
公開日 2026.08.10
「東洋のデトロイト」と呼ばれて60年以上、タイは自動車生産大国として成長してきた。しかし、電気自動車(EV)シフトが加速するいま、足元には警戒信号が灯る。2026年5月、タイ電気自動車協会(EVAT)やタイ自動車部品製造業協会(TAPMA)など自動車関連団体は、政府に緊急要望書を提出した。そこには、タイの自動車・自動車部品産業に迫る危機、「2027年の壁」への懸念が示されている。タイの基幹産業に、いま何が起きているのか。
本稿では、TAPMA会長ソムポン・タナダムロンサック氏へのインタビューと、クルンシィ・リサーチのリポート「2026〜2028年のビジネス・業界動向:自動車部品産業」をもとに、危機の真相と生き残りの道筋を、日タイ協力の視点から考えていく。

タイ自動車部品製造業協会(TAPMA)
会長 ソムポン・タナダムロンサック 氏
Mr. Sompol Tanadumrongsak
1991年に自動車用プラスチック部品メーカー、Fortune Parts Industry POL(FPI)を設立。一大グローバル企業へ育てる。TAPMA会長として政府機関と連携しながら業界を牽引。
タイの自動車産業は1960年代から日系企業の進出が進み、日タイの密接な関係を育みながら、「東洋のデトロイト」として発展してきた。しかし、タイ政府が2021年に打ち出した「東南アジアのEVハブ化」方針が、大きな転機となる。以降、バッテリー式EV(BEV)の新規登録台数は急増し、内燃機関(ICE)車に頼ってきた既存の部品メーカーは大きな地殻変動に見舞われている。
自動車部品産業の構造を見ると、外資・日系企業を中心としたTier1サプライヤーは約530社。これに対し、Tier2・3サプライヤーは約1,870社にのぼり、その約70%を、従来のICE車に依存するタイの中小企業が占めている※。
TAPMA会長のソムポン・タナダムロンサック氏は、「タイの自動車生産台数は2012年にピークの約250万台を記録したが、現在はそこから約40%も減少し、わずか150万台にまで落ち込んでいる」と指摘する。この落ち込みがTier2、Tier3のタイ部品メーカーを直撃し、受注の減少による減産を余儀なくされ、深刻な経営難を招いているという。同氏はさらに、「資金や技術の面で大半の企業はEVシフトへの対応ができず、将来的にEVサプライチェーンから脱落するリスクがある」と語る。
出典:※TAPMA提供資料
クルンシィ・リサーチのリポート「2026〜2028年のビジネス・業界動向:自動車部品産業」によれば、自動車部品産業の生産指数(MPI)は2025年に0.8%の伸びを見せた。2026〜2028年には、MPIは年率1.5〜2.5%、輸出は同1.0%〜2.0%というゆるやかなペースでの成長が見込まれると報告されている。この成長の背景にあるのは、BEVの現地生産義務化や、物品税優遇措置によるハイブリッド車(HEV)、マイルドハイブリッド車(MHEV)生産促進に伴うEV関連部品の増産だ。
このように、生産面、収益面ともに回復軌道にあるものの、構造的にはわずかなひずみも見える。2025年の生産指数は増えた一方、国内販売と輸出を合わせた出荷額は0.9%減少となり、プラスには転じなかった(図表1)。これは競争力を保つため、部品メーカーがコストや価格を切りつめている結果と考えられる。生産量の拡大が、そのまま収益の拡大には追いついていないという課題が浮かび上がる。

続いて、自動車部品産業の市場構造を見てみる。同リポートによると、タイ国内の市場は、国内生産が60〜70%と大部分を占め、残る30〜40%を輸入が占める(図表2)。さらに需要の内訳では、修理・メンテナンス用の補修部品(REM)が60〜70%、純正部品(OEM)が30〜40%となる。また、タイで生産された部品のうち、70〜80%は国内で販売され、20〜30%が輸出に回る。

これらの数字から、同産業は、高い国内生産比率と国内消費という強固な基盤の上に成り立っていることがわかる。同リポートは、REM市場の大きさについて、景気の先行き不安から新車の購入を控え、いまの車を長く乗り続ける傾向が背景にあると分析。REM市場を、同産業を支える柱のひとつと位置づけている。
こうしたデータが示す現状に加え、忘れてはならないのが、多方面にわたる外的リスクだ。米国の関税措置や中東情勢の緊迫が、輸出の逆風となっている。なかでも中東は、ホイールやギアボックス、ボディ部品といった重要部品の主要な輸出先でもある。さらに地政学的緊張により、EV製造に必要な半導体やレアアースなどの原材料が不足するリスクも抱えている。
「とりわけ深刻なのが、『ASEAN・中国自由貿易協定(ACFTA)』の影響である」とソムポン氏は語る。これにより中国産汎用部品の無関税輸入が認められ、タイの自動車部品メーカーへの受注が激減しているという。実際、同リポートによると、2025年の自動車部品の輸入総額は全体で7.7%増加した一方、中国からの輸入額は34.2%も急増した。同氏は「タイに進出した中国系EVメーカーの多くが、自国のサプライチェーンを持ち込んでいることも、現地メーカーの機会を圧迫している」と分析する。

