
カテゴリー: ビジネス・経済
連載: THAIBIZ NOW
公開日 2026.08.10
近年、タイ政府の産業誘致の主役は電気自動車(EV)だったが、その熱狂はひとつの山を越えたようにも見える。現在、政府とタイ投資委員会(BOI)が積極的に誘致しているのが、「デジタル・人工知能(AI)」「半導体」である。
なかでもデータセンターは、投資実績の大きさで存在感を放つ。欧米や中国、中東の事業者が相次いでタイへの投資を発表し、その勢いが牽引する形で2025年のBOI投資申請額(全体)は過去最高を記録。さらに2026年第1四半期には投資申請額が1兆1,696億バーツを超え、データセンター関連が大半を占めた。象徴的なのが、TikTok System(Thailand)による約8,400億バーツの大規模データセンター投資案件だ。
こうした数字だけを見るとタイはまさに「ASEANのデジタルハブ」に向かっているように見える。しかし、華やかな投資額の裏で、タイの知識層からは「データセンターは本当にタイ経済の新しい成長エンジンになるのか」という疑念が強まっている。

目次
まず誤解してはいけないのは、これはデータセンターそのものが不要だという議論ではない。クラウドコンピューティングやAI、公的・民間サービスや企業のデジタルトランスフォーメーション(DX)にデータセンターは当然ながら不可欠である。問題は「タイ国内にそれほど大量に必要なのか」である。国家安全保障に関わる情報や重要な行政データは国内保管の合理性があるが、すべての商業サービスや海外向けのデータ処理機能までタイ国内に置く必要があるのだろうか。
その必要性を認めたうえでもなお懸念されるのは、ソフトウェアやAIモデルなどの高付加価値な部分は海外企業に握られたまま、タイが単なる「外国企業のサーバー置き場」になってしまう可能性である。データセンターは建設時には一定の雇用を生むが、稼働後の雇用はそれほど多くない。あるタイの専門家は、2兆バーツ規模の案件であっても、稼働後に必要な人員は数十人程度にとどまる可能性があると指摘する。タイ人の技能向上や中小企業の成長は、別途設計しなければ実現しない。
データセンターが抱える最大の課題は、資源消費である。タイ全体で電力が不足しているわけではないが、データセンターが特定地域に集中すると送電・変電設備が追いつかないため、BOI承認案件の中にも実際の稼働に進めないものが少なくないとされる。将来的には、電力インフラ増強のコストを企業が負担するのか、政府が負担するのか、それとも電気料金に転嫁されるのか、という問題も出てくる。ここが曖昧なままでは社会的な反発を招きかねない。
水も同様である。サーバーは熱を発するため冷却設備も必要になるが、空冷であれば周辺地域の熱負荷が高まり、水冷であれば多くの水を使う。産業集積地における冷却用の水の大量消費によって、乾季やエルニーニョ時に水不足が高まる可能性がある。データセンターを単なる「クリーンなデジタル産業」と捉えていては、その物理的な負荷を見落としてしまう。
興味深いのは、タイがデータセンター誘致を加速させているのとは対照的に、欧米では見直しの動きが出ていることだ。電気料金の上昇、水資源への影響、環境負荷などを理由に、建設の一時停止や規制強化、ゾーニングをめぐる議論が起きている。世界が受け入れ条件を再検討しているなかで、タイが投資額の大きさだけで誘致を進めれば、将来的なコストを見誤る恐れがある。
データセンター誘致を正当化する理由として「Data Sovereignty(データ主権)」がよく挙げられるが、物理的なサーバーが国内にあっても、運営主体やソフトウェアが外国企業であれば、タイに真の主権があるとは言いがたい。むしろ重要なのは、自国でデータを構造化し、活用するためのルール作り(データガバナンス)である。どのデータを誰が所有・処理し、どの範囲がAI学習に使えるのか。タイ国内に眠るデータを整理し、自らが活用できる形にすることこそ、AI時代の本当の競争力になる。
こうした懸念を受け、エクニティ副首相兼財務相はBOIに対し、データセンター戦略の全面的な見直しを指示したと報じられている。そのひとつが、データセンター事業者が再生可能エネルギー発電事業者からクリーン電力を直接購入できる「Direct PPA」の導入だ。通常の電力網から大量の電気を奪う形にならないようにする構想である。
ただし、ここにも矛盾がある。本来クリーンエネルギーを必要としている既存の製造業よりも、データセンター向けに先行して制度が開かれつつあり、実体経済を支える製造業全体にはまだ十分に広がっていない。
一方でBOIはデータセンター事業者に対し、電力と水の使用効率を国際水準に合わせること、電力供給の準備証明を求めることなどを進めている。これは一歩前進である。本当に必要なのは、投資額だけで評価するのではなく、雇用、技術移転、インフラ負担、環境負荷などを総合的に評価する仕組みだろう(図表1)。

