カテゴリー: バイオ・BCG・農業
連載: 経済ジャーナリスト・増田の眼
公開日 2024.09.09
このコラムでこれまで何度かテーマとして農業を取り上げる中で、タイが中所得国の罠を脱することはできなくてもタイの強みは豊かな農産物であり、特に新型コロナウイルス流行期には農村がタイ社会・経済の基底を支えたことを改めて認識させられた。農業の産業化に伴い、サトウキビ、天然ゴム、アブラヤシ、キャッサバといった商業作物がタイの地方経済を押し上げてきたが、それでもやはり、タイの農業を象徴するのは日本と同様、コメ、稲作だろう。ただ、日本ではコメは外国産の輸入から守るべき聖域であり、輸出は長年、タブーだった。一方で、タイのコメは主要輸出産品だ。
2011年8月に発足したインラック政権が農村支援対策として打ち出したコメの担保融資制度の失敗で積み上がったコメ在庫が、今年7月下旬になって入札売却によって処分されたとのニュースが伝えられた。10年以上前に在庫米となったコメがなぜ今、売却できたのか、逆になぜ今まで売却しなかったのか謎は多い。そして用途は何向けだったのだろうか。日本もそうだが、タイでもコメの闇、政治要因は大きいのかもしれない。
7月31日付バンコク・ポスト(ビジネス3面)によるとタイ商業省は、今年上半期のタイのコメ輸出は、主要輸入国の需要増とバーツ安で、前年同期比25.1%増の508万トン、金額では55.5%増の1178億バーツになったことを明らかにした。一方で、8月1日付同紙によると、タイ・コメ輸出業者協会は、2025年のコメ輸出量は当初予想の820万トンを下回り、800万トン割れになるとの予想を明らかにした。コメの品種改良に対する研究・開発(R&D)の欠如、世界的な供給増、インドのコメ輸出規制の解除の可能性が要因だとしている。
アジアの主食であるコメは単に需給要因だけを見てれば良いわけではなく、各国の政治、政策とも密接に絡み、価格変動も複雑だ。現在、日本で騒がれているコメ不足でも明らかに政策要因が大きい。タイでは今年5~7月ごろに、10年前のコメ政策の失敗の話に再び注目を集めた。7月20日付バンコク・ポスト(3面)などによると、インラック政権のコメ担保融資制度の失敗で大量に余り、東北部スリン県の倉庫に10年間保管されていたインディカ米1万5000トンが入札方式で売却されたという。この売却の話は今年5月初旬頃から急浮上し、その品質、安全性が問題視されたものの、価格の妥当性、購入どうあれ、最終的に買い手がいたということだ。
タイでは新米より古米が好まれるとされるが、日本人からすれば10年古米が売れるということに驚く。そしてこの落札されたコメが最終的にどのような用途に使われるのかなどの続報をまだ見つけられていない。ちょうどインラック元首相も兄のタクシン氏に続き、逃亡先から帰国するのではとの噂が流れていた時期だけにさまざまな思惑を誘った。そもそも、10年後でも品質に問題なく需要もあったということなら、なぜ、タイ政府の過去の政策の失敗のツケであり、不良債権だったこの在庫米を10年間も売却せずにいたのだろうか。
今週配信したクルンシィ・リサーチによるタイの農業機械産業の見通しは、タイ農業の現場をほとんど取材できていない筆者にとって興味深い点が幾つかあった。例えば農業機械の所有者に関する調査で、農薬散布機や草刈り機など小型機械は農家自身が所有しているものの、トラクターやハーベスターなど大型機械は農業サービス会社や請負業者が所有している点だ。これらの業者が、大型農機を持っていない農家を順に回って耕運や収穫作業を請け負っているというタイ農村の実態を垣間見ることができる。ほぼすべての農家が農協の融資を受けるなどでトラクターやコンバインなどを自ら購入、所有し、自ら作業をしている日本と明らかに異なる。
そしてタイの農業に関してずっと気になっていたのがタイの農業協同組合の実態だ。日本では全国津々浦々にあり、農業経済の根幹を担い、強力な政治パワーを持つJAグループがある。英語メディアしかカバーできていないが、タイでは農業協同組合に関するニュースをほとんど目にすることはない。しかし、先日、農協を含むタイの専門協同組合の連合組織であるCooperative League of Thailand(CLT)の話を聞くチャンスがあった。
