給過剰懸念につながっている。タイ政府は最近、EV一辺倒からハイブリッド車の支援方針を打ち出し、バランスを取り始めている。そして、タイの強みであるバイオ燃料を、今後どう位置づけていくのかも興味深い。
先日、タイ国トヨタ自動車(TMT)の元会長(現名誉執行顧問)のニンナート氏にお話を伺う機会があった。1971年の入社以来、53年に及ぶトヨタ自動車でのキャリアの中で、最も記憶に残っているプロジェクトとして、東南アジアの戦略車「ソルーナ(SOLUNA)」の開発を主導したことと、プミポン前国王のイニシアチブで取り組んだバイオディーゼルの研究を挙げた。筆者もこのニュースレター創刊以来、何度もタイでのバイオ燃料の取り組みを紹介してきた。今年も2月27日付コラム「バイオエネルギーの未来とタイ」では、国連農業食糧機関(FAO)の年1回の国際会議「GBEP Bioenergy Week」が昨年10月にバンコクで開催されたことを紹介。世界的なEVシフト論の一方で、持続可能な航空燃料(SAF)への関心の高まりなど生物資源の豊富なタイでのバイオ燃料の可能性の高さを再認識できた。
タイが東洋のデトロイトの座を維持する一つのカギは製造業人材の確保だ。東南アジアでタイが製造業の中心拠点となっていることは間違いない。ただ、今後も「モノづくり」人材を育てていけるのかが大きな課題だ。そうした懸念に応えたのが、キングモンクット工科大学ラカバン校(KMITL)内に開校した海外初の本格的な高等専門学校「KOSEN-KMITL」であり、これを紹介した9月23日付コラム「タイで『モノづくり』は本当に根付くのか」は今でも記事アクセスランキングの上位にいる。
この記事では「タイ人は必ずしもモノづくりが得意ではなく、経営やマーケティングを好むとの話もよく聞かれる」とした上で、タイ人学生の間での日系企業就職人気の低下傾向が「単に給与面や人事面での日系企業の『採用負け』だけではなく、タイ人学生の間で製造業があまり好まれないこともあるのか。タイが今後も製造業のハブの座を維持できるのか、台頭するベトナムに対抗できるのかが大きな関心事だ」と書いた。
さらに、EVの生産ハブ化を目指すタイでも半導体産業がより重要となる中で、同産業に必要なより高度な製造業人材を育成していくことが大きな課題となりつつある。そうした意味では、「東洋のシリコンバレー」と呼ばれるようになったペナンなどマレーシアの半導体産業がいかに人材育成に力を入れているかも紹介した連載企画「東南アジアの半導体産業の未来」での現地取材は個人的に最もエキサイティングだった。
中国製EVの急速な普及の中で、EVのバッテリーの劣化・廃棄問題からタイでもようやく自動車のリサイクル問題への関心も高まってきた。産業廃棄物処理事業を手掛けるサンアップのタイ法人の杉山淳・最高経営責任者(CEO)の取材に基づく4月4日付のコラム「タイの産廃リサイクルの現状と課題」は、地味な分野にもかかわらず、当時のTHAIBIZの記事ランキングで上位が続いた。2024年もごみ問題、そして脱炭素などの環境問題が大きなテーマとなった。また、2018年頃からタイを含め世界で関心が高まった海洋ブラスチックごみ問題では11月11日に「海洋プラごみはバンコクの運河から」というコラム記事を配信した。ちょうど11月末に韓国・釜山での国際会議が日本でも大きなニュースとなったことから、アクセスも徐々に増えた。
このほか2024年もタイ国内では「大麻」と「ランドブリッジ」への関心も続いたが、今年、世界的に大きな注目を集めたのが生成AI(人工知能)だ。たまたま知り合った東南アジアで活躍するAIの専門家、Nexus Frontier Techの水野貴明・最高技術責任者(CTO)にインタビューできたのは、この分野の素人の筆者にとって非常にラッキーであり、タイムリーだった。タイでも着実にプリント回路基板(PCB)など半導体産業、データセンターの誘致が進む中、AIを含めたIT、ソフト産業の振興が急務になっているのは今週のWEEKLY NEWS PICKUPでも紹介した。そして、日本のベンチャー企業のエコシステム作りを担ってきた「Leave a Nest(リバネス)」を創業した丸幸弘代表取締役の取材も刺激的だった。