そうした経緯がありながらも、タイ経済は外国直接投資(FDI)への依存から抜け出せない。外資を呼び込みBOIの投資申請額を積み上げることは、政府の重要課題であり続ける。かつて圧倒的な存在感があった日本に代わり、近年は中国やシンガポール経由の投資が目立ち、データセンターやEVの分野でも中国資本が引き続き大きな存在感を示すだろう。
アヌティン首相が訪中し、成都に新たなBOI事務所を開設したことも、その流れを象徴する。タイは中国資本を拒めず、拒むべきでもない。重要なのは、受け入れの条件である。タイ社会に何が残るのか、資源コストを誰が負担するのかを問う必要がある。
ここで日本企業にも考えてほしいことがある。データセンター誘致をめぐる議論は、一見すると日本企業と直接関係がないように見えるかもしれない。しかし実際にはタイの産業・電力・デジタル政策、対中関係のすべてが絡み合っており、今後タイで事業を続ける日本企業にとって無関係なことではない。
注目すべき視点は三つある。第一に、タイのクリーンエネルギー政策は今後の日本の製造業の競争力に直結する。第二に、タイ政府の評価基準が「投資額」から「付加価値」へと変われば、日本企業の強みが再評価される可能性がある。第三に、日本企業自身も、タイをデータ、AI、人材育成を含む複合的な戦略拠点として見直す必要がある。5年後、10年後の東南アジアでは、どこでデータを管理し、どのようにAIを使い、どの国の制度を活用して事業を展開するかが重要になる。
タイが本当にデジタル・AIのハブになるなら、日本企業はその中でどのような役割を果たせるのか。クリーンエネルギーやデータガバナンス、製造業DX、半導体周辺産業などの分野で、日本企業の強みを発揮できる余地はまだ多い。次の時代のタイとどう向き合うかを、今から考え始めてほしい。
参考:
プラチャタイ(2026年5月6日)
クルンテープ・トゥラキット(2026年5月11日)
タイ王国陸軍テレビ局TV5HD(2026年6月15日)
SPACEBAR(2026年6月17日)
ターンセタキ(2026年6月19日)
トーク・ロングトゥンマン(2026年7月7日)
TNN(2026年7月10日)
プラチャチャットトゥラキット(2026年7月15日)
ザ・スタンダード(2026年7月15日)
TNN(2026年7月18日)
MGRオンライン(2026年7月18日)
MGRオンライン(2026年7月19日)

Mediator Co., Ltd.
Chief Executive Officer
ガンタトーン・ワンナワス
在日経験通算10年。2004年埼玉大学工学部卒業後、在京タイ王国大使館工業部へ入館。タイ国の王室関係者や省庁関係者のアテンドや通訳を行い、タイ帰国後の2009年にメディエーターを設立。日本政府機関や日系企業のプロジェクトをコーディネート。日本人駐在員やタイ人従業員に向けて異文化をテーマとした講演・セミナーを実施(講演実績、延べ12,000人以上)。


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