タイの政治混迷と日本の役割 ~ピター氏のクールな視点と新たな日タイ関係~

タイの政治混迷と日本の役割 ~ピター氏のクールな視点と新たな日タイ関係~

公開日 2024.08.26

タイ憲法裁判所は8月7日に下院最大勢力の野党・前進党の解党を命じたのに続いて、同月14日には、セター首相を失職とする判決を言い渡し、タイ政治の不可解さを世界にアピールした。タイ憲法裁によるこれらの判決の国内法的根拠に関する知識は筆者にはなく、その妥当性には何のコメントできない。ただ、筆者が小学生の頃に学んだ「三権分立」という民主主義の基本理念はタイにはないのだろうという理解はできる。もちろん欧米の民主主義の価値も揺らぎつつあり、米国でも三権分立は怪しいが、ただタイに比べれば透明性はある。

今回の前進党の解党はある程度予想されており、その先行事例である2019年の総選挙で第3党に躍進した新未来党がすぐに解党処分になり、タナトーン党首が議員資格をはく奪されたことと比べれば衝撃は少なかっただろう。実際、新未来党の解党処分の時にはバンコクでの抗議行動が過激化したことと比べれば今回のイベントへの市民社会の表面的なリアクションは少ない。それは王党派や既得権益層の判断をタイの一般社会が容認、あるいは「諦観」したことを意味するのではなく、岩盤のようなタイの政治社会構造を真に変革するのは容易ではなく、粘り強く戦っていくしかないと、市民が改めて深く認識したからだと思いたい。

ピター氏の冷静な見方

「タイでは、軍部の介入リスクは常に存在するが、既得権益層の利益を守る有効な方法は変わりつつある。今や司法手続きが、現状打破を求める人々の口封じの武器となっている。“司法クーデター” “武器を用いず法律を悪用した戦争”とも呼ばれるこの戦術は、過去20年間、タイ政治の特徴となった。これまでに4つの人気政党、多数の政治家がタイの政治への正式参画を禁じられた。さらに18歳未満の20人を含む272人以上が不敬罪に問われた」

今回解党された前進党のピター前党首は解党決定直前の8月3日発行の英エコノミスト誌に寄稿し、司法の政治介入についてこう説明した。同記事は「2023年の総選挙で私が前進党を勝利に導いた時は、タイは陶酔状態だった」と話を始め、下院第1党が結局、政権を取れず、タイ貢献党首班の連立政権になった経緯を紹介するとともに、20世紀には20回の軍事クーデターがあったことなどタイの現代政治史を振り返っている。その上で、「旧式の軍事クーデターは。もはや唯一の手段ではなく、時代遅れだ」と明言した上で、軍部の一部は改革の必要性を認識しており、軍部に対する文民統制が必要だとの考えも浮上しているとの期待も示した。

さらにピター氏は司法による政治介入の前例でもある2020年の憲法裁による新未来党の解党命令に言及した上で、8月7日に前進党に解党命令が出た場合、「タイの民主主義の重要な分岐点」になると強調。そして、有罪判決はタイを混乱に陥らせる可能性があり、数百万人の選挙権を奪い、支配階層に対する不信感を強めさせるだけでなく、「経済的には投資家の信頼感を損ね、タイが『中所得国の罠』を抜け出す能力に疑問符がつくだろう」と訴えた。

有権者は既得権益層の意図を見抜いている

アユタヤ銀行の調査会社クルンシィ・リサーチは8月21日に恒例の経済月報(Monthly Economic Bulletin)を公表したが、これまでのところ政治移行はスムーズで、新内閣の早期の発足と経済政策の継続性があれば経済の方向性の見直しはないと指摘。「セター前首相の失職の2日後に、タイ貢献党のペートンタン党首が後任首相に選出されるという迅速な移行となり、連立政権が維持された。そして新内閣は9月初めにも発足し、予算執行は加速され、経済政策は継続されるだろう」とした上で、2024年の国内総生産(GDP)伸び率予想を従来と同じ2.4%に据え置いた。

一方、英エコノミスト誌は憲法裁による前進党の解党命令後に発行された8月10日号のLeadersの1本として「野党の禁止はタイの不人気な体制を救うことはない」という記事を掲載している。同記事はタイの王制と不敬罪、実質軍事政権などのタイの政治体制を改めて説明、ピター氏の寄稿記事の「司法手続きが現状打破を求める人々の口封じの武器となっている」とのコメントを引用した上で、世界の大半の権威主義体制は対外的には専制主義的ではなく何らかの形でルールベースの衣をまとっているものの、司法を武器にする戦術が好まれるようになっていると指摘した。