タイでも1916年に初の農業協同組合ができた後、1928年に協同組合法が施行され、1968年に専門協同組合の連合組織としてCLTが発足した。これまでに農業協同組合以外にも、漁業組合、貯蓄信用組合、消費者組合など7つの専門協同組合が制度化されている。そして2022年12月時点で、全国の組合数は6268、組合員数は1132万1747人で、このうち農業協同組合は3039、636万0092人と最大グループだ。ちなみに日本のJAの組合数は現在、統合が進んだこともあり、535組合で、組合員数(准組合員含む)は1036万人だ。タイの組合数が日本より圧倒的に多いのは統合が進んでおらず、一つ一つの組合の力は弱いことを示しているのかもしれない。
9月5日付バンコク・ポスト(ビジネス3面)によると、今年第2四半期の協同組合(Co-op)による融資額は前年同期比32.4%増の579億バーツに達した。銀行融資がより厳しくなる中で事業者の追加資金調達ニーズが高まったためという。いわゆる家計債務問題で商業銀行が融資を厳格化していることの1つの反映で、この記事では、ただ「協同組合」としか書いていないが、先のCLTのデータでは組合員数で全協同組合の約56%を農業協同組合が占めており、その他の信用貯蓄組合などを含めても農業関連の信用事業の実態が垣間見れる。このように農業協同組合には信用事業や一部経済活動もあるようだが、農協を含むCLTの主な役割は協同組合の普及・啓蒙活動や教育・訓練・技術指導が中心のようだ。少なくとも日本のように農協グループが政府に強く要望して狙いとする農業政策を実現させたとのニュースはあまり見たことがない。こうした農協の存在感の薄さが、タイの農民の弱さ、農村の貧困の1つの原因になっているかはまだ分らない。
コメや野菜といった人間の食料に不可欠な伝統農業はタイの農村社会の基底となってきたが、農業生産性の低さ、収益性の低さなど大きな課題を抱えたままだ。そうした中で、さまざまな先端技術を導入したいわゆる「スマート農業」に取り組むスタートアップ企業がタイなど東南アジアでも着実に増えている。このニュースレターでも過去2年ほど、さまざまなピッチイベントに登壇した農業系スタートアップ企業を紹介してきた。例えば昨年5月17日にJAグループとタイのカシコン銀行が開催した「AgriTech Bridge 2023」は、食品、農業分野の日本のスタートアップ企業をタイに紹介するユニークなイベントだった。
ここに登場した衛星データと人工知能(AI)を活用した機械学習技術を活用して農業と環境の課題解決に取り組むSagri(サグリ)は日本貿易振興機構(ジェトロ)と宇宙航空研究開発機構(JAXA)が昨年8月と今年8月にカンボジア・プノンペンで開催した「カンボジア-日本“共創”ネットワーキング・シンポジウム」にも2年連続で登壇している。純粋な食と農業分野だけでなく、脱炭素、環境などの周辺分野を含めると実に多くの日系スタートアップ企業がタイなど東南アジア進出を目指している。精度の高い衛星データに容易にアクセスできるようになり、農林水産分野での活用チャンスが広がりつつあることが背景だ。そして極めて高コスト構造の日本の農業分野ではなかなか活かしきれない一方、農業技術は遅れているものの、農業の成長性が高く、効率化の余地が大きい途上国での方が活用チャンスが大きいことに気付いた日系スタートアップ企業も増えつつある。今後も東南アジアの農業関連分野にチャレンジするスタートアップ企業を見守っていきたいと思う。
THAIBIZ Chief News Editor
増田 篤
一橋大学卒業後、時事通信社に入社。証券部配、徳島支局を経て、英国金融雑誌に転職。時事通信社復職後、商況部、外国経済部、シカゴ特派員など務めるほか、編集長としてデジタル農業誌Agrioを創刊。2018年3月から2021年末まで泰国時事通信社社長兼編集長としてバンコク駐在。2022年5月にMediatorに加入。
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