このような自動車部品産業の危機的状況を背景に、EVATやTAPMAなど自動車関連団体は5月14日、政府に緊急要望書を提出した。要望書では、「2027年の壁」への懸念が示されている。
この「2027年の壁」とは、現在のEV振興策「EV3.5」の措置(2026年までは輸入車の2倍以上、2027年からは3倍以上の台数をタイ国内で生産する義務)が、2027年末に終了することで予想される市場の変動を指す。
EV3.5が2027年に終了し、国内での代替生産義務がなくなれば、自動車メーカーはEV完成車(CBU)の輸入へと舵を切る可能性がある。その結果、タイは生産拠点としての存在価値を失い、「安価なEVの消費市場」になりかねない―これが業界団体の危機感だ。
さらに現在、EVの物品税はタイ国内生産車が2%、輸入CBUが10%だ。この8%の差では、長期的な生産ラインの投資を誘致するには不十分だとして、EVATは今回の要望書のなかで「輸入CBUの税率を32%まで引き上げ、30%の税率差を設けること」を提案している。その際、充電インフラの拡大やバッテリーリサイクルセンターの整備といった国内投資を条件に、低税率で輸入できる枠を設ける仕組みの導入も求めている。
ソムポン氏はEVATの提案について、「国内生産部品の使用を促すために、輸入CBUと国内生産車の税率差を広げることは、われわれの方針とも一致している」と支持。そのうえで、「進出する外資系企業に対し、政府はタイ資本51%、外資49%のジョイントベンチャー契約を義務づけることも検討すべきだ。将来的なEV技術へのシフトを、具体的に保証する手段になるだろう」と次の一手についても持論を述べた。
直面する危機のなかで、同氏は4つの生き残り戦略を提唱する(図表3)。その中で特に強調するのが「ラストマン・スタンディング(最後まで生き残る)」戦略だ。同氏は「バッテリー製造に必要なレアアースの中国による輸出規制により、世界のEV生産能力は全体の30%にとどまる見通しだ。残る70%の市場は、依然としてICE車やHEVに依存することになるだろう」と予測する。
したがって、タイの自動車部品産業は「世界的な最終生産拠点」としての立ち位置を固めつつ、水素燃料やバイオ燃料を使う次世代内燃機関(Future ICE)車技術も高めていくべきだ、というのが同氏の見方である。

先述の通り、クルンシィ・リサーチのリポートは、REM市場を同産業を支える柱のひとつに位置づけており、ソムポン氏も同じ考えを示す。「世界の自動車保有台数は22億台を超え、平均使用年数は18〜22年に及ぶ。将来ICE車の人気が下がったとしても、アフターマーケットの需要は、タイのサプライチェーンを支え続けるだろう」。
同時に、いまの変革期においてHEVは「“技術の架け橋”として重要な役割を果たす」と位置づける。「HEVの生産は約50%と高い現地調達率を保っている。2026年に始まったHEV・MHEVの物品税優遇措置は、国内のサプライチェーンがEV化に対応する時間を稼ぎ、下支えする鍵となる」との見解だ。現在タイでHEVを生産するメーカーの多くは既存の日系ブランドで、いまもタイのサプライチェーンから大量の部品を調達し続けている。
日系企業との協力について同氏は、「われわれは、タイ政府との交渉において日本の自動車メーカーの代弁者を務めることができる。タイの民間セクターによる働きかけは、日本企業が単独で申し入れるよりも説得力と信頼性を増す。両国の産業に真の相互利益をもたらす政策の推進を目指したい」と語る。
その一方で、EV市場における競争戦略については踏み込んだ提言もする。日系自動車メーカーは強みであるICE車・HEV技術に集中しつつ、EVについては自社単独の開発から、中国系メーカーとの戦略的提携により活路を見出す「イグジット戦略」を検討すべきだという。
すでに、多くの日系有力メーカーが中国製のプラットフォームや電動駆動システムを採用したうえで、自社ブランドとしてデザインを調整して市場に投入する動きが見え始めている。このアプローチは、即戦力のEV技術を得ながら、市場シェアを維持するための現実的な選択肢となるだろう。
東南アジア地域のEVシフトは、60年以上にわたり、経済の主軸を担ってきたタイの自動車部品産業に、重い課題を突きつけている。しかし、裏を返せば、複数の技術を並行して育てる「マルチパスウェイ」の考え方のもと、ICE車とHEVの強みを打ち出しながら、産業を高度化させる好機にもなりうる。日系自動車メーカーとタイのサプライチェーンが、相互利益の視点で連携を深められるか。東洋のデトロイトの次章は、いままさに始まろうとしている。

THAIBIZ編集部
サラーウット・インタナサック / 杉浦亜希子