しかし、タイ政府の市民を抑圧する最新の試みは機能するかは全く分らないとし、タイは「洗練された中産階級が多く変革を声高に求める有権者がいる上位中所得国」であり、「有権者は体制派が王制の裏に隠そうとしている正体を見抜いている」と指摘。王室自体についても、「前国王は愛されていたが、後継のワチラロンコン国王はそうではない」と断言。そして「タイ国民は政府が真に国民を代表するように圧力をかけ続けるべきだ。野党には新しいリーダーがたくさんいる。以前と同様に新しい名前で再びグループを作るだろう。幸運を祈る」と、前進党の後継政党にエールを送っている。

元タイ外相の問題提起

こうしたタイ政治の混迷、先行き見通し難の中で日本と日本企業はどう対応して行けば良いのか。筆者が約6年前にタイに赴任し、初めてタイ政治と経済を知る中で、タイの近現代史が民主化運動と軍事クーデターの繰り返しだったことを知り、さらに今でもその構図が続いていることに驚いた。しかし当時、日系企業関係者から「軍事クーデターなどの政治混乱があっても、タイ政府の経済政策や日本企業の事業活動には大きな影響はなかった」という話をよく聞いた。今回のイベントも日本企業の事業活動には影響はないのだろうか。

8月15日付バンコク・ポスト(9面)は、「日タイ関係の新たな現実」という興味深いオピニオン記事を掲載している。同記事はタイのカシット元外相が寄稿したもので、世界史の中でも先進国と途上国との友好関係で最も成功したのはタイ日関係だと話を始める。そして日本からの技術支援、ソフトローン、資金供与、スカラーシップ、外国直接投資、知識移転などはすべて「タイの社会経済発展に不可欠のものだった」と評価。その結果、「タイは輸出主導経済で成功し、日本、韓国、台湾、シンガポールなどの“アジアの虎”に加わった」との認識を示した。

そして、「冷戦時代にはタイと日本は同様の世界観を共有していた」「両国の王室は個人レベルと公式レベルで相互の親密さと温かさを演出し、友好関係を強固にした」などと日タイ関係を振り返り、「タイの産業発展の初期段階では、輸入代替産業への投資を通じて日本は不可欠だった・・・そしてタイが輸入代替産業から輸出主導産業に意向する中で、日本が投資の主役になった」と改めて日本の貢献を強調。しかし、その後、中国の急成長と世界の構造変化がタイにも影響を与え始めるようなり、ベトナムなどの競合国の台頭などから、タイと日本の経済関係も再考が必要になっているとの認識を示す。

タイの自動車産業は「宙ぶらりん」

カシット氏は同記事で、特に自動車産業はタイの産業化とタイ日の経済協力のカギを握っていたが、日本はまだ電気自動車(EV)への注力が不十分な一方で、中国はEVの重要性、製造業の重要性の両方を十分認識することで大きく前進し続けていると強調。タイと日本は、グリーン産業やバイオ技術、IT産業などでの協力の可能性についての議論が不十分な中で、「タイの自動車産業は宙ぶらりんの状態になっているようだ」との見方を示している。また、日本人の間で、タイ人が日本に注意を払わなくなり、中国との関係により関心を高めているとの認識が広がっているとも指摘している。

一方で、南シナ海での中国の台頭などの太平洋での地政学的な緊張の高まりを背景に、「タイはかつてのように日本のレーダーには映らなくなり、もはや最優先国ではない」との危機感も示す。その上でカシット氏は、「タイ側も両国がだんだん離れつつあることを認識すべきだ。しかし、すべてが失われたわけではない。知性と友好関係を伴った両国の歴史と親密さ、その成功を通じて、両国は協力の新たな分野を見つけることができる。友好と親善関係は責務として維持すべきだ」と結論付けている。タイの元外相のこうしたタイと日本の蜜月関係の揺らぎを憂い、新たな関係を見出すべきだとの熱い思いを日本側はどう受け止めるべきだろうか。

THAIBIZ Chief News Editor

増田 篤

一橋大学卒業後、時事通信社に入社。証券部配、徳島支局を経て、英国金融雑誌に転職。時事通信社復職後、商況部、外国経済部、シカゴ特派員など務めるほか、編集長としてデジタル農業誌Agrioを創刊。2018年3月から2021年末まで泰国時事通信社社長兼編集長としてバンコク駐在。2022年5月にMediatorに加入。

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