一方で、個人的には農業という社会の基底を支える産業に引き続き関心を持っている。タイのオーガニック農業の先駆者の1人である「ハーモニーライフ」の大賀昌社長のインタビュー(11月18日、25日)は、タイ農業の新たな可能性を示唆してくれた。さらに、タイの農業と農村社会のファンダメンタルズを解説してくれた京都大学・東南アジア諸国連合(ASEAN)拠点長の縄田栄治特任教授の講演を紹介した11月18日付のコラム「タイ農業はなぜ生産性が低いのか」が現時点で、ランキングの8位まで浮上、製造業中心の在タイ日系企業の間でも農業への関心が高いことに少し驚いている。
タイで初めて取材することになった約6年前から、タイは「中所得国の罠」から脱却できるのかがずっとテーマだった。バンコク中心部の繁華街をみれば、そこは既に東京に匹敵するほど先端的で、その活気は東京を上回っている。しかし、繁華街のすぐそばには昔ながらの屋台街があり、運河沿いには低所得者層の住居が並び、昔の東南アジアのイメージそのものの光景が広がる。イサーン旅行をすればそこはまさに、牛の群れが道路を歩くタイの牧歌的な風景のままで、バンコクの高級デパートに多数の「スーパーカー」がこれみよがしに駐車している光景と対照的だ。そこでは、拡大し続ける「貧富の格差」を是正すべきだという議論も虚しく感じる。
昨年11月14日に配信したコラムのタイトル「豊かになる前に高齢社会入りの意味」がタイの未来を最も示唆する表現ではないかと思っている。そして今年7月15日付のコラム「『高齢社会タイ』の現実と未来」では、タイの年金制度について、「Universal Pensionの対象である約1100万人には月額平均でたった629バーツ(約2800円)しか支給されていない」という驚くべき現実を報告した。筆者が知るタイ人農家の父親の年金も月額約600バーツしかないという。それでもタイの農村は気候に恵まれ農産物は豊かで、少なくとも飢え死にすることはないから、「マイペンライ」なのかもしれない。日本人にはなかなか理解しがたい。
そうした中、高齢社会で一番求められる医療・介護分野で、ある日系ベンチャー企業がビジネスを本格展開しつつある。5月20日に配信した「タイの介護ビジネスに挑む日系ベンチャー企業 」で紹介した「KAIGO-DO(介護道)」だ。タイは「急性期(病気になって間もない時期、集中的な医療介入が必要な時期)」の病院はあるが、回復期は少ないので、チャンスがあると考え、タイでスタートした」と語る古屋友貴COOは、クールな若手ビジネスマンだ。タイではもちろん自動車など製造業分野、IT分野でもまだまだ日系企業のノウハウを活かせる部分はあるだろうが、一気に高齢化しつつあるタイでは、「中所得国の罠」を脱却できるかどうかという抽象的な議論ではなく、KAIGO-DOのような眼の前の課題に取り組む担い手が求められているのではないか。
タイ経済のキーワードは「中所得国の罠」と「足るを知る経済」だろう。筆者は、もはやタイは「中所得国の罠」を意識する必要はないのではと思う。一方で「足るを知る経済」という言葉の真意がどこにがあるのかは未だによく分からない。しかし、トヨタのニンナート元会長が語った「ラマ9世(プミポン前国王)に教わった『足るを知る経済の原則』にこだわりたい」という言葉が印象的だった。
増田 篤 氏
一橋大学卒業後、時事通信社に入社。証券部配、徳島支局を経て、英国金融雑誌に転職。時事通信社復職後、商況部、外国経済部、シカゴ特派員など務めるほか、編集長としてデジタル農業誌Agrioを創刊。2018年3月から2021年末まで泰国時事通信社社長兼編集長としてバンコク駐在。2022年5月〜2024年末までMediatorにてTHAIBIZ編集長を務めた。